第39話 七週目⑥

 町田君は、私にとって、特別な人だった。でもそれって、もしかしたらそういうものだったんじゃないかなと思って。もしかしたら、町田君も私のことを特別だと思ってくれているんじゃないかって、そう誤解するような場面があった。だから変な期待を抱いたままずるずると時間が経ってしまったけど、冷静に考えると、今の私にとってはどこまで重要な人なんだろう……。

 やはりわからない。でも、わからないけど私はここまで来ている。もし重要な人でなければ、同情心だけでここでいるとは思えない。

「多分、あのときもそうだった。町田君って、本当のことを知りたいときには、いつもそうなんだよね。ストレートに質問できないんだな」

 何か言おうとするするNo2を制して、続ける。

「中学校とか高校とか、誰かしら心理テストの本を持ってきて、細々と流行ってたじゃない? テストの答えから、心の奥底で望んでいることがわかっちゃうってやつ。町田君は、直接訊くよりも、ああやって遠回しな訊き方をする方が安心できるんだよね。質問することで、自分の意図が知られてしまうことってよくあることだし。誰だって、人のことは知りたくても、自分のことは迂闊に知られたくないもんね」

「多かれ少なかれ、人ってそういうもんじゃないですか。特に日本はその地形上、みんなで本当のことを言い合って生きて行くには狭すぎるのです。いつも気ままに生きてるあなたにはわからないでしょうけどね。で、結論は何ですか? ほら、あと三分しかない! さっさと要点を言って下さい!」

 言おうか、言うまいか。多分、これは私にとっても安全に扱える類のことではない。なかったことにしなければやっていられなかった。明かしたら最後、世界ががらっと変わってしまうことは確かだった。そうして現れた新たな世界が、自分の見方か敵かは想像もつかない。多分、当時高校生だった私には受け止められることではなかった。

 しかし、私も、もはやあの時の私ではない。いつまでもなかったことにしたままでいるわけにはいかない。

「加奈子さんと付き合っていることを私が知ったら、怒り出すと思ってたんじゃないの? 止めるだろうと思ってたんじゃないの?」

 夢の中での加奈子さんとの会話が、頭の中に蘇る。

「言葉にするのが難しいことってあるよね」

「昔からそういう人だったら、今とは違う結末になっていたかもしれませんね」

 あれらは、もしかしたら、私の中のNo2なる者からのメッセージだったのではないか。だとすると、この筋の通らないフィーリングでの語りは、真実に近づいている証しなのかもしれない。

「そう、多分、学校中の百人にアンケートを取ったら、百人中百人加奈子さんを選ぶと思う。自分でいうのも癪だけど、どう考えても彼女のほうが女子力は高いし。だから、町田君は迷っちゃったんじゃないの? 加奈子さんに告白されただなんて、自分は、自分で思うよりも魅力的だったんじゃないかって思ったんじゃないかな。でもそれと同時に、こうも思ったのかも。加奈子さんとつきあう素振りを見せたら、私が黙っていないだろうって。私が本当に考えてることを知るチャンスなのかもしれないって」

 No2は何も答えない。

「ううん、本人を目の前にして私は何を言ってるんだろう……、でも、きっと町田君も心のどこかで、私の方が合ってるって思ってたんじゃないの? 加奈子さんと付き合ったら、色んな人に僻まれそうだし、それになんだか釣り合ってなかったし、結局すぐ別れちゃったじゃない。きっとあなたは、私がぶち壊すことを期待してたのよ。意識していたか、していなかったかは別として。

 誤算だったのは、私が人並みのデレカシーを持っていたこと。何事もなかった振りして去って行ったのは、想定外の出来事だった」

 No2は、沈黙を守ったままだ。意識があるのか、顔の前で手の平を上下に振りたい衝動に駆られるけれども、ふざけている場合ではない。

 彼が自分の意思で誰と付き合おうと、知ったことではなかった。私たちは特にお互いが特別な存在だと確認し合ったわけではなかったし、何かしらの約束を交わしたわけでもなかった。私が何も言わなかったからといって、一般的見解からして私に非はないだろうし、返って怒り出すほうが不自然だっただろう。

 しかし、彼の見解はどうだったのか。普段は、瞬間湯沸かし器のような勢いで、何かあるとすぐかっとなる私が「堂々と無視した」というのは、彼にとってはそれなりの出来事だったのではないか。

 結果的に加奈子さんを利用するようなかたちになってしまった自分への不信感、それは安藤涼子への不信感へと変わっていく。自分は特別だと思われている、との思い込みが打ち砕かれる。ではなんだったのだ、あの思わせぶりな態度の数々は。やがてそれは、ああ、本当のことを言ってなくてよかった、という安堵に変わる。

 いつの間にか、記憶が上書きされていく。初めから自分は安藤涼子のことなど何とも思っていなかったのだ、と。もしかしたら、私がしたのと同じように、彼もまたあの時の記憶を深く掘った穴に埋めて、その上で何度もジャンプをして踏み固めて、用意周到に野草の種まで撒いて、すっかりなかったことにしたのかもしれない。

 No2は何の反応も示さない。このままでは埒が明かない。やはりこういう時は年の功、猫に意見を求めるしかないのか。

 しかし、猫はいつの間にか私の脇から姿を消している。慌てて辺りを見渡すと、すぐ後ろにいた。

「もう、町田君ってば」

 うっかりして、猫に向かって「町田君」などと呼びかけてしまった。

 その瞬間、BGMがストップした。私、また何かやらかしてしまったのだろうか。ちょっと間違えただけなのに、これもカウントされてしまったのか。よりにもよって、猫の陰に町田君が隠れていることなんて、ないだろう。

 猫に町田君が隠れている……だって? 

 この突拍子もない思い付きを、もう一度反芻してみる。

 私は何故、今猫に向かって「町田君」と呼びかけたのか。それは、あのドーナッツ屋でかくれんぼの話をしたときに、彼が「めんどくさいから鬼の後ろにいてすぐに見つかるようにした」と言っていたことを、無意識のうちに思い出したのだと思う。しかし、多分彼はあの時も本当の理由は隠していた。めんどくさいからと言っていたけれども、本当は鬼の背後にいれば真っ先に見つかるから、そうしたら忘れられて一人取り残される心配がないから、鬼の背後にいるようにしていたのではないか。あれは、もしかしてNo2がひそかにヒントを与えるために私に言ったことだったのではないか。

 猫が町田君だとすると。

 猫は、町田君の事情を色々知っていた。時間がたつにつれて、最初は知らないと言っていたことも、実は知っていたということもあったけど、あれは当初は猫の記憶しかなかったのが、時間が経つにつれて町田君の記憶が表に出てきていたものだったのかもしれない。

 大体おかしいと思っていたのだ。いくら化け猫だからって、人間の気持ちをあそこまで時系列で理解して説明できるものだろうか、と。そもそも、まずはそこを疑うべきだったのかもしれない。

 以前No2が話していたことを思い出す。あの時彼は自分と町田君とのことを話していたのだけれども、それは猫と町田君にも当てはまっていたのではないか。猫がパソコン本体だとすると、その中に町田君というSDカードが差し込まれた、そんな状態だったのかもしれない。カードの中からどんな情報を選ぶか決めるのは猫だったとしても、町田君の半生の記憶は、あのでっぷりとした体の中に隠されていたのではないか。猫は度々「あなたが訊かなかったから言わなかったんです」とか、「質問してみて下さい」というようなことを言っていたが。今思うと、自分の記憶ではないので、質問されないと記憶を引き出すのが難しかったのかもしれなかった。

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