第34話 七週目①

 目が覚めると、胸元に猫が乗っていた。

 体は起こさず目を見開くと、猫は、おはようございます、と呟いた。

 なぜ重みを感じないのだ? そうか、猫は、タミさんは幽霊だから、と次第に目が覚め、頭がはっきりしてくる。しかし猫は、今までこんなことはしなかったはずだ。もしや「お坊ちゃまのかたき」などと言って、私の喉笛をかみ切るつもりなのでは……と思っていると、ご挨拶くらいなさい、と注意された。

「おはようございます……、なんでこんなところにいるのですか?」

―あなたに、タミがよく見えるようにです。

 まさか、そうこうしているうちに「それはあなたを食べるためです」という答えに繋がる質問をするよう誘導されるのではないか、と身構えていると、猫はさっと後ずさった。途端に姿が消える。はっとしていると、また猫が現れる。

―タミは、また一つこちらの世界から遠ざかりました。これくらい近くにいないと、あなたにタミを見ていただくことができないのです。

 いつだって、こうして一つ一つ現実に直面させられていくのだ。

―昨日あの場所で休養したので、また少し元気を取り戻せました。最後の質問はいつされますか? 今でもいいですし、後でもいいですけれど。後にするのであれば、日程を決めて下さい。その時に備えて、余力を残しておきますので。

「では、木曜日の夜でお願いします」

―承知いたしました。

「タミさん、本当にいなくなってしまうんですか?」

―あと一週間はいます。

 そう言い残すと、猫はすーっと消えていった。

 休日に何もしないでいるのは、こういう場合大そう歯がゆい。しかし町田君に会ってみたところで、結局はNo2なのだから何がわかるでもない。

 私がすべきことは何か。それは、どの扉に町田君が隠れているのか見つけ出すことである。しかし、扉は大きさも模様も多様すぎるし、彼が好きな絵柄の扉に隠れているのか、もしくはあえて嫌いな絵柄の扉に隠れているのか、そんなことも日頃の性格から簡単に推測できるものでもない。それに、昨日のNo2との会話が気になる。

「出て来られなかったらどうなるの」

「どうなるんでしょうね」

 いよいよ芳しくない状況になりつつあるようだ。ここはもう、手段を選ばず加奈子さんに聞いてみるべきなのかもしれない。

 思い立ったが吉日だ。用件だけ書くと、迷う隙を作らぬよう、えいやとばかりにメールを送信した。

―突然申し訳ないけど、訊きたいことがあります。よかったら今日か明日会えませんか。

 すると、私の様子を見ているかのごとく、すぐに返信があった。

―わかりました。今日の三時ごろ、お茶でもどうですか。


 待ち合わせた場所は、駅の人気のない出口の脇にある喫茶店だった。店に入り、しきりが設けてあって、個室のようになっている席に座る。加奈子さんはかなり早めに来たが、私のほうがもう少し早く着いていたので、彼女にしては珍しく、驚いたようだった。すぐに平常の顏に戻ると「お待たせしてすみません」と涼やかな笑顔を見せた。

