第24話 未定稿2

小学生の頃「ポーカフェイスだね」と言われることが度々あった。新しい言葉を覚えるのが楽しい頃だったので、どういう意味だろうとわくわくしながら辞書を引いてみた。「無表情な顔、内心を顔色に表さないこと」と書いてあった。あの時のずしんとお腹に響くような衝撃は今でも忘れられない。自分は周りからそんな風に見られているのかと思って、愕然とした。少なくない人達が自分に対してそう思っていたことに驚きを覚えた。 

  そうは言っても、感情を表に出さないということは生きて行くために必須だったので、それからも続けるしかなかった。逆に周りの同級生を見ると、あんなに喜怒哀楽をはっきりさせても生活に支障を来さないだなんて恵まれてるな、と思った。

 本当の感情を悟られるのは危険だと思いながら過ごしていた。小学校に入る頃には、思っていることと実際することを切り離せるようになっていた。みんなが正直に「こんなのやりたくねーよ」などと言いながら掃除をさぼったりできるのが、うらやましい時もあった。確かに僕は嫌な顔一つせずに、細々とした雑用を引き受けている。掃除をすれば運がよくなるなどとプラス思考でいたわけではなく、嫌だって言っても義務なんだから、やらざるを得ないだろうと思っていただけだった。嫌いな人と同じ班になっても「こいつと同じ班なんて嫌だ」と言えず、相手が無理なことを言うと自分が我慢した。考えていることと行動することを切り離すことを早くからできるようになるのは、損なのか、得なのか。そういうのもポーカフェイスって言うのかな?

 でも、ポーカフェイスと言われ続けるのはやはり嫌で、できるだけ微笑むようにしてみた。笑って誤魔化すともいえるけれども、ポーカフェイスでいたときよりも、周りに馴染みやすくなり、「何考えてるのかわからない」などと余計な詮索もされなくなって、結果的によかったのではないかと思う。防御の姿勢を取らないと、突然攻撃を受けたときにダメージが大きくなる。ドッジボールを何度かすれば、嫌でもわかる。僕は攻めるよりも逃げるほうが得意なのだ。

 なんだか気取りすぎてるよな。それに、正直に書こうとすると、ついつい誰かの悪口言ってるような気がしてくる。こういうのを発表したら、みんなどう思うんだろう。僕も人並みに怒ることがあるのだとわかって、安心するのか。それとも、書いたことから僕が本当に思っていることがばれて、今の生活が脅かされてしまうのだろうか。

 どうしたらいいんだろう。たかだか十数年しか生きていない僕には、どこまで物事を選び取る力がついているのだろうか。選ぶのは好きじゃない。いつも失敗してばかりいるから。

 失敗を恐れてはいけない、とは言うものの、人間は今みたいな暮らしをする前には、常に危険と隣り合わせで生きていたのだ。常に自然の脅威にさらされていた。失敗することは死を意味していた。だから、堂々と失敗できるようになったのはつい最近なんだってどこかで読んだことがある。僕は古いタイプの人間だから、失敗を恐れるのだ。だけど、周りの人達はそこまでこそこそ生きているようには見えない、もう少し緩やかに過ごしている気がする。僕もそうしたくないわけではないけれども……今更今までやってきた方法を変えるのもなんだかな……どうしたらいいのかよくわからない。

 タミも僕に似ている気がする。猫にしては好奇心が足りないのは、こののほほんとした環境のせいなのか、子供の頃近所のやんちゃな女の子に誘拐されて以来冒険には懲りたのか。でも、じっとして家の中にいるだけなのに、お局様のような貫録がある。僕が母親を嫌っていることを知っているのか、母親には少しも懐こうとしない。父は猫に興味はないので気にしていない。弟のことは自分より下だと思っているけれども、母性本能がそうさせるのか、気が向いた時には猫らしい態度をとってあげている。

 最近、新たに勉強に意欲を燃やす目的ができた。とりあえず、大学に進学したら家を出るのだ。家を出ざるを得ない動機を考えよう。例えば、どうしても行きたい研究室があるから京都大学へ行きたい、とか。……ちょっと無理があるかな、京都大学は。地方の国公立大学へ行けば、都心の私立へ通うのと大して学費が変わらないということを何かで読んだ。大学の寮に入れば、確かにそうかもしれない。もう少しよく調べてみよう。それらしい理屈をつけて、さっさと家を出てしまおう。今のところ、それしか生き延びる方法を思いつかない。この家を出たら、また何か考えられるようになるかもしれないけれども、今のところは難しい。

 僕が本当にしたいことは何なのか。しっかり張り付いてしまったポーカフェイスの下にどんな表情があったのか、最近よくわからなくなるのだ。鏡を見て試しに笑おうとしてみても、そこには作り笑顔しかない。同級生に訊くと、さほど不自然な笑みを浮かべてはいなさそうだから、状況によってはそれなりに表情が出ているのかもしれないけれど、自分ではよくわからない。

 他の人を見ていると、不安になることがある。僕は、何かをしたいという思いが人並みに湧き上がって来ないのではないかという気がする。それは、目の前においしそうな食べ物があれば食べたいと思うし、図書館で面白そうな本を見つけたら読みたいとは思うけれども、さほどがんがん自分から楽しいことを探そう、面白い人に会おう、という気にはなれないんだな。日々の生活を淡々とこなすことはできるけど、人から頼まれたことはそれなりにこなすけど、自分が何をどうしたいのかと言われると、イマイチわからないままだ。

 タミも、いつも面倒そうに寝てばかりいるけれども、目の前に欲しいものがあれば、僕よりもよほど本気を出す。たまに意地悪して目の前にある餌を取り上げたりしたら、よく懐いている僕にさえも飛びかかろうとするし、たまに紐で遊んでやると、正気を失うのではないかと思うくらい、遊び狂う。僕もあれくらい、我を忘れて何かをしてみたいものだと思う。

 この家を出ることは、タミと離れることに等しい。タミも連れていけたらいいのにな、でもさすがに無理だろう、そんなことしたら大学の寮には入れないだろう。それに、タミは家族はあまり気にいっていないにしても、この家は気にいっている。縁側で日向ぼっこするのが好きなのだ。僕の都合でここから無理やり連れだすわけにはいかない。僕がいなくなったら誰が餌をやってくれるのか、不安はあるけれども、いくらあの人たちでも、さすがにここまで大きくなった猫を飢え死にさせることはないだろう。

 とりあえず、今はどこにでも行けるように勉強しとこう。

 しかし、いつまで誤魔化せるものなのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます