第31話 六週目④

 木曜日の夜。明日の夜は夢の日だから、ゆっくり休めるのは今日しかない。布団に入ると、すーっと猫が現れた。

「ああ、タミさん。元気になられたのですね」

―今日はどうしてもあなたにお話ししたいことがありましてね。老体に鞭打って、こうして姿を現したわけでございます。

 ごくり、と生唾を飲み込む。しかし、猫はじっとしたまま何も言おうとしない。

「何のお話をしてくれるんですか?」

 しびれを切らして質問してみる。

―やはり、私からお話しするのはやめましょう。あなたが、何か気になることをタミに訊いてみて下さい。それに関して、タミの知る限りのことをお答えするようにします。

「なんですか、そのいじわる問題みたいなの」

―いじわる言って、あなたをからかっているわけではないんですよ。でもね、タミは見ての通りすべてを話し続けるだけの時間もないし気力もないのです。あなたもここまでくれば、もう自分で何を知りたいかくらいわかってきているのではないですか?

 まったく、この平成時代にそんなに奥ゆかしい言い方されても、困ってしまう。

「わかりました。じゃあ、訊きます。あの、タミさん、多分本当は少しは知ってるんじゃないですか? No2について……」

―あれは、お坊ちゃまの一部であることは確かなのです。しかし、日頃表に出ていない部分です。そしてあなたも何度か会ってわかったかもしれないけれど、No2の方が実際のお坊ちゃまよりも元気そうというか、生き生きしていたように思いませんか。

「確かに」

―それは、お坊ちゃんがご自分でおっしゃっていたように、今は、自分の多くある能力のうちわずかな部分しか使えずに、窮屈な思いをしながら生きていらっしゃるからなのです。No2は、お坊ちゃまが、本当は百パーセント使えるうちの十パーセントの力しか使わずに生きているので、残りの九十パーセントを常に持っている状態なのですね。だから、元気そうだし余裕があるのです。

「あの、No2に対してもう一度質問したら、それも3つのうちにカウントされますか?」

―まあ、そうなりますね。

 そう言われると、もっとNo2について訊くべきか、他のことを尋ねるべきか、考えてしまう。

「わかりました、では、No2について、もう一つききます。あの人の目的は何なんですか? 町田君を乗っ取ろうとしているのかしら……」

―いいえ。あやつはあくまで補助的な存在なのです。実際に、表の世界で活動できるのはお坊ちゃまです。乗っ取ってみたところで何もできやしませんよ。

 あやつの目的、それは、簡単に言えばお坊ちゃまにアドバイスをすることでしょうかね。以前も言っていませんでしたっけ? 私が清美ママに誘拐されそうになったときに、あやつが現れた。しかし、やり方がスマートではないので、その後の親子関係にひびが入る結果となったのです。まあそれでタミが助かったのですから、責めるわけにはいきませんけどね。

 あやつも馬鹿ではないので、乗っ取ってみたところで、世間の中で生きて行かれないことはわかっています。それだったら、お坊ちゃまを表に立たせたまま、少しでも自分が面白おかしくいられるような生き方をしてほしい、と思っているのでしょう。

 私が浮かない顔をしているのを見てとったのか、猫は続ける。

―何もあなた、毎日貯金を切り崩して豪遊したいだとか、そういう類のことを言っているわけではありませんよ。ただ、お坊ちゃまが日々あまり楽しい思いをしないで生きていると、あやつも楽しい気持ちにはなれないのです。自分では直接手を下せないとでも言いますか、やはり最終的にことを起こせるのはお坊ちゃまなのですよ。

 あやつが沖縄より北海道へ行きたいと思ったところで、どちらか選べるのはお坊ちゃま。あやつが市役所職員より国家公務員がいいと思ったところで、どちらか選べるのはお坊ちゃま。結婚相手だって、選ぶことはできません。

「No2なんていなくていいじゃないですか。町田君一人じゃいけないんですか?」

 猫は、わかってないわね、この子と言った面持ちで私を見る。

―人間とはそういうものなのです。あなたにだって、No2はいるんですよ。まあ、No2ではなくその2でもいいですけど。あなたにも、経験はありませんか? 追い詰められたとき、とっさに『こうしたらいいんだ!』と解決法がひらめいたことはないですか? そういうときには大抵、その2の声が聞こえているのです。

「だったら、いつもその2が私にどうしたらいいか教えてくれたらいいじゃないですか。そしたら、間違うことなんてなくて、無駄なことする必要ないじゃないですか」

―あなたは、何もわかっていませんね。

 猫はこれ見よがしにため息をつく。

―何が無駄だったかなんて、人生が終わってみるまでわからないじゃないですか。それにあなた、数学の問題の解き方だって色々なバリエーションがあるのに、人生に一つの攻略方法しかないだなんて、それはあまりに貧しいとは思いませんか。

 でも、人間とは悲しいかな、そう考えてしまうものなのですね。お坊ちゃまも、いつも自分の下した決断は間違っていたのではないか、とぐたぐたと悩んでいらっしゃいました。それは、反省することも大事かとは思いますけれども、そうしている間にも時間はどんどん流れていきます。猫にだってわかるのに、なぜ人間であるお坊ちゃまはそのことに気づかれなかったのか……。

 少ししゃべりすぎました。今日はもう無理そうです……申し訳ないですが、もう一つの質問は折を見て来週にでもお願いします。それでは、またあの場所で会いましょう。

 猫は一方的にそう言うと、手も振らずにすーっと消えていった。 


 金曜日は、朝からぐったりしていた。昨夜、さらに難しい話をされたせいか、その情報量は私の頭の容量を大きく超えていた。

 しかし、以前猫は「No2の正体は自分も知らない」、と言っていたのに、やはりそれはうそだったのだ。なぜ今までそのことを隠していたのか。単なる気分屋ですませられる話ではない。私のことを信用していなかったので情報を小出しにしていたのかもしれないが、こんなことでは、信頼関係なんてとても築けたものではない。そして、質問に制限回数なんて設けられてしまったら、もう気軽に何でも訊けない。不便な関係になってしまったものだ。

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