第28話 六週目①

 いつのことだったか、「にちようび」という歌があったことを思い出す。週末のデートを楽しみにしながら、月曜日からずっとわくわくどきどきしている。やがて土曜日になり、夢から覚めるころには日曜日になっている、という内容の歌だった。

 ハイキングの日が土曜日でなくてよかったと思う。夢から覚めればそこは土曜日、しかし、夢の疲労で私は常にぐったりしている。安らかな夢を、思う存分みてみたいと願う今日この頃だ。そんな泥沼から抜けないまま、猫に起こされたら起きよう……などと思っていたら、十二時になっていた。

 翌日の日曜日の朝、出かけようとすると、猫ベッドから微かな声が聞こえた気がした。「いってらっしゃい」とでも言っているようだが、よく聞き取れない。中を見てみると、猫の姿は見えない。

―何をうろたえているのです。タミは、初めからこうなのですよ。あなたが驚くといけないから、今までは苦労して猫の外見を映し出していたのです。そう、スクリーンにプロジェクターで映像を写している、ああいったイメージです。電力が足りない時には、節電しないといけない。タミもそろそろ疲れてきました。もう、声だけでいいですよね?

「いや、姿が見えないとやっぱり寂しいんですけど……」

―あなた、いつからそんな、さびしん坊になったのですか。では、あなたが帰宅する頃にはまた姿を現せるようにしておきますよ。それまで寝てないといけないから、今は勘弁して下さいね。

 それにこんなところで油売ってると、電車に遅れますよ。

 まるでお母さんのような猫だ。町田君が母親の役割を求めて、猫もそれに応えているうちに、すっかりこんな風になってしまったのだろうか。もしくはもともとこんな猫だったからこそ、町田君は救われてきたのだろうか。

 待ち合わせの駅に着くと、町田君と加奈子さんの二人がいた。十年前から始まって、その後も何事もなかったかのような表情で、馴れ合った雰囲気が滲み出ている。そこに、場違いな私が登場だなんて、間が悪すぎる。

 加奈子さんはさりげなく山ガールの服装を取り入れていて、かといって派手ではなく、相変わらず着こなし上手だ。全体的に紺や灰色など抑えめな色を使っているが、ところどころにピンク色や小花柄が使われている。私のように、山といえばチェックの山シャツでしょうという単純さは感じられない。あまりに違いすぎて、分析しようという気にもならい。

「涼子先輩、お久しぶりです」

「お久しぶり。結婚おめでとう」

「ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げる様子が、また可愛らしい。

 相手はどんな人だとか、どこで知り合ったかとか、とりあえず聞くのが社交辞令だとは思いつつも、気が進まない。もう彼女にあまり関わりたくないと思っているからなのか、それとも町田君が目の前にいるから一応気を使おうと思っているのか。

 私は彼女が結婚すると聞いても、おめでとうのメール一本送らなかった。アドレスも知らなかったし、関係の深さからすればあえてそんなことする必要もないのだけれども、結局のところ避けたかったのだ、この人のことを。町田君が、かつてこの人を選んだことが今でもそんなに気になっているのだろうか。

 そういう事実はとりあえず脇に置いておいて、偏見をなるべく少なくして見てみると、そんなに嫌いではないことに気づく。機転が利いて、人を傷つけるようなことは極力言わなくて、周りを見ながら行動できるよい子だった。しかし一方では、もし彼女が同じ学年にいたとしたら、静香さんとのように親しくなったかと言われると疑問が残る。人を傷つけることを言わないけれども、はっきり言わない分陰でクスクス笑っていそうだな、とつい思ってしまうのが私という人間だ。世の中そういう人のほうが得をしそうだ、要領よくて羨ましい、などと考えてしまうと、なかなか素直につきあえない。

 そうこうしているうちに、次々とみんなが集まって来た。

「じゃあ、そろそろ出発しますか」

 町田君の音頭で、ぞろぞろと歩き始めた。

 加奈子さん以外のメンバーには最近しばしば会っていたけれど、こうして以前歩いた道をもう一度歩くと、なおさら昔を思い出した。

 比較的近くに住んでいながらも、今は毎日違う職場に通って、違うことをして過ごしている。けれど、日々の暮らしの大半がこのメンバーと共有されていた時期があったのだ。みんなの制服姿をはっきりと覚えている。文系にいくか理系にいくかで迷っていた日々があった。目立たない部活であまり会うこともなかったけれど、地味ながらもそれなりに関わり合っていた。