「全然。まだ時間になってないし」

 彼女が席に着くのを待って、

「これ、昼下がりのお礼。どうもありがとうね」

 と、クッキーの詰め合わせを手渡した。

 しばらく取り留めもない話を続けていたが、一瞬の隙を突いて、加奈子さんは真っ直ぐな視線をぶつけてきた。

「で、訊きたいことって何ですか?」

「何か、私が怒らないといけないようなことってあったかな?」

 彼女は、一瞬警戒した様子を見せる。

「いいんです。私の勘違いだったかもしれないので」

「ええ? なんだか気になるなあ。何だったんだろう」

 お互い、いいですよお、気になるう、と何度かぶりっこを続けてみたが、飽きてきたので、今度は私から切り出した。

「町田君のこと?」

 加奈子さんが、ほんの一瞬口元だけでにっと笑ったのをとらえると、できるだけなんとも思っていないような口調で続ける。

「あの、非難しようというわけではないんだ。ただ、今すごく困っていることがあって」

 困っていることがあるのは事実だけど、こんなに急に会うことになるとは思っていなかったので、どう説明するか考えていなかった。

「町田さんのことが、今でも好きなんですか?」

 何を言い出すのだろうという思いと、やはりこう来たかという思いが同時に湧いてきて、そしてどういうわけか、否定の言葉が出て来ない。

「でも、町田さんにはお付き合いされている方がいますよね」

「うん」

 懸命に言葉を探していると、加奈子さんはふっと微笑んだ。

「でも、なんだか上手くいかない気がします」

「何で?」

「その人、町田さんがどんな人だかおそらく知らないと思うので」

「それは、誰だって、他人がどんな人かなんて、そうそうわかるもんじゃないんじゃないの?」

「それはそうですけど。でも、あの人はその中でも特別だと思います」

 もしや、加奈子さんもあの夢の世界に引きこまれたりしたことがあったのだろうかと思ってみたものの、確認するわけにはいかない。

「どう特別なの? 猫とお話しできるとか」

 加奈子さんはため息をついた。

「ふざけないでもらえますか?」

 少なくともこの様子では、この子はタミさんと話したわけではないようだ。

「あの人は、いつまでたっても距離が遠いままの人なんです。笑ってるのも、ちょっと寂しそうにしてるのも、機嫌悪そうにしてるのも、なんだかそういうの、全部振りしてるみたいに見えちゃうんです。面白いから笑うんじゃなくて、こういう場面で人は笑うものだからとりあえず笑っておこう、というような。すべてがそんな感じなんです。

 だから、あの人が本当は何を考えてるのか、ずっとわからないままでした。こう言ってしまうと失礼かもしれないけれども、人を相手にしてるって感じが薄かったんですよね」

「じゃあ、何を相手にしている感じなの?」

「うーん、ホテルのフロントの人とか、駅員さんとか……まあ、人ですけど。でも、そういう人達ってか、人っていうより、役割じゃないですか。本来どういう人であるかは別として、仕事中はとりあえずお客さんには適度に人あたりのいい態度で接しますよね。町田さんの場合には、プライベートでも常にそうなんです。だから結局、あの人がどういう人かっていうのが、全然見えなかったんです。常に業務中の人のようで、本性がわからないんです。私には、けっこう大変でした」

「そうなんだ。私は、そこまで深く関わってなかったから、わからなかったかな」

 加奈子さんが、ふと真顔になる。綺麗な顔立ちがちょっと怖く見える。

「安藤さんといたときの町田さんは、自然だったと思いますよ。少なくとも、私といた時よりは」

「それは、加奈子さんが相手だったら誰だって緊張しちゃうんじゃないの?」

 笑って誤魔化そうとしたが、加奈子さんは無言のままだ。

 二人して、しばらく静かにコーヒーを啜っていた。

「相手の人も、そのことを踏まえた上で町田君のことを好きなのかもよ」

「それはないと思います」

「なんで?」

「私、二人が町を歩いてるのを見たことあるんです。町田さんは、なんというか……、やっぱり業務中みたいな顔をしてました。私といたときと同じ。

気づかない人もいるだろうし、あまり深く考えないで、親切な人、都合のいい人と思って一緒にいるんなら、つきあいやすい人かもしれませんけどね」

 私がぽかんとしているのに気付いたのか、加奈子さんは説明を続ける。

「なんて言ったらいいんですかね……、みんなに『町田晋はこういう人だ』と見せてる顔です。本当の顏ではなくて」

「誰だって、本当の顏と人に見せてる顔なんて、多かれ少なかれ違うもんじゃないの?」

 これはNo2のセリフっぽい。まさか毎週会ううちに移ってしまったのか。思わず首をぶるぶると横に振る。

「ううん、そう理詰めで返されても困るんですけどね。わからないんなら、もういいです」

 やだ、加奈子さんの反応も私のようになってきている。

「ごめんごめん、そうだよね、言葉にするのが難しいことってあるよね」

 加奈子さんが意外そうな表情を見せる。

「涼子先輩、そんなこと言うようになったんですね」

 一応は上級生だった私にこんなことを言うなんて、彼女らしくない。よほど意表を突かれたのだろうか。しかし、どういう意味なんだろうと考えていると、

「昔からそうだったら、今とは違う結果になっていたかもしれませんね」

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