第32話 六週目⑤

 その夜は緊張してなかなか眠れなかったけれども、それでもやがてあの場所へとたどり着いた。

「浮かない顔をされていますね。僕と会えるのがあと二回しかないから、寂しいのですか?」

 これが町田君の一部だというのか。そういえば、こやつはこやつで猫を信用するなと言っていなかったか。もう、誰の言うことをどう信じていいのかわからない。

「もう私、何を信じていいのかわかんない」

「正直な人ですね、敵に向かってそんなこと言うなんて、あなたくらいのものですよ」

「ああ、あんた敵だったんだっけ?」

 ナンバー2は不敵な笑みを浮かべた。

「あのさ、前に『人は自分の見たいものしか見ない、知りたいことしか知ろうとしない』とか言ってたよね?」

 No2は、さっと飛び立った小鳥に目をやる。わざと聞こえないふりでもしているようだ。こいつを見ていると、段々と腹が立ってくる。

「あんたに私の何がわかるのよ?」

「どうしたんですか? 急に怒り出しちゃって。わかりませんよ、わかるわけないです、所詮他人だもの。あなたこそ、彼の何がわかるというのですか。……ほら、何も答えられない」

 町田君も、普段余計なことは言わないけれども、心の中ではちくいちこんなこと考えているのだろうか。

「町田君はなんでかくれんぼしようと思ったの?」

「これはこれは。相変わらずころころ話題が変わる人だ」

 No2はあくまで笑みを絶やさない。

「タミさんが、あんたは彼の一部なんだって言ってたけど。あんたが町田君に、こういうゲームをするように指示したわけ?」

「私も前から言ってるじゃないですか、私は彼の一部だって。私が言っても信じなかったのに、タミが言うと信じるんですね、あなたは。タミはすっかり猫に戻ってどっかへ行ってしまっているというのに」

「猫に戻るように、あんたがマタタビとか、ネズミとかで操ってるんでしょう?」

「タミだってその方が幸せですよ。可哀想に、ネズミやマタタビと戯れてゆっくりしたいだろうに、こんな面倒なことに巻き込まれて。あ、ちなみに、タミは寝ているだけです。極上の猫ベッドを用意してあげたので」

 そういえば、猫は夢の中でも、もはや元気に遊び回れないのだった。

「あの、最初の質問に対する答えは?」

「ははは」

「笑って誤魔化さないでよ」

「じゃあ、あなたはどう思っているんですか。それに対してのコメントならしますけど」

「あの台本は何なのよ? あんたが書いたの? 何のために?」

「セリフを間違えないようにするためですけど」

 そういうことを訊きたいわけではないけれど、あくまでも誤魔化すつもりのようだ。

「そういえば、タミは私のことを何と言っているのですか?」

「町田君にアドバイスする人だって、言ってた」

「まあ、間違いではないですけど。それに付け加えるとね、この場所では我々は対等なのですよ。起きているときは、はっきり言って彼の方が優位です。いくら私が有能でも、私は彼のしていることを指をくわえて見ているしかない。『ちょっとそれはないだろう?』と言ったところで、彼が気づくかどうかはわからない。彼が、私の言うことに耳を傾けようと思っていれば、私の声をきくことができることもある。虫の知らせのようにね。でも、そんなことは滅多にありません。そう、最近では皆無と言ってもいいくらいでした。

 しかし、ここでは我々は自由に意見を交換できる。起きた時に、彼がそのことを覚えているとは限りませんが。うーん、覚えていない方が多いな。正直言って、九割……いや、それ以上忘れられていますね。

我々は対等な立場……と言いたいところではありますが、うーん、でもやっぱり私の方が弱いな。だって、彼に頼まれると嫌とは言えないからなあ、ほら、馬鹿な子ほど可愛いって言いますからね」

「あんたって、必要以上に皮肉な表現を使うよね」

「だって、絵に描いたような馬鹿ですよ。あんなゲーム始めて、誰も見つけてくれなかったらどうするのか……、あっ」

 No2はしまったといわんばかりに口元を押えたが、いかにも私に見せつけているようだ。その証拠に、目元には笑みが浮かんでいる。

「見つけてもらえなかったら、どうなるのよ?」

「出て来られないんです」

「出て来られなかったら、どうなるの?」

「どうなるんでしょうね」

「あんただって、笑ってる場合?」

「だから言ったでしょう、私の方が立場が弱いって。最終決定ができるのはいつも彼。私はただ黙って指をくわえて見ているしかないんですってば。これを機に、立場が逆転するなんてことがあったらいいけど。まあ、期待できそうにないですね」

