第12話『浴衣ガールズ』
7月7日、日曜日。
目を覚ますと、優しい笑顔で俺を覗き込む結衣の姿が見える。俺と目が合うと、結衣の笑顔は明るいものに変わる。
「おはよう、悠真君」
「おはよう、結衣」
朝の挨拶を交わすと、結衣は笑顔のまま俺に顔を近づけてきて、やがて唇に温かくて柔らかいものが触れた。
今日は日曜日で期末試験明け。今日の予定は、恋人や友人達と一緒に行く一年に一度の七夕祭りだけ。そんな日を、恋人の笑顔を見ることからスタートできるとは。何て幸せなことだろう。
やがて、結衣がら唇を離す。
「起きている悠真君とキスするのが一番いいね」
「……俺が寝ている間にもキスしたんだ」
「うん。10分くらい前に目を覚ましてね。唇中心にキスして、匂いを堪能して……とても幸せな時間になったよ」
「それなら良かった」
今後、結衣と一緒に寝たときに、もし俺が早く起きられたら、寝ている結衣にキスとかしようかな。
「寝ている悠真君に色々としたし、悠真君も私に何かしていいんだよ?」
「……じゃあ」
俺は結衣を抱き寄せて、結衣の胸に頭を埋めた。その行動に驚いたのか。それとも胸に俺の顔が当たったことがくすぐったかったのか。結衣は「ひゃっ」と可愛らしい声を漏らした。
「胸に顔を埋められたから、ちょっと驚いちゃった」
「ごめん。ただ、こうしていると気持ちが落ち着くんだ。少しの間、このままでいいか?」
「もちろんだよ。それに、温かい吐息が胸元からお腹にかかって気持ちいいし」
そう言うと、頭に何かが優しく触れる。きっと、結衣が俺の頭を撫でてくれているのだろう。そのことで、さらに気持ちが落ち着いていく。
それから少しの間、俺は結衣の匂いや温かさ、胸の柔らかさを感じ続ける。それがとても心地良くて、幸せな気分をもたらしてくれるのであった。
お互いに、七夕祭り以外には予定がないので、今日は結衣と一緒に俺の家で過ごした。2人とも好きなアニメを観たり、結衣の家にもあるテレビゲームを一緒にしたりして。
お昼ご飯は結衣と母さんが一緒に作ったオムライス。結衣特製のデミグラスソースがかかっていて、とても美味しかった。
荷物を持って帰ったり、浴衣を着たりするために、午後4時過ぎに結衣は自宅へ帰っていった。
一緒に七夕祭りへ行く結衣達とは、午後6時頃に自宅の近くにある公園で待ち合わせをすることになっている。それに合わせ、俺と芹花姉さんは準備する。といっても、俺は普段着で行くので、準備という準備は全然ないけど。
『お母さーん。自分で着てみたけど、これで大丈夫かな?』
部屋の外から、芹花姉さんのそんな声が聞こえる。姉さんは小さい頃、母さんに着せてもらっていたけど、いつしか自分で着られるようになっていた。
『……うん! ちゃんと着られているわ』
『良かった。この姿を見て、ユウちゃんが可愛いとか綺麗って言ってくれるかな?』
『言ってくれると思うわ。去年と同じ浴衣だし、去年も可愛いって言ってもらったんでしょ?』
『うん、言ってくれた』
『じゃあ、今年も言ってくれるわよ』
『そうだよね! 言ってくれるよね!』
さすがはブラコン。一時期は落ち着いていたけど、俺が結衣と付き合い始めたことで再びブラコンの度合いが強まってきている気がする。
今の会話を聞いてしまった以上、ちゃんと綺麗とか可愛いって言わないと。まあ、去年と同じ浴衣なら、自然とそんな言葉が出ると思うけど。
――コンコン。
『ユウちゃん。着替え終わったよ』
「分かった。すぐ行くよ」
黒いサマージャケットを着て、俺は部屋の扉をゆっくり開ける。
すると、そこには黄色い巾着袋を持った浴衣姿の芹花姉さんがいた。白い撫子の花柄が刺繍された紺色の浴衣は去年と同じ。ただ、着ている人は去年以上に綺麗になっている気がする。
「どうかな? ユウちゃん」
「似合ってるよ、芹花姉さん」
「嬉しいな。ありがとう。ユウちゃんもジャケット姿似合ってるよ! きっと結衣ちゃんもかっこいいって言ってくれると思うよ!」
「そうだといいな」
髪が乱れないように、頭をポンポンと軽く叩くと、芹花姉さんはとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
