第25話 五週目①

 いつにも増して疲労が溜まっている土曜日の朝。カーテン越しの日差しがいつもの七時頃のそれと比べてやたらと明るく、もう九時頃かな、と予測してようやくのこと布団から出る。十時半だった。フルタイムで働いていた頃だったら珍しいことではなかったけれど、この体たらくはなんだろう。

―おそようございます。

 猫にまで呆れられているようだ。

「おはようございます、昨日はお疲れ様でした」

―あなた、疲れてますね。外へ行ってリフレッシュでもして来られたらいかがです。

「そんな暇、ありません……」

 特に何もすることのない私は、それは周りから見たら暇で仕方ないかもしれない。しかし、私は私なりに、既にはち切れそうなのだ。昨日だって、なんの収穫もなかったどころか、貴重なチャンスをまた一つ失ってしまった。

―屋外でリフレッシュする暇がなければ、室内でしたらいかがですか。ほら、あれらの本は、あなたがリフレッシュするために持ってきたものでしょう。

 床に置かれたエコバックを指しているようだ。そこには、とっくの昔に返却期限が切れたシリーズものミステリー、全五巻が入っていた。

「信じられない! あれ職場で借りた本なんですよ。信用に関わるわ……」

―過ぎたことを悔やんでも仕方ありません。あれらの本でも読んで、しばし現実の世界のことを忘れてみてはどうでしょう。

 私が忘れたいのは、現実ではなくむしろ夢の世界のような気がするのだが、猫に言っても仕方がなさそうだった。

 鏡を見ると、輪郭がちょっとふっくらしている。疲れると、痩せるのではなく浮腫んで太く見えるタイプなのである。そういうわけで、疲れていてもあまり気づいてもらえないことが多い。猫はよく気づいたものだ。

「私が疲れているの、よくわかりましたね」

―だってあなた、生気が感じられませんもの。猫は言葉がわからない分、気配に敏感なのです。

「じゃあ、誰かがうそついていてもわかるんですか?」

―ええ、もちろん。だって、猫として生きている間は、嘘も本当も、あなた、言葉自体ははっきり理解できないものですからね。その人が何を思っているかは、結局のところ様子を窺って判断するしかなかったわけですから。

「じゃあ、No2がうそを言っているかどうかわかりますか?」

―珍しく話が早いじゃないですか。

 猫は満足気である。

―あの者は、嘘は言っておりません。ただ、誤解している点はあります。昨日、タミがあなたを利用しているというようなことを言っていましたね。確かに、タミは一人で太刀打ちするには力不足です。何が不足しているかというと、まず言葉です。いくら何でも、今まで猫だった私が、あの者といきなり対等に話などできるわけがないのですよ。

 いつもこうして私を言いくるめているのはどういうことなのだろう。つまり私の知能は……考えるのはよしておこう。

―そしてもう一つは、タミは猫であったときの本能が今でもかなり強く残っているということです。タミだけではあやつに操られてしまう可能性があるのです。悔しいことに、ネコジャラシ、ネズミ、マタタビ、そういったものを与えられると、つい前後不覚に陥ってしまうのです。

 しかしね、こういうメリットもあるのですよ。タミとあなたとが一緒にいれば、あの者はあなたにうそをつきにくいのです。なにせ、タミは言葉の意味はよく理解しないまでも、嘘をついているかどうかはすぐにわかりますから。

「昨日監禁されていた、というのは本当のことですか?」

―真っ赤な嘘です。あのときタミは、あなたの目につかないところに誘導されて、好物だったキャットフードを食べていました。

「食料はいらないのではなかったでしたっけ?」

―肉体を維持するためには必要ありませんが、目の前にあれば食べたくなってしまうのが猫というものです。

 とりあえず頷こうとするが、ため息が出ただけだった。

―とにかくあなたは、この連休は一切のことを忘れて、息抜きに励んで下さい。

「よくわからないけど、わかりました。そうしてみます」

 口に出してみると、全力で息抜きしたくなってきた。善は急げとばかりに、バッグを手に取る。


 準備ができ、外に出る。肌寒さを感じる空気が心地好い。

しかし、これらのボリュームは本気を出せば二日間で読み切れるだろうけれど、この落ち着かない時期に読んでも集中できずに中途半端で終わってしまうのではないだろうか。それに、小心者の私のことだ。仕事がある日に期限切れの本を返すのは気がひけてしまう。仕方ないので、とりあえず返却してしまうことにした。普段は職場である図書館に、今日はお客として入る。列に並んでいると、ちょうど大沢さんが座っているカウンターが空いた。

「すみません、かなり過ぎちゃったんですけど」

 苦笑いしながら本を差し出す。

「はい、次回から気をつけてね。休みの日にわざわざありがとう」

 何事もなく返却作業は済んだ。一件落着だ。

 帰り道、普段は寄り道せずにまっすぐ家に帰ってしまうので、近くにあるショッピングモールに立ち寄ってみる。比較的値段の安い喫茶店に入るが、本を何も持っていなかったことに気づいた。仕方がないので、道行く人を見ながらぼんやりしてみることにした。

 私と同年齢らしき人が、赤子を連れて歩いているのが目に入る。世間では徐々に男性も子育てに参加する流れになっているようで、年々赤子を抱えた男性が増えている気がする。先日の夢が正夢になる日も近いのかもしれない。

 多分私は、今あの人の考えていることが知りたくて仕方がない。知りたくて仕方がないけれども、ほとんど会う機会がないのでよくわからないし、決まった相手がいる人と積極的に会う機会を作るわけにもいかない。

 なぜに猫は私を選んだのだろう。明らかな人選ミスに、理不尽だと思う気持ちと、選ばれてしまった責任感とがせめぎ合い、結局のところ「よくわからない状況」というあたりで均衡がとれている。

 こんなにたくさんの人がいるのに、私が知っている人なんて、多分この建物内に数人程度しかいない。名前は知っているのに、顔は知っているのに、それだけで知っている人と言ってもいいと思っていたのに。肝心なことは何もわからない。猫の方がよほどよく知っているのが現状だ。


 昨日の夢を思い出してみる。「知らなくてもいいことを知って、考えなくてもいいことを考えるようになった」って、どういうことなんだろう。

 私があの人にあの曲が入ったCDを貸したのは、確か知り合って間もないころだった。放課後、なんとなく部室にいるのに慣れてきたころ、珍しく上級生がいなかったので、持ってきたCDをかけていたのだった。当時谷山浩子さんの曲が好きでよく聴いていて、ほかにも何曲か流れていたのだけれども、この曲が終わった瞬間、町田君が「ちょっと、今のは何?」と言ったのだ。

「ああ、これ? そっくり人形展覧会だよ」

「何なの、そのそっくり人形展覧会って」

「だから、歌の題名なんだけど」

「それ、もう一度聞いていい?」

 プレイヤーのボタンを押して、もう一度聞いた。終わってからも、町田君がもう一度聞きたそうだったので、もう一度再生した。「貸そうか?」と言うとうれしそうな様子を見せたので、CDを貸した。一週間後に返してもらった。それでおしまいだった。

 確かに、当時はあまり気にならなかったけれども、こうして三十年近く生きていると、「あの時の選択は本当に正しかったのか?」と人生の要所要所で思うことはある。しかし当時高校生だった私には、そういうことは全然ピンときていなかったのは確かだ。

 町田君は、一体あの曲を聴いて何を知って、何を考えるようになったのだろう。そんなの想像してみてもわかるわけがなかった。

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