第34話 師匠の家・ああミーリア


 転移を繰り返してミーリアはアトウッド領に入った。

 実家にはもちろん寄らず、そのままティターニアの家へ転移する。


(師匠の家、懐かしい……)


 新緑がまだら模様の影を芝生へ落としている。

 森に住むエルフの家は、どこか幻想的な雰囲気があった。

 あの実家で耐え続けることができたのも、ティターニアがいたからこそだ。


(師匠、まだ寝てるよね)


 目をこすりつつ、ミーリアは家のドアを開けた。

 たった三ヶ月来ていないだけなのに、ここに通っていたのが昔の出来事に感じる。


(徹夜してるから眠い……)


 やわらかい香りが眠気を誘う。途中、転移ポイントを間違え、休憩を挟んで転移してきた。時間は午前五時だ。魔力はまだ半分以上残っている。


 ティターニアの寝室に入ると、神々が造形したかのような美しい女性が眠っていた。金髪がベッドからこぼれ、長い耳が呼吸に合わせて上下している。寝苦しかったのか、ティターニアはへそ丸出しだった。


「……ん? ミーリアなの?」


 ティターニアが薄く目を開けた。


「師匠、おはようございます」

「そうかそうか、退学になったのね。あなたちょっと抜けてるところあるからね。さ、いらっしゃい」

「え、ちょっと師匠?」


 細い腕がするりと伸びて、ミーリアは布団の中に引き込まれた。


「抱きまくら……んー……んふふ」

「師匠、私、退学になってません。あ、寝ないでください、師匠?」


 じたばたもがいても、ティターニアが両手両足でがっしりつかんでいるため抜け出せない。


 仕方なく起きているまで待とうと思うも、ミーリアはすぐに寝てしまった。



      ◯



(ん? ああ、私寝ちゃったんだ……)


 ミーリアは目をこすってベッドから起き上がった。

 制服のローブと上着が脱がされている。ティターニアがやってくれたらしい。


(時計魔法――えーっと、ええっ?! 午後一時!)


 がばりと起き上がって、ミーリアはローブと上着をつかんで家から飛び出した。


「おはようミーリア。帰ってくるなんてどうしたの? 退学? 元気そうでよかったわ」


 切り株に座って日光浴しているティターニアが笑顔を向けた。


「おはようございます師匠。退学じゃありませんよ」


 ミーリアがティターニアに駆け寄って飛びついた。

 エルフ特有の柔らかい匂いがする。

 ティターニアが何度かミーリアの頭を撫でると、顔を覗き込んだ。


「退学じゃないって知ってるわよ。私を誰だと思ってるの。何かあったんでしょう?」

「千里眼で見てたんですか?」


(さすが師匠!)


 ミーリアは端正なティターニアの顔を下から見上げた。


「ええ。暇つぶしでたまーにね。魔法電話が使えたらいいんだけどねぇ」


 いつもと変わらぬマイペースな具合でティターニアが言う。


「あの、魔古龍バジリスクを討伐したいんです。知恵を貸してくれませんか?」


 ミーリアは事情を説明した。


 アリアの姿を千里眼越しに見ているティターニアは、だいたい察していたのか、すぐに納得してくれた。


「そういう事情ね。そうね、今のあなたなら一人で大丈夫でしょう」

「師匠は一緒に来てくれませんか?」

「一緒に行きたいのは山々なんだけどね、私、グリフィス公爵領に行ったことないのよ。転移で行くのは無理よ?」

「飛翔魔法はどうですか?」

「今ここを離れると、アトウッド領が魔物領域になりそうだわ。あなたが抜けた穴があるからね」

「え、それはどういう……?」

「人間が内包している魔力が集まって人間領域になるでしょう? 膨大な魔力を持つあなたがいなくなって、アトウッド家の人間領域が狭まったのよ。今、森が活性化してるの。この状態で私が長時間いなくなると危険だと思うわ」

「それはまずいですね」


(さすがに領地が魔物領域に飲み込まれちゃうのは心が痛いな……)


 ティターニアがミーリアの肩に手を置いて、ゆっくりと身体を離した。


「村の人間で気づいている者はいないわ。ここの村人はあまり外側へ行かないからね」


 そう言って、ティターニアは「んんん」と大きく伸びをした。


「で、魔古龍バジリスクだっけ?」

「そうです。生息場所とか弱点があったら教えてほしいんです」

「ああ、そういうことね。いいでしょう。私なら三秒で倒せるわ」

「ほんとですか?! さすがは師匠です」


 本当は十分ぐらいかかりそうだが、久々にミーリアに会ってちょっと驚かせたくなったティターニアは軽口を言った。こういった細かい冗談が、ミーリア自身の過小評価に繋がっている気がしないでもない。


「バジリスクが現れるのは時期的にギリギリってところね。今日中に見つけるのがいいでしょう」


 ティターニアがそう言いながら長い指を回すと、家のドアが勝手に開いて焼き立てのクッキーが皿ごとふわふわ飛んできた。


 魔法袋からテーブルとティーセットを出し、ミーリアに座るように促す。


「クッキー!」


 ミーリアはいつでもティターニアのクッキーが大好物だった。


「ふふふ、食べながら話しましょう。昼ごはんも食べていきなさい」

「はぁい」


 ミーリアは嬉しくなっていい返事をした。



       ◯



 その頃、アドラスヘルム女学院では、アリア、ディアナ、クロエが大食堂で対面していた。


 アリアとディアナがローズマリアで赤いリボン、クロエがアクアソフィアで水色のリボンをつけている。


 注目度の高い三人が集まっていることに、周囲の目が自然と向いていた。

 三人は昼食には手をつけず、話していた。


「あの子が魔古龍バジリスクを討伐すると言って出ていったの? だからいないのね? ああ、ああ、なんてことでしょう。授業もサボって罰則一回なのよ。しかも無断外出で罰則一回。何よりそんな危険なことをしようとするなんて……心配だわ……ミーリア」


 夜中ずっと窓に張り付いていたクロエの顔は疲れていた。

 それでも美貌は失われていない。

 徹夜しているせいで、目つきが少々鋭くなっていた。


「アリア・ド・ラ・リュゼ・グリフィスさん。どうしてあの子を止めてくれなかったの?」


 クロエはアリアをフルネームで呼び、端的に質問することで、ここは学院であるから公爵家令嬢と騎士爵家令嬢の身分差はないと強調する。

 そんな牽制をわかっているアリアは、にこりと笑みを浮かべた。


「アリアで結構ですわ、クロエお姉さま」


 アリアが堂々と答えた。


「あなたにお姉さまと呼ばれるのは承服しかねるわ」

「大切なお友達のお姉さまです。お姉さまと呼ばせてくださいませ」


 アリアが揺るぎない瞳で見てくるので、クロエはため息をついた。


「……最近のミーリアを見ていたからわかるわ。あなた……アリアさんが信用できるってことよ。あの子、ああ見えて危険を察知する能力は高いの。ダメな家族に囲まれていたからね」

「お聞きしましたわ。その、まともな家ではなかったと……」

「それで、なぜ私に事情を説明してくれる気になったのかしら? ディアナ、あなたが私を派閥に取り込もうとしているわけではないわよね?」


 クロエが静かにしているディアナへと目を向けた。

 気の強そうなグリフィス家次女ディアナが首を横に振った。


「違うわ。わたくしの事業を手伝ってくださるならもちろん歓迎いたしますけどね。これはそうね……あなたの妹への敬意と感謝を伝えたくて……私も同席したの」


 いつもの高慢な態度とは違い、ずいぶんとしおらしい。

 クロエは理由を知りたくなってアリアに尋ねた。


「どういう経緯があったのかしら?」

「はい。まずはミーリアさんからの伝言をお伝えいたします」

「ミーリアの? それを早く言ってちょうだい。さ、早く早く」


 クロエが急かした。


「あなた妹のことになると目の色が変わるわね」


 ディアナが口を開けて言うと、クロエが頬を赤くした。


「別にいいでしょう最愛の妹なんだから。さ、話して」

「ミーリアさんはこう言っていました。師匠に会ってバジリスク倒すから大丈夫だよ、と」


 クロエは聞き漏らすまいと、じっと耳をすましている。

 数秒してアリアがそれ以上何も言わないので、瞬きを何度もした。


「……それだけかしら?」

「はい。これだけです。クロエお姉さまならこれで大丈夫だと言ってましたわ」

「ああ、ミーリア……ああ、ミーリア……」


 クロエが頭を抱えてうなだれた。

 やはり全然ダメであった。


「何度も何度も説明を端折ってはいけませんと教えたのに……あの子ったら一個やりたいことを見つけると猛牛のように一直線なのよ。風の魔法を練習しているときだって私が何度話しかけても全然聞こえてなくって耳元でミーリア、ミーリアって三回呼んでやっと――」

「あの、クロエお姉さま? わたくしが代わりに説明補足をいたします」


 クロエが独り言をやめ、両手を広げた。


「まあ、まあ、それは大変素晴らしい提案よ、アリアさん。さ、話してちょうだい今すぐあますところなく」


 それからアリアは話した。


 アリアの祖母が石化していること、二人で協力してデモンズマップを解いたこと、地下に亡霊がいて薬品研究をしていること。その亡霊に石化解呪のレシピをもらったこと――


 話が進むにつれ、クロエは「ミーリア。ああ、なんてこと。危険な魔法まで使って、ああ」と、額に手を当て首を振る動作が止まらない。あまりの心配ぶりにアリアとディアナは苦笑した。


 話が終わると納得したらしく、クロエが大きくうなずいた。


「よくわかりました。あの子の性格なら、あなたを助けようとするでしょう」

「ミーリアさんは優しい女の子です」

「そう、そうなのよ。あの子はとても優しい、人の痛みがわかる子なの」


 クロエが二人と対面して、初めて笑みを浮かべた。


「あの子がアリアさんと一緒で、楽しそうにしていたのは知っているわ。話してみて、あなたが悪い人でないとわかって……まあ、よかったと思うことにしましょう。ただ、一つだけお願いがあるの。いいかしら?」

「はい。何なりと仰ってくださいませ」

「もし、あなたのお父さまがグリフィス公爵家にあの子を取り込もうとしたら、止めてちょうだい。それ以外の家もそうよ。教会派閥も危険だわ。あの子をなるべく自由にしてあげて?」

「承知いたしました」


 アリアが何も聞かずに快諾した。

 姉のディアナはなんてもったいない、という顔をしているが、「返し切れない恩があるわね」と笑みを浮かべ、「約束しましょう」とクロエへと頭を下げる。


 そんな三人の姿を遠巻きに見ていた学院生は、公爵家のディアナが頭を下げていることに驚いていた。


 残念なことに、三人ともミーリアが人材マニアのクシャナ女王にお気に入り登録されていることを知らない。しかもクロエも遠隔合わせ技でお気に入り登録されている。もし知っていたら、また違った話も出ていただろう。今後どうなるかは――セリス神のみぞ知る、だ。


「さ、食べましょう」


 クロエが話を切り上げて、パスタを食べ始めた。

 姉ディアナもお上品にスープを飲む。


「はい、クロエお姉さま」


 アリアが返事をしてフォークを取った。


 その呼び方にクロエは特に指摘をせず、静かにフォークを動かした。

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