第22話 四週目⑤

 その夜、夢をみた。

 久々に自分自身の夢だった。あの夢の中にいるときほど自由に身動きが取れない。曖昧でしっかり動けない感じがある。これは普通の夢だ、と安心する。

 少し歩くと、二階建てのごく普通の家が現れた。しかし、誰の家なのか。新しい家のようだし、もしかするとこれから知り合う誰かの家なのだろうか。

 ドアを開けて、中に入る。会うべき人がいる部屋は、入ってすぐ左にある和室のようだ。

 襖が開いているので中を覗くと、縁側の近くで誰かが二人の子供をあやしているのが目に入る。

「ああ、久しぶりだね」

 振り返ったのは、町田君だった。私が知っている彼よりも、幾分柔和な顔立ちをしている。

 さっきここは夢だと判断したけれども、段々と、彼には本当に隠し子がいるのではないかと、頭のなかがぐるぐるしてくる。

「これで、よかったんだよね?」

 彼は、どこか諦めたような表情で私を見る。子供達も途端に笑うのを止め、私の方に顔を向けた。

 これはどういうことなのか。私がこのまま、彼を見つけないまま期限が過ぎてしまったら、やがてこうなるということなのか。

 いいじゃない、おめでたいじゃない、結婚して、子供ができて、今より柔和な表情で微笑むことができるようになって。途端に目の前が真っ暗になって、足元の床が溶け、私はその中に吸い込まれていった。


 目が覚めたら、辺りはまだ薄暗かった。時間を確認しようかと思ったが、これからまだ夜明けまで長時間あるようだったら怖いので、止める。

 ふと横を見ると、枕元に猫がいた。また新たな猫の出現か? と思ってよく見ると、タミさんだった。なんでこんなときに、よりにもよってこんなところで寝ているのだろう。私が愚痴を最後まで聞かずに途中で寝てしまったものだから、枕元で一生懸命私の頭を蹴り飛ばそうとして、そうこうしているうちにここで寝入ってしまったのか……。

 軽く上下している丸い背中にそっと手を触れてみると、なんと手は猫の背中の上でぴたっと止まった。いつかのように、体をすり抜けて布団まで行ってしまうものだとばかり思っていたので、飛び上がりそうだった。猫が起きるといけないので、なんとか持ちこたえる。

 背を撫で続けると、不思議と安らぎを覚える。とてもふわふわで、ずっと撫でていても飽きない背中だ。町田君もこうして猫の背を撫でながら、涙をこらえて過ごしていたのだろうか。しかし私は涙をこらえることができない。

 ようやく落ち着いてきたと思ったのも束の間、また例の歌がどこからともなく聞こえてくる。

 しかし、歌の合間に、原曲には入っていないはずの語りが入っている。


―別にあの人でなくてもよかったのです。

  聞こえてくるのは、猫の声だろうか。

―あのとき選んだものは、果たして自分にとって「本物」だったのか。

  あの部活を選んだのは間違いではなかったのか。

  あの学校は本当に入るべき学校だったのか……。


 よく見ると、タミさんを模し他たマリオネットが宙に浮いている。いつの間にか、場面は私の部屋ではなくなっている。あの夢の中と同じ、薄曇りの空が見えている。


―あのとき、A定食ではなくB定食を食べたかったのではないか。

  あのとき、クッキーではなくお煎餅のお土産を買えばよかったのではないか。

  自分が今までしてきた選択は本当に正しかったのだろうか。

  あなたの人生、本当にそれでよかったのですか?


 そこに、追い打ちをかけるように、私を模したマリオネットが現れた。

「どれを選んだって、結局は同じだし!」


 今度ははっきりと目が覚めた。布団から飛び上がりまではしなかったものの、起きてからしばらくは呼吸が乱れたままだった。こんなにへろへろで、今日は働けるのか、でも欠勤したら今月分の給料が減るし……などと思いながら呼吸を整える。

 カーテンの向こうは明るい光で満ちていて、小鳥のさえずりまで聞こえてくる。なぜ私だけこんな目に遭っているのか。確かに、どこかで選択を間違えたのではないかと考え込んでしまう。

―どうかされましたか?

 猫の声に驚き、今度はベッドから落ちそうになる。猫は床の上で丸くなり、毛繕いをしている。

「タミさん、昨日私のベッドで寝ていませんでしたか?」

―あなたのベッドには、あなたが寝ていました。タミは、タミの寝床で寝ました。

 そうですよね、と簡潔に答えた。

―昨夜は大分うなされていたようですよ。悪い夢でも見られたのですか?

 猫は欠伸をすると、自分のベッドに戻って行った。


 木曜日、金曜日は普段より返却のペースが遅れがちだった。返却数がやたら多いようだね、と上司が呟いている。嫌味ではないだろうけど、私の