「もし町田君が隠れてて出て来ないんだとすると、昼間の彼はなんなのよ。あの同窓会の幹事会で私がいつも会ってる町田君は、何者なの?」

「何者だなんて、そんな曲者みたいな言い方よして欲しいですね。

 あれは、私です。仕方がないので、最近は私が表に出ているのです。休日出勤みたいなものですよ。お蔭で休む間もありません」

「じゃあ、昼間のあなたは、私とこうして夢で会っていることを知りながら、表面的にはそのことを隠してほくそ笑んでいたの?」

「その辺は説明が難しいのですが、私も彼として現実の世界で振る舞う際には、ここでの記憶は一時的に失ってしまうんですね。

的確な説明ではないかもしれませんが、イメージとしては、パソコンで作業するときに、入れているメモリーカードからファイルを取り出して作業してるとする。起きているときには、そのカードとの接続が著しく悪くなっているのです。読み取れない、もしくは非常に読み取りにくくなっている。

昼間の私は、彼が戻って来たときに日常生活に支障を来さないよう、淡々と日々の生活を送っているだけなんです。以前にも増して、几帳面で真面目な町田君になっているはずですよ」

「甘いものを飲んでいたのは……」

「彼だって、甘いものは飲めるんです。ただ、まあ、これも話すと長くなるのですが、清美ママにタミを誘拐されそうになって、私が助けてあげた話を聞いたでしょう? あの後、彼は自分を恥じて、今まで大好きだった甘いお菓子、甘いジュースを封印することを決意したのです。幼いながら、好きなもの絶ちをすれば、自分にもうあのような不幸は訪れないのではないかと思ったんですね。幼いながら、甘いもの絶ちをすれば、自分にもうあのような不幸は訪れないのではないかと思ったんですね。次第に彼はそのことを忘れて、自分は元々甘いものが嫌いで食べられないのだ、と思い込むようになっていきました。

 そうして中学生になったある日、バレンタインデーに女生徒からもらったチョコレートをうっかり食べてしまったときに、またお菓子の持つ甘美な魅力を思い出してしまいます。それから数年間、彼は甘いものを食べ続けました。今まで封印していた分を取り戻すかのようでした。

 そうしたある日、母親の浮気疑惑が浮上、という事件が起きました。おしゃべりなタミから、多分あなたも聞いているでしょうけど。彼はそのとき、幼少時代の記憶、タミを奪われそうになったときのことを思い出したのです。母親に対する嫌悪感は、また、あの事件が起こる前に母親が甘いもので自分を黙らせよう、思い通りにさせようと吊っていた日々のことを思い出させ、あの事件の後に物でつられなくなった彼を『かわいくない子』と言い捨てていたことを思い出させました。そうしていくうちに、彼の中で、今度は甘い物を疎ましく思う気持ちが芽生えたのです」

 話を聞いているだけで憎たらしくなってくる母親だ。私が近くにいたら、コップの水をぶっかけてしまうかもしれない。

「でも、本当は好きなんでしょう?」

「ええ」

「それってさ、本当はピアノが好きな人が、ピアノがない場所で暮らさないといけないだとか、そういうことと一緒でしょう? その影響で、性格が歪んだりしないのかしら」

「だからこうして私は、その分せっせと甘い物を摂取しているんです」

 いつの間にか、No2の前に机が置いてある。そこには、チョコがコーティングされたオールドファッションドーナッツと、ミルクココアが置いてある。見ているだけで胸焼けしそうだ。

「でも、砂糖の取りすぎは体に悪いっていうし」

「修行僧ではないんだから、多少食べたって構わないだろうに。彼のあの態度は、体への影響うんぬんよりも、心の問題ですよ。本当に頑なんだから」

「でもあんた、この間の幹事会では、やけにこそこそと甘い物を飲んでたじゃない。何か後ろめたいことでもあるんじゃないの?」

「突然甘い物を摂取始めたら、周りの人がびっくりするかもしれないでしょう? 配慮しているんですよ。町田晋は周囲との調和を大事にする人間なんです」

 言い返そうとするのを手できっぱりと遮って、No2はにっこり笑う。

「では、来週が最終回です。見つかっても見つからなくても、チャンスはあと一回だけです。でもまあ、所詮ゲームですから」

 ちょうど歌が終わり、夢の世界はあっという間に遠ざかっていった。

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