第5話 入学式へ向かう


 クロエはミーリアの顔を自分の胸に押し付ける。

 嬉しさが爆発しているのか、ミーリアの頭を抱えて左右に振った。


 傍から見ると可愛らしい仕草であるが、ミーリアの顔はさらにクロエの胸に食い込んだ。


(ぐ、ぐるぢい……)


 やっと出会えた余韻もほどほどに、ミーリアは早くも窒息しそうになっていた。クロエが装着しているスター徽章が頬に当たってチクチクと痛い。


「ああ、ミーリア! また一緒にいられるのね。お姉ちゃん嬉しいわ」


 周囲から拍手が送られる。

 ミーリアは必死に姉の肩をタップした。


「よかったな!」「姉妹なのかい?」「わからんけどおめでとう!」「クロエお姉さまがあのような――」「ラベンダー髪の新入生がうらやましい」「その場所を私と変わって!」


 クロエを慕う学院生からはやっかみの声も聞こえる。


 ミーリアが強めにギブアップのタップをし、クロエはようやく腕の力を緩めた。


「ぶはぁっ!」


 再会した感動で愛する妹の意識が遠のいていたことに気づいていないのか、クロエはミーリアの顔を覗き込んで、両手を頬に添えた。


「ミーリア、大きくなったわね……」

「はぁ、ふぅ…………うん。十センチくらい背が伸びたよ」


 呼吸を整えてミーリアが言った。

 それでも身長は百四十cmだ。


「お姉ちゃんも身長が伸びたね」

「ええ。百六十cmだったかしら?」

「まだ伸びそう。いいなぁ」

「あまり大きくてもね……あら?」


 クロエは周囲が自分たちに注目していることに気づいた。


「おほん」


 軽く咳払いをすると、眉をぴくりと動かし、何事もなかったようにハンカチで涙を拭いた。

 ミーリアの目もとも、かいがいしくふき取る。


「さ、ミーリア、行きましょう。しっかり手を繋いでちょうだい。転んだら大変だわ」

「あ……」


(これ、いつも言ってた言葉だ。懐かしいなぁ……)


 ミーリアはクロエが変わっていないこと、本当に再会できたことを実感して、胸があたたかくなった。ラベンダー畑から家に帰るときは、いつもこうしてクロエが手を差し出してくれたものだ。


 ミーリアはクロエの白魚のような手を見つめて、顔を上げた。


「はぁい」


 いい返事でクロエの長い指をぎゅっと握る。


 クロエのほうも同じことを感じたのか、大きく目を見開いて、花が咲くような笑顔をミーリアに向けた。


「ふふっ」


 クロエも確かめるように握り返し、丸みを帯びたミーリアの頬をつんとつついた。


 もちもちしていた。

 魔法街で売っている餅モッチ焼きのようだ。ちなみに銅貨二枚である。


「お姉ちゃん?」

「ごめんなさい。あなたに会えたのが嬉しくって」

「私もだよ?」

「そ、そうよね! 私も毎日あなたのことを考えていたのよ。さぁ、行きましょう、ミーリア。私が案内してあげる。ええ、そうなのよ。あなたが来るのを毎日待っていたの。誰かに案内係を渡すものですか。学院長にだって渡さないわよ」


(あ……いつものお姉ちゃんだ)


 一人ごとのように言っているクロエを見てミーリアは姉が変わってないと確認できた。


(身長も体型も成長して……着実にクロエロスお姉ちゃんになってるね……)


 いつもの調子が戻ってきたミーリア。

 クロエは十四歳、ミーリアは十二歳。ずいぶん成長したものだ。


 二人は人混みを抜け、校門をくぐった。


「ようこそ、アドラスヘルム女学院へ。あなたの入学を待っていたわ」


 クロエが満ち足りた笑みを浮かべ、首をかしげた。


「お姉ちゃん……ずっと王都に来るのを夢に見てたよ……。よろしくお願いします!」

「元気なお返事ね。ミーリアらしいわ」

「そうかな?」

「ええ、そうよ。ミーリアはいつでもミーリアね」


 二人は手を繋いだまま出城の校庭を歩いた。


 入学式ということもあり、在院生が新入生を見ようと校庭をぶらぶらしていたり、寮の窓から顔を出している。桜桃チェリーピーチが学院内でも咲き誇っていた。


(入り口の門には厳しい銅像があったね……。ここは校庭、なのかな? 前面芝生で真ん中に噴水が……あれ? なにか飛んでる?)