 山頂に着いたのは十一時半頃だった。すごい混雑で、トイレも長蛇の列だ。仕方ないので、私と加奈子さんが場所取りをし、先にみんなが行ってくることになった。

 加奈子さんと二人で置いて行かれるだなんて思っていなかったので、困ってしまう。高校生の頃はどんな話をしていたのか思い出してみる。

「あの作家さんの最近の本、読んだ?」

 とりあえず思いついた質問をしてみる。

「涼子先輩も、今でも好きなんですか? 私も相変わらず好きで、いつもチェックしてるんです」

「私、最近図書館でバイトしてるんだ。すぐには借りられないけれど、新しく入荷したっていうのは知ってるの」

「いいなあ、私も図書館で働いてみたいです」

 話の糸口が見つかってほっとするものの、みんなが並ぶ列は、ほとんど動く様子がない。

「あの、涼子先輩、私のこと怒ってました……よね?」

 今まで晴れていたのに、急に太陽に雲がかかる。

「何か怒るようなことでもあったんだっけ?」

 今私、もしかして開けないといけない扉があるのに黙殺しかかっている?

 しかし、何をどう聞いたら扉が開くのだろうか。現実の世界では、開け方にも色々とバリエーションがあるのだ。

「昼下がりって、まだ持ってる?」

「はい、持ってますよ」

「貸してもらえるかな?」

「あげますよ、結婚したら、もう見ないと思いますし」

 どういう意味だろう、聞いた方がいいのか、でも何をどう聞けばいいのか……と考えているうちに、町田君が戻って来た。途端に、空気の流れが変わり、妙な隙間が発生する。何なんだ、これは。しかし、微妙な間ができるということは、それぞれが何かすっきりしないものを抱えているからということであるとすれば、私と加奈子さんだけでなく、町田君もまた、何かわだかまりを抱えているのだろうか。

 みんな日頃あまり運動していないのか、頂上へ向かう道中も無言だったけど、ようやくたどり着いてお弁当を食べる時も無言だった。とりあえず、水分補給、栄養補給しなければという気迫が感じられる。普段は涼しい顔をしている人ばかりだから、必死な様子を見るのは面白い。

「あれ、西本さん、そういえば今日習い事はいいんだっけ?」

 ふと沸いて出た疑問を口にする。

「休みました」

「もしかして、私が日曜日がいいって言ったから?」

 と加奈子さん。

「大丈夫だよ、たまには」

 私が余計なことを言ったばかりに、波紋を呼んでしまったのだろうか。

「いいじゃん、もうこうして集まるのは最後かもしれないんだし」

 なんだか、町田君がとどめを刺しているような気がする。

「いや、もしかしたら、三十年くらい経って、定年したら、またこうして集まることもあるかもよ」

 と静香さん。三十年後、か。想像がつくようなつかないような、でもきっと経ってしまったらあっという間なのだろう。

 紅葉はほとんど終わっていたというのに、想像以上の人ごみで、あまりゆっくりできないままそそくさと下山した。バスに乗って駅に着くと、まだ三時前だった。ホームへ向かおうとする者はなく、誰からともなくみんなで入れる店を探し始める。

 そうして現れたのは、いつぞや夢に出てきたファミリーレストランだった。ひやっとするものの、深く考えても仕方ないので、何食わぬ顔して中に入る。みんなでデザートを頼み、ドリンクバーも注文する。ひとまず全員が飲み物を用意し終えると、ソフトドリンクで乾杯した。

「そういえば、覚えてます? 初めてみんなでファミレスに入ったときのこと」

 加奈子さんが微笑む。

「いつだったっけ……」

 と静香さん。

「私達が入部したときのことですよ」

「あ、私も覚えてます。いつもにこにこしていると思っていた安藤先輩が豹変したから、あの時は驚きました」

 と西本さん。西本さんでも驚くことあるんだね、と誰かが言っている声が遠くなっていく。

「何のこと?」

「覚えてないんですか?」

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