待ち合わせの時間が迫ってきたので、俺は芹花姉さんと一緒に待ち合わせ場所の近所の公園へ向かう。日の入りの時間が近くなってきたからか、歩いていてもそんなに暑さは感じられない。
大きな通りに出ると、七夕祭りの会場である金井公園に向かって歩く浴衣姿の女性がちらほらと見える。甚平姿の男性もいる。
「今年もたくさん人が来そうだね」
「金井市のイベントでは、一年で一番盛り上がるからな」
会場の金井公園は、最寄り駅の武蔵金井駅からはちょっと遠いけど、お祭りの規模が大きいのもあって、電車を使って他の市から来る人も多い。
待ち合わせ場所の公園に行くと、俺達と同じことを考えているのか、浴衣姿の人が何人もいた。その中には、
「ゆう君! 芹花さん!」
赤い牡丹の花柄が印象的な白い浴衣姿の胡桃がいた。赤い巾着袋を持っている。彼女は俺と芹花姉さんの名を呼ぶと、彼女らしい穏やかな笑みを浮かべ、小さく手を振る。
「胡桃ちゃん、可愛いね!」
「よく似合っているよ、胡桃」
「ありがとう! ゆう君のジャケット姿も、芹花さんの浴衣姿も似合っていますよ」
「ありがとう、胡桃」
「ありがとね!」
芹花姉さんは胡桃の横に立って、スマホで一緒に自撮りをしている。あとで姉さんに写真を送ってもらおうかな。
腕時計で時間を確認すると、今は……午後5時55分か。もうすぐ結衣達も到着すると思われる。芹花姉さんと胡桃の浴衣姿が良かったので、自然と結衣と伊集院さんの浴衣姿も期待してしまう。
「昨日の『鬼刈剣』も面白かったですよね!」
「面白かったね! 戦闘シーンのときは結衣ちゃんと一緒に叫びまくったよ」
「炭次郎君とか前逸君とか言いまくっていたよなぁ」
「ふふっ、そうだったんだね。戦闘シーンではあたしも興奮したよ」
3人で『鬼刈剣』の話で盛り上がる。
桐花さんの正体が胡桃だと分かっても、それまでと変わらずチャットで漫画やアニメなどの感想を語り合っている。それも楽しいけど、実際に顔を合わせて話すのも結構楽しい。
「おーい」
結衣のそんな声が聞こえたので入り口の方を見ると、そこにはこちらに向かって手を振っている結衣達4人の姿が。
予定通り、結衣と伊集院さんは浴衣姿。結衣は青い朝顔が刺繍された淡い水色。伊集院さんは桜の花びらが刺繍された赤い浴衣を着ている。2人はそれぞれ青と赤の巾着袋を持っている。黒髪の結衣は大和撫子って感じがするなぁ。
中野先輩と福王寺先生は普段着。ロングスカートに肩開きTシャツ。福王寺先生はジーンズパンツに七分袖のブラウス姿。先生は遥さんからプレゼントされたハートのネックレスを身につけている。
「悠真君、こんばんは! どうかな、私の浴衣姿」
「とてもよく似合っているよ。綺麗だね。爽やかな水色なのもいいな」
「えへへっ、ありがとう。悠真君もジャケット姿似合ってるよ!」
「ありがとう」
芹花姉さんの言う通り、かっこいいって言ってくれたな。
結衣の頭を優しく撫でると、彼女は嬉しそうな笑顔を見せる。本当に可愛らしい。結衣の可愛らしい浴衣姿を見られたし、もしこの直後に七夕祭りが中止になったとしても許せそうだ。
「伊集院さんも浴衣姿似合ってるね」
「ありがとうございます。柄が気に入っていて、中学の頃からずっと着ているのです」
「そうなんだ」
「姫奈ちゃんのこの浴衣姿を見ると、今年も夏が来たって思えるよ。胡桃ちゃんもお姉様も浴衣似合ってますね! スマホで写真撮ってもいいですか!」
「もちろんだよ! あたしも結衣ちゃんと姫奈ちゃんの浴衣姿を撮りたいな!」
「じゃあ、さっきの胡桃ちゃんとあたしみたいに、一緒の自撮りも撮ろうか」
「はいっ!」
そして、それから少しの間、浴衣を着ている4人を中心に写真撮影会の時間に。みんな楽しそうにお互いの姿を撮ったり、一緒に自撮りしたりしている。俺も何度か自撮りに参加した。
この7人がメンバーのグループトークに、どんどんと写真が送信されていく。みんないい笑顔で写っている。
「そういえば、悠真。ジャケットを着ていて暑くない? 黒いし」
「あまり暑くないですよ。これはサマージャケットって言って、通気性のいいジャケットなんです。これから夜になって涼しくなっていきますからね」
「なるほどね。あたし、高嶺ちゃんも浴衣を着てくるし、悠真は甚平でも着るのかなって思っていたよ」
「お祭りには合っているよね、千佳ちゃん。でも、ジャケット姿もかっこよくて素敵じゃない。今の低田君、私は結構好きよ」
「あ、ありがとうございます」
今まで、福王寺先生からは低変人の大ファンだとか、低変人の曲について大好きだと言われたことは何度もあった。だけど、今みたいに見た目とかの感想は全然言われたことがなかったので、ちょっとドキッとする。昨日、ワインで酔っ払ったときに俺のことも大好きだって言っていたから、それをきっかけに自然と言えるようになったのかな。
あと、今の福王寺先生は外出中だけど、ほぼ素のモードだ。これから七夕祭りに行くからだろうか。それとも、学校でも以前に比べて笑顔を見せることが多くなった影響だろうか。
「さてと、写真も結構撮りましたし、会場に行きましょうか」
結衣のそんな提案に全員賛同。俺達は七夕祭りの会場である金井公園に向かって歩き始める。もちろん、俺は結衣と手を繋いで。
待ち合わせをした場所からだと、金井公園は徒歩で15分くらいのところにある。浴衣を着ている4人は普段と違って草履や下駄を履いているから、もう少しかかりそうかな。
ここからでもそれなりに歩くし、特に駅の南側から来ている結衣、伊集院さん、中野先輩はかなりの距離を歩くことになる。ただ、みんな縁日で食べるのを楽しみにしているので、カロリー消費になっていいのかもしれない。
「ねえ、悠真君。さっき、4人で待ち合わせ場所に行ったときにも話したんだけど、女性中心に浴衣姿で七夕祭りへ行く人って結構いるよね」
「そうだなぁ。今も周りを見ると……浴衣を着ている女性は何人もいるね」
「年に一度のお祭りだから、浴衣を着たいっていう人が多いのかもね。私もその1人だけど」
「そう思ったおかげで、俺はこうして浴衣姿の恋人を見られて、一緒にお祭りに行けるんだ。ありがとう、結衣」
「いえいえ。悠真君の浴衣姿や甚平姿を想像していたけど、そのジャケット姿は凄くかっこいいよ。これから毎年これでいいくらいに好き」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
来年からも極端に暑くなければ、サマージャケットを着てお祭りに行こうかな。
ただ、こうして浴衣姿の結衣を見ていると、一緒に浴衣を着てお祭りに行くのもありとも思える。中学以降は浴衣を着ていないから、家にある俺の浴衣はサイズ的に無理だろう。今シーズン中に、浴衣を購入しようかな?
「そういえば、悠真君。浴衣を着るときは下着を着けない方がいいって聞いたことがあるけど、それって本当なのかな?」
「下着によっては暑苦しいとか、浴衣を着たときに見栄えが悪いことがあるだろうけど、着けた方がいいだろう。万が一、浴衣が着崩れて、はだけちゃうこともあるだろうし。……そ、そんなことを俺に訊くってことは、もしかして?」
結衣なら、下着を着けずに浴衣を着る可能性は……ひ、否定できない。つい胸のあたりを見てしまう。パッと見た感じでは、下着を着けているかどうか全然分からない。
すると、結衣はニヤリと笑みを浮かべ、
「実際に胸元を見て確かめてみる? それとも、浴衣の上から触って確かめてみる?」
俺の耳元でそう囁いてきたのだ。その瞬間、全身が急に熱くなる。
「ふふっ、顔が赤くなって可愛い。金曜に悠真君が選んでくれた下着をちゃんと着けているよ。人がいっぱいいる場所に行くんだもん」
「……それなら良かった」
凄くほっとした。そうだよな。さすがの結衣でも、これから不特定多数の人がいる場所へ行くのに、下着を着ないなんてことはないか。
「行き先が悠真君の家だったら……試してみるのもいいかも」
「や、止めてくれ。せめて、家に着いてからそういう格好になってほしい」
「ふふっ、了解です」
巾着袋を持ちながら敬礼ポーズをする結衣。この様子なら、下着を身につけずに浴衣姿で外を歩くことはしないだろう。しないでくれよ。
それにしても、こうして隣で見ていると、浴衣姿の結衣は本当に綺麗で可愛らしい。彼氏として、結衣の側にいてちゃんと守らないと。そう思い、結衣の右手を掴む力を強くした。
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