第36話 七週目③

 さり気なく尋ねるつもりだったのに、上手くいかない。彼は、黙って首を傾げる。

「隠してるって言われてもな……、そんなに何もかもさらけ出すもんなの? 他の人は。安藤さんだって、そうじゃないだろう?」

「隠さないといけないことって、表に出すと日々の平穏な生活が壊されるから、隠されてるんだよね、きっと。そのことを口に出したり誰かに勘付かれたりすると、世界が変わってしまうって、きっとそう思うから隠すんだよね」

「急にどうしたの? 本の読み過ぎ?」

「ううん、夢のみ過ぎ」

 町田君は店員さんを呼ぶと、カフェオレのお替りを頼んだ。もちろん砂糖ももらっている。

「でも、それって自分がそう思っているだけで、実際には大したことじゃないかもよ?」

「自分がそう思ってれば、大したことなんじゃないの?」

 この人は、自分では気づいていないけれど、やはりNo2なのだ。高校生の頃の本人と比べるには年をとりすぎているにしても、やけに冷めているし、普段よりも自分の言いたいことを言っている。

 でも待てよ、夢の中で加奈子さんが言っていたように、この人は高校生の頃だって、私の前では言いたいことをずけずけと言っていた。私にだけきつく当たっているのだと腹立たしく思ったこともあれば、本心を話してくれているのだと嬉しく思ったこともあった。しかし、昔の記憶なんてもう感覚程度にしか残っていない。あんたの思いこみでしょうと言われれば、否定はできない。

「高校生のとき、よく猫の話をしてくれたよね」

 町田君は目を見開いた。

「何を話したんだっけ? よく覚えてないな」

「私もよく覚えてないの、だから気になってしまって。たしか、タミさんっていう名前の三毛猫が家にいて、町田君によく懐いているって話だったんじゃないかな?」

「タミさん、ね」

愛猫がさん付けで呼ばれたせいか、気持ちがほぐれたように見える。

「うん、そうだね。詳しく覚えてないけど、確かにタミの話をしたことは覚えてるよ。どんなこと話したんだっけ?」

「タミさんが、すごく頭のいい猫さんだって言ってた気がする」

「そんなこと言ってたのか。まあ、僕の言っていることを全部わかってるんじゃないかって思うことはよくあったよ。猫を飼っていない人からすると疑わしいだろうけど、猫って本当に、いかにも人の話を聞いているように見えるんだ。仮に誰かが、就職や恋愛の話とか、職場の人間関係の相談を猫にしていたとしても、僕は驚かないな」

「ふうん。町田君も、そうやってタミさんに色々話してたの?」

「まあ、そうだね、数学の解き方についてとか、歴史の年号の暗記方法についてとか、よく相談してたよ」

「そうすると、タミさんがいい知恵を貸してくれるんだ」

 町田君は「馬鹿にしてるでしょう」と苦笑する。

「それは冗談にしても、僕が勉強を怠けないように、いつもじっと後ろで見守ってくれていたよ。タミの厳しい視線があるから、僕は勉強をさぼれなかった。『タミ、これから一時間勉強するからね』っていうと、タミはずっと僕の後ろにいたんだ。でも、どうやらタイマーの音を聞くまでは寝てたらしいんだよね。一度、タイマーが鳴る前にトイレに行きたくなって後ろを振り向いたら、すやすや寝ていたよ」

 いかにもあの猫らしいエピソードに、笑いがこぼれる。

「こんな話を安藤さんにしていたんだっけ?」

「多分ね」

「気味悪くなかった? 真面目な顔して、猫の話ばっかしてて」

「全然。だって、猫って面白いじゃない」

 私はそのときタミさんのことなんて知らなかったし、動物に興味はなかった。クラッシック音楽に全く興味がない人は、ベートーベンの交響曲について延々と述べられていても、あまり意味はわからない。それと同様に、頷いてはいたものの、内容はほとんど頭に入っていなかったんじゃないかと思う。でも、私は見たこともない猫の話を延々と聞いていた。訳の分からなかった数学の授業を義務で聞くように、彼が猫の話をするのを義務として聞いていたのだ。なんでそんな義務を自分に課していたのか。今更になってその理由に気づいている。

 そして私は高校生の頃、密かにこうして、みんなでではなく二人だけで喫茶店へ行くことに憧れていた。気づいたらコーヒーを十杯お替りしてしまうくらい、ずっと話し続けることを夢見ていた。

 所詮本人ではないとわかってはいながらも、改めて目の前にこの人がいると、本物ではないのがうそのような気がする。本物ではない、というのは言い過ぎだとすると、私が知っている町田君ではないのが信じられない。同じような口調で話して、同じような困った顔で返答して、同じ仕草でコーヒーをすすって、でも甘いドーナツを食べている、もう一人の町田君。

 気持ちが通じたのではないか、と思った瞬間があった。多分一度だけでなく、幾度となくそんな瞬間があった。そんなことがなければ、今こうして悩む必要はなかったのだろうか。しかし、こうなってしまった以上、引き返すに引き返せない。

 それから、高校の思い出話や、職場でのことなど、とりとめもない話が続いた。お互い世間話を続けるのは昔よりも上手になっていたけれど、何か大事な感覚を失ってしまったように思う。もっと他に話さなければいけないことがあるはずなのに、それが見えなくなってしまっている。話しながら、それは何なのだろうとずっと考え続けている。

「そういえば、友達の猫は元気にしてるの?」

 と訊いてきた。

「最近あんまり元気がないの」

「そうか、寒いの嫌いだからね、猫は」

「暖房入れたら元気になるかな?」

「毛布を入れてあげたらいいかもよ」

「そうなんだ」

 私達は、結局こういう会話を通してしか、歩み寄って行く術はないのだ。内容云々ではなく、話をするという行為を通して、近づき、様子を探って行くしかない。

「町田君は、かくれんぼするときにどういうところに隠れるのが好きな子だった?」

「何それ、心理テスト?」

「まあ、そんな感じ」

「僕は、どちらかというと、かくれんぼはあまり好きじゃなかったかな」

一瞬彼の表情が曇った気がした。

「忘れられて、出て行ったらみんなが違う遊びをしていて、嫌だったことがあって」

「ふうん、でもさ、友達の子供にせがまれたりして、どうしてもしないといけないとしたら、どこに隠れたい?」

 町田君はしばらく考えてから、

「そうだなあ、弟がかくれんぼが好きで、親戚が遊びに来たときなんかに一緒にやらされたけど……僕は乗り気じゃなかったから、鬼の人の背後にいたりして、すぐに見つかってやったよ。『真面目にやってよ』って怒られたけど」

 町田君は軽く微笑むと、カフェオレを飲み干した。

「この後待ち合わせがあるんだ。悪いけど、僕はそろそろ」

「じゃあ、私も出るわ」

 会計をすませて外に出る。駅の方向へ向かい、彼は改札前へ行き、私は本屋へと向かった。

 本屋からは改札が見える構造になっている。特に狙っていたわけではないのだけれど、ちょうど視界に町田君が入っている。誰と待ち合わせしているのかな……と思った次の瞬間だった。相手が現れた。

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