第11話 デモンズマップについて


 鮮やかなアクアソフィアの垂れ幕を掲げる寮塔の前で、クロエが待っていた。


 ミーリアがアトウッド家にいたときと同じ、ラベンダー畑を駆けてくるようなその姿を見て、クロエは胸が熱くなる。最愛の妹が入学したことを再実感し、クールな表情を崩して、普段見せない笑顔をミーリアへ向けた。


 寮塔の前で注目していた同じアクアソフィアの学院生がクロエの満面の笑みを見て驚き、その美しさと愛らしさにため息を漏らした。二年連続商業科成績一位のクロエはアクアソフィアの人気学院生だ。


「クロエお姉ちゃん!」

「ミーリア! 同じクラスになったのね!」


 ミーリアはぶんぶんと手を振って近づき、クロエに飛びついた。

 姉の大きな胸に顔をうずめて幸せな気持ちになった。


「よかったわ。あなたが同じ寮で本当にホッとしているの。あなたは良い意味でも悪い意味でも目立っているから変な虫がつかないように守らないとね」

「私もよかったよ」


 ミーリアはぎゅうとクロエに抱きしめられたあと、顔を上げた。


「お姉ちゃんに聞きたいことが色々あってね、あのね、学院長が地図をくれたの」

「私も聞きたいことが山ほどあるんだけど……ちょっと待って、地図? 今あなた地図って言ったの?」

「うん」


 こくりとミーリアがうなずくと、クロエが笑みを表情から消した。


「まさかとは思うけど、デモンズマップじゃないでしょうね……?」

「あ、そうそう。デモンズマップだよ」


 気の抜けたミーリアの返事に、クロエは核の発射装置を持たされた一般兵のごとく顔を強張らせ、天を仰いだ。


「なんてこと……ああ、ミーリア……悪いことは言わないから今すぐ学院長に返してきなさい」

「え……地図に何かあるの……?」


 クロエの忠告が的外れだったことはない。


 ミーリアは不安になって上目遣いにクロエを見上げ、地図を出そうと魔法袋へ伸ばした手を引っ込めた。


「寮の前で話すのは問題ね。あなたの部屋に案内するわ。さ、手を繋いで」

「そうだね」


 二人の様子をアクアソフィアの寮生がうかがっている。

 ミーリアはクロエのすらりとした手を握り、塔の門をくぐった。


 入り口付近で待ち構えていた上級生たちが「入学おめでとう!」「ドラゴンスレイヤーを歓迎するわ!」「アクアソフィア希望の星よ!」「クロエお姉さまの妹ですって?!」などの声を響かせる。


「毎年恒例なのよ。来年はミーリアも新入生を温かく迎えてね」


 クロエがにこりと笑いかけてくる。

 ミーリアも笑みを返し、うなずいた。


(天井高いなぁ……なんか、塔って言うよりお城っぽいね。奥行きもだいぶあるし)


 石造りの塔内は天井が高く、中央に見える螺旋階段はアクアソフィアが描かれた垂れ幕で装飾されている。工業科の学院生が設置された鉄棒につかまって降りてきて、どこかへ駆けていく姿が見えた。さらには商業科の面々が何やら手に資料を持ち、工業科と騎士科へ指示を出して様々な物を通路へと運んでいた。


「あれも毎年恒例ね。歓迎会の準備をしているの」

「そうなんだ! みんな一生懸命だね」

「ええ。ミーリアが最後だったから、これで全員が準備に取りかかれるわ」

「あ、そうか……なんか申し訳ないな」

「学院長直々の呼び出しだもの。誰も気にしていないわ」


 そうこうしているうちに、ミーリアを歓迎した上級生たちが、手を繋いでいるミーリアとクロエを追い越し、奥へと駆けていく。


 すれ違いざまに「よろしくドラゴンスレイヤー!」とか「今年こそ我が寮に特別喫茶室を!」などと言って走り抜けていく。


 ミーリアは律儀に返事をして、クロエと螺旋階段を上がった。


「あなたの部屋は二階のFよ」


 クロエが螺旋階段から足を塔のさらに内部へと向ける。


 二階に新入生が割り当てられているのか、リボンをつけ終わった女子たちが慣れない様子で塔の内部を移動している。


 クロエは2Fと表札のある扉の前で立ち止まった。


「中に同室の新入生がいるみたいね。ミーリア、音声遮断の魔法は使える」

「うん、使えるよ」


 ミーリアは魔力を循環させた。


(魔力変換――私とクロエお姉ちゃんに防音魔法、発動!)


 魔力を放出すると、途端に周囲の音が遮断される。

 クロエは一つうなずいて、ドアの横へ身体をずらし、ミーリアの手を握ったまま正面に向き直った。


「デモンズマップについて話すわ」

「うん。呪いのアイテムじゃないよね?」

「違うわ……と言いたいところだけど、あながち間違いではないのよ」

「そ、そうなの? トイレの花子さん的な、デモンズマップのデーモン閣下みたいなおばけが出てくる……?」

「ハナコ? よくわからないけど、おばけとかそういった類ではないの」


 クロエは何度かまばたきをしてミーリアを見つめた。

 塔の窓からは昼下がりの光が差し込んでいる。


「デモンズマップを持った魔法科の学院生は、必ず、翌年に成績が落ちるの」

「成績が?」

「皆、デモンズマップをとりつかれたようにして見てしまうのよ」

「あの羊皮紙にそんな効果が……」


 ミーリアは魔法袋に入っているデモンズマップのせいで、腰がむずむずしてきた。袋の中に異物があると思うと、なんだか落ち着かなくなってくる。


「デモンズマップ自体に呪いみたいな仕掛けはないらしいのよ。内容は受け取った人しかわからないみたいだし、のぞき見しても他人には真っ白に見えるんですって。保持者は口を揃えて内容を教えてくれないし……」

「ちょっと怖いね」

「そうなのよ。ああ、ミーリア。あなたに何かあったら心配だわ。デモンズマップは開かないことをオススメするわ」


 クロエの心配そうな目を見て、ミーリアは唇をすぼめた。


(そう言われると……気になってくるのが人間ってもんだよね……)


「ひとまず、デモンズマップについてはこれ以上の情報はないわ。でも、ミーリアのことだものね……。どうしても……どうしてもマップを見たいと言うなら、お姉ちゃんと一緒に見ましょう。いい? できる?」


 ミーリアの好奇心を知っているクロエは妥協案を提示した。


「うん、わかったよ。ありがとう、お姉ちゃん」


 ミーリアはそれなら安心だと、明るくうなずた。


「デモンズマップの話はこれで終わりよ。魔法を解いて大丈夫ね」

「うん」


 ミーリアは魔力を緩めて防音魔法を解除した。

 周囲のざわめきが戻ってくる。


 仕切り直しと、クロエがぽんとミーリアの肩を叩いた。


「歓迎会まで時間がないわ。さ、ミーリア、リボンを胸につけてきなさい。スカーフは好きに使うといいわ。ここで待っているからね」

「はぁい」


 ミーリアはいい返事をして、2Fの部屋に入った。

 中はベッドが四つ、勉強机と椅子も四つ、中央に丸テーブルが置かれて雑談できるようになっている。四人部屋のようだ。


(ここが今日から私が住む部屋……友達と焼き肉パーティーできるかな……)


 明るい未来を夢想してミーリアは広々とした部屋を眺めた。


 すると、奥の机で準備を終えた一人の新入生がベッドを覆うカーテンを開けた。


 ちょうど出ていくところだったのか、ミーリアを一瞥してすぐに目をそらし、扉へと歩いてくる。見事な黄金の髪を複雑に編み込んだ、身長の高い女の子だ。腰に剣を差していることから、騎士科の新入生とわかる。


(ああ、あ、あっ、挨拶?! 挨拶しなきゃだよね?!)


 友達付き合いに慣れないミーリアが挨拶をしようと口を開いたところで、彼女はさっとドアの隙間を抜け、廊下へ出てしまった。社交的な人物ではないらしい。


(オーノー……ファーストコンタクト……失敗……)


 気落ちするミーリア。


 しかし、同じ部屋であればチャンスはいくらでもある。そう前向きに考えて、自分のネームプレートが置かれた机に向かい、水色のリボンを首元につけた。


 リボンの隣にはスカーフが置かれていたので、ミーリアは少し考えてからバレッタを外して、水色のスカーフを折りたたみ、髪をハーフアップに結んだ。


「よし。これで誰が見てもアクアソフィアだね!」


 勉強机の横に置かれた姿見を見た。

 制服、ローブ、スカート、白いハイソックス、胸元には水色のリボン、髪は水色のスカーフで結われている。


 ひとしきり自分の姿を確認してから、ミーリアは部屋を出た。


 待っていたクロエがミーリアの髪を見て、「いいわね」と称賛してくれる。

 えへへ、と照れてミーリアはクロエと手を繋いだ。


「さあ、逆さの塔へ行きましょう。学院の全体図も歩きながら教えるわね」

「はぁい」


 空いている手を挙げるミーリア。


「それで、私が聞きたいことがあるって言ったの、覚えてる? お姉ちゃんに包み隠さず教えてくれるかしら。大丈夫?」

「お姉ちゃんに隠し事なんかしないよ〜」


 ミーリアが顔の前でちょいちょいと手を振ると、クロエが一つ咳払いをし、おもむろにミーリアを横目で見た。カンカンカンと横幅の大きな螺旋階段を下りる足音が響く。


「まずはどうして金貨二千枚が私に送られてきたのかと、あのお金をどうするのか。あとは魔古龍ジルニトラを討伐したときの状況と、その後クシャナ女王とどんなことを話したのか。王都に来たならすぐに女学院に来てほしかったのに、アムネシアさんと何をしていたのか。それからアトウッド家を出てから王都までの二ヶ月間にどんなことをしてきたのか一日ずつ教えてね。寝るときにへそを出していなかったかの確認もしたいし、朝昼晩何を食べていたのかも気になるわね。あとは――」


 クロエによる怒涛の質問が始まるのであった。

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