第35話 七週目②

 そう言って目を伏せる。煙に巻こうとしているのか。

「涼子さんって本当にわかりやすい人ですよね、昔から。

 覚えてます? 以前、私と町田さんが一緒に歩いていて、道の向こうから涼子先輩が歩いてきたことがありましたよね、涼子先輩、何も知らなかったのか、びっくりしたような表情で私達を見て。そして堂々と無視して去っていきましたよね」

 笑って誤魔化そうとしつつも、私はかなり動揺していた。私だけが覚えていたと思っていた過去の出来事を、彼女もまた覚えていたのだった。自分ではもっとさり気なく避けたつもりでいたのに、「堂々と無視した」などと思われていたとは。確かに知っている人なのだから、いくら驚いたとはいえ会釈くらいするのが当然だったのかもしれないが。

「涼子先輩は、町田さんのどこが好きなんですか?」

 今日は本当にびっくりするようなことばかり言うな、この人は。

「さあ、何だろう、最初はとっつき難そうな人だなあって思ってたんだけど、なんとなく話しているうちに、思ったよりいい人じゃないかって気がしてきたような。でもどこか危なっかしくて、見た目よりずっと繊細で、私がフォローしてあげないと、っていう気がしないでもなくて……、うーん、私は何を言ってんの?」

「いいじゃないですか、この際話しちゃいましょうよ。もうこんな機会ないですよ」

「そう? そうねえ、じゃあ……。なんだか、気のせいかもしれないけれど、私のことを特別だと思っているんじゃないかと錯覚を抱かざるを得ないようことが……。あと、にこにこしながら猫の話をしてくれたりだとか、うーん、やっぱりよくわかんないよ」

「私、猫の話なんて聞いたことありません。やっぱり涼子先輩のほうが親しかったんじゃないですか」

「でも、町田君は加奈子さんを選んだんでしょう?」

「それは私が、私を選んで下さいって言ったからですよ。あの人は、そういうの苦手なんです。家族から愛されないで育ったから、他人から関心を持たれると、断れなくなっちゃうんです」

「へえ、家族から愛されてなかったんだ?」

「はっきりそう言っていたわけではないですけどね。肝心なことは何も言ってくれないので、こっちはこうだったのかな、って推測することしかできないんですよ。それに対しても、結局明確な意思表示はしてくれなくて、その時の反応を見てイエスかノーか察する、みたいなことばかりで」

 そういえばNo2も、「あなたが訊かなかったから言わなかったんです」というようなことを、当然のような顔して言ってはいなかったか。

 ふと、加奈子さんのバッグが揺れる。彼女は、ごめんねと言いながら、バッグの中から白い猫を取り出す。以前大沢さんに写真を見せてもらった、可愛い猫にそっくりだ。言葉を失っている私の方にそっと猫を向けて、可愛いでしょう? と微笑みかける。

「涼子先輩、あの時何であんなことしたんですか?」

 猫に対しての混乱と、彼女の言葉に対しての混乱で、情報処理が追いつかない。

「あのことがなければ、今頃はもっと違う展開になっていたのでは……」

「あのことって、何のこと?」

 加奈子さんは、白猫に向かって「なんでしょうねえ」と囁いている。どうしよう、段々怖くなってきた……。


 電話の着信音に、はっと飛び起きる。発信者は、「加奈子さん」となっている。

「もしもし」

―もしもし。あの、すみませんけど、今日の午後、突然主人のお母様が来られることになってしまって、申し訳ないんですけど……

「ああ、大丈夫。全然気にしないで。連絡ありがとうね」

 電話を切り、二度寝していたことに気が付いた。全部夢だったのだ。しかし、なんと恐ろしい夢だったのだろう。

 日曜日の朝になっても、当然のように猫は現れない。他にすることもないので、以前通っていた高校を訪ねてみることにした。

 行こうと思えば、電車で一時間半、徒歩二十分程度でたどり着く。駅から学校までの道のりにも、さほど変化はなかった。十年という月日は何だったのか。私の記憶が薄れているのかもしれないが。

 高校にたどり着くと、一般人は進入禁止になっていた。用事があれば入ってもいいようだったが、懐古のためと記帳するのもどことなく気まずいので、門の周りをぐるっと回ってみることにする。十数分もすれば回れてしまう外周、私達の過ごしていた空間の何と狭かったことか。三年足らずしかいなかったわけだけど、今では、どんな人達がどんな暮らしをしているのだろう。戻ってみたい、と思うにはいささか昔過ぎるのかもしれないが。

 樹の葉も紅葉を過ぎて落葉に向かいつつある。暖房が入るのは十二月からだから、今の時期は寒さに震えていたのだっけ。スカートの下にジャージを着るのが流行っていたなどと、思い出されるのはどうでもいいようなことばかりだ。休日だけど、部活のためなのか、相変わらすそれなりの数の生徒が出入りしている。

 あのとき、この場所で、同じ時を過ごしていたはずなのだが。あの人は当の時私にとって何だったのか、未だによくわからない。何が原因で、今こうして私はあの人を探すはめになっているのか。

―肝心なことは何も言ってくれないので、こっちはこうだったのかな、って推測することしかできないんですよ。それに対しても、結局明確な意思表示はしてくれなくて、その時の反応を見てイエスかノーか察する、みたいなことばかりで……

 夢の中での加奈子さんのセリフが思い出される。

 かつて、この建物のどこかで、私が“何か”を見過ごした。疎遠になったのは、彼に恋人ができたからではなかったのかもしれない。もしかするとそれ以前の段階で、私は「彼が本当に思っていること」を察することができなかったのだろうか。だから彼は、私と距離を置かざるを得なかったという線もあり得るのかもしれなかった。

 帰り道、卒業する直前にオープンしたドーナツ屋に入った。この店が開店準備をしていた頃、ここに入れるようになる頃には、もう自分達はこの町にはいないのだと切なく思っていたものだ。そんなお店も十年経過しているので、新しいという雰囲気は、もはやどこにも感じられない。

 コーヒーと、オールドファッションと、チュロスを頼む。大した値段でもないけれども、気分が半分高校生に戻っているようで、贅沢をしている気持ちになった。

 席を探していると、誰かの視線を感じた。視線の向こうには町田君がいた。タイムスリップしたのか? と思ったけれども、どう見ても高校生には見えない。成り行き上、同じテーブルに着くことになった。

「珍しいね」

「うん、最近なんだか無性に甘い物が食べたくてね。何故か味覚が変わったみたいで」

 町田君のトレイにはドーナツが二つ乗っているが、既に何個か食べた形跡もある。

「それもあるけど。住んでるところ、この近くじゃないでしょう?」

「ああ、ちょっと用事があってね。安藤さんは?」

「ちょっと探し物があってね」

「何を探してるの?」

「本当の……じゃなくて、ええと」

「無理に答えなくていいよ」

 これもまた夢の続きなのだろうか。一瞬、本当のことを言いそうになってしまった。しかし、本当のことってなかなか言えない場合が多い。どうして言えないのだろう。言ってしまったが最後、色々問題が浮上しそうな気配が濃厚だからではないか。なんで色々な問題が浮上するのか。そもそも、なんで隠さないといけないことがあるのか。みんなおおっぴらにしてしまって、何がいけないのだろう。そう言う私も、日々様々なことを隠しながら生きているのだが。

「町田君ってさ、いつも何を隠しながら生きてるの?」

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