「お姉ちゃん、あれ、なに?」


 校庭の真ん中にある噴水の上を、妖精らしき小さなものが飛んでいる。


「あれは噴水に憑いているピクシーよ。恋の話を聞きたがるけど、話したら最後、おしゃべりだから翌日には全校学院生に伝わっているわ」

「へえ」


(ファンタジーだねぇ)


 歩いていると誰かしらと目が合う。


 クロエは顔見知りが多いのか、挨拶をしてくる学院生が多かった。


「こんにちは」「ごきげんよう」「ええ、妹なの」「手を繋ぐこと? そんなに変かしら」


 クロエはそつなく返事をする。

 クールな優等生であるクロエが誰かと手を繋いでいるのがめずらしいのか、注目度が高い。


 また、ドラゴンスレイヤーであるミーリアとも話したいのか、学院生が一緒に歩こうとする。クロエがやんわりと、しかし強固な眼力でもって追従を許さなかった。しばらくは愛する妹を独り占めしたいのだ。


「あっ! アムネシアさん!」


 ミーリアはアムネシアを置いてきてしまったことを思い出してあわてた。


「あら? 一緒に来たの」

「うん。王都で準備とか色々手伝ってもらったの」

「まあ。試験だけじゃなくお世話まで……お優しい方ね。ミーリアの試験を含め、お礼を言わないと――」


 きょろきょろと周囲を見回す。


 アムネシアは前方にある尖塔に入ろうとしていた。

 向こうも気づいたのか、振り返ってお淑やかに手を振ると、尖塔の中へと消えた。


 二人の再会に水を差さないよう、アムネシアは挨拶をせずに先に行ったのだ。イケメンな性格の女性である。豪奢な金髪が尖塔の扉に消えるのを見て、ミーリアはクロエを見上げた。


「素敵な人だね」

「そうね。騎士科では人気の先生よ。あとでお礼を言わないとね」

「うん!」


 ミーリアはうなずいた。

 アムネシアはミーリアが自分の教員室にやってきたら手放しで喜ぶであろう。もちろん体面があるので心の中だけであるが。


「そういえば、女学院って何科があるの?」

「ミーリア……あなたそんなことも知らずによく合格できたわね……」

「アハハ……ごめんなさい」

「いいのよ。お姉ちゃんがなんでも教えてあげるから」


 クロエがミーリアの頭を撫でた。久々のクロエプロの手付きだ。


「アドラスヘルム王国女学院は魔法科、騎士科、商業科、工業科の四科で構成されているわ。各科で制服が違うの。ほら、私はベレー帽、ミーリアはローブをつけているでしょう?」

「あ、そうだね」

「見てご覧なさい。あっちの子は騎士科だから剣を、むこうの子は工業科だから大きなポーチを腰につけているわ」


 魔法科はローブ

 商業科はベレー帽

 騎士科は剣

 工業科はポーチ


 各科を象徴するアイテムを装着している。


(制服の作りも全然ちがうね。騎士科は腰からマントみたいのつけてるし、工業科はキュロットスカートに安全靴っぽいのを履いてるよ)


 ミーリアは好奇心があふれてきた。

 今までがど田舎で何も娯楽がなかったため、視覚刺激が強い。


「新入生はこちらでーす! もうすぐ式典が始まります! 参列してくださーい!」


 ひときわ大きな教会のような建物の前で、工業科らしき学院生が呼びかけている。女学院の中央ホールだ。普段なら入ることですら気後れする、荘厳な建物だ。


「ミーリア」


 クロエが立ち止まって、ミーリアの両肩に手を置いた。


「なぁに?」

「これからクラス分けがあるわ。できれば……同じクラスになれることを祈っているわ」

「クラス? でもお姉ちゃんと私って違う科だよね……?」


(うん? どゆこと?)


「私のリボンの色、何色かしら?」

「水色だけど……」

「ええ、そうなのよ。色違いの塔の屋根が見えたと思うけど、赤、黄色、白、水色に振り分けられるわ。クラス……つまり、どの寮に住むことになるか、この後の式典で決まるの」

「え? 科で分けられるんじゃないんだ」

「そうよ。そして一度決まると卒業まで変更はないわ。だから水色……アクアソフィアにミーリアが割り振られることを祈っているわ」


 クロエの目はこの上なく真剣だった。


 ミーリアとしてもクロエと同じ寮であることが望ましい。四色の塔はそれぞれで距離が離れていた。クラスが違うと会いに行くのも大変そうだ。転移魔法も誰かに見られたくはないため、近いほうがいい。


「よくわからないけど、わかったよ!」

「そちらの新入生さん?! もう始まりますよ〜!」


 ミーリアを見て工業科の学院生が言った。気づけば校庭にはほとんど人気がなくなっている。


 クロエが名残惜しそうに手を離した。


「いってらっしゃい。またあとでね。色々話したいことがあるの。聞きたいこともあるし……ほら、魔古龍のこととかね」

「うん! またあとで会おうね。ソナー魔法で探すから待っててね」

「……そうだったわ。あなたって凄腕の魔法使いだったわね」


 クロエがクスクスと笑った。

 こんなに可愛い妹が規格外な魔法使いであることがちょっと可笑しかったのだ。


 ミーリアは照れ笑いをして頭をかき、たっと駆け出した。


「またあとで!」

「前を見て! 転んでしまうわ」

「はぁい」


 ミーリアは入学生の式典会場へと足を踏み入れた。




      ◯




 クロエはミーリアが中央ホールへ消えるのを見送り、アクアソフィア寮へ戻った。


 部屋には誰もいない。


『クロエへ 喫茶室にいるね』


 クロエは自分の机に置かれたメモを見た。

 同室の友人たちは喫茶室へ行っているようだ。


(ミーリア……ああ、よかったわ……あのどうしようもないアトウッド家から抜け出せて……また会えて……)


 クロエはベッドに寝転がり、ミーリアとの再会を噛み締めた。


 長かったのか、短かったのか、判断が難しい二年間だ。


 女学院で様々なことを経験した。同室のメンバーと喧嘩をしたりもした。クロエは友情を体験し、友人ができた。同じ志を持つ仲間もできた。人生の素晴らしさを知った。閉鎖的なアトウッド家では決して体験できないことばかりだ。


(あの子……友達ができるかしらね……)


 素直で明るくて、ちょっとヌケているミーリアをクロエは心配に思う。


(変なことを言ってなければいいけど……)


 心配は尽きない。

 しばらく天井を見上げていると、部屋がノックされた。


「はい」


(こんなときに誰かしら?)


 ドアスコープを覗くと、王宮の文官職が着る制服が見えた。

 クロエはすぐにドアを開いた。


 財務官らしき女性と、警護役の女性騎士が立っていた。


「失礼いたします。アトウッド家六女、クロエ・ド・ラ・アトウッド嬢はいらっしゃいますか?」

「……私ですが……何かありましたでしょうか?」

「おお、よかった。私は王宮財務官のケシャ・ラ・ティンバーと申します。女王陛下から送金の命を受け、参上いたしました」


 財務官、ケシャという女性が安堵した表情で、一礼した。


 クロエは「送金?」「女王陛下?」と疑問を膨らませつつ、黙って一礼した。


「妹君、ドラゴンスレイヤーであるミーリア・ド・ラ・アトウッド嬢が討伐した魔古龍ジルニトラを女王陛下がお買い取りされました。受け取りはクロエ嬢でございます。こちらにサインを」

「え? 私ですの?」


 クロエの脳内に混乱が吹き荒れる。

 有無を言わせず、財務官が魔法ペンを差し出したので、クロエはサインした。


「どちらに置きましょう?」

「ええ……では、私の机にお願いしてもよろしいでしょうか?」

「かしこまりました」


 財務官が目配せをすると、女騎士が部屋に入り、両手で抱えていた箱をクロエの机に置いた。


「では、失礼いたします」

「恐縮でございます……お手数をおかけいたしました……」


(買い取り? 受け取り?)


 春風のように財務官と女騎士は去っていった。


 ぽつんと箱が残される。


 クロエは嫌な予感をビンビンに感じながら、添えられている書状を見た。

 そして、文章の最後を見て血の気が引いた。


『――金貨二千枚を送金する』


 王家の花押つきだ。


(にっ……にせんまいッ?!)


 クロエは素早い動きで箱を開けた。


「――ッ?!」


 中にはぎっちりと金貨が敷き詰められていた。

 現金の威力は凄まじい。金貨二千枚である。


「ああっ! ミーリアッ!」


 美しい声色の叫びが寮にこだまし、クロエはその場にへたりこんだ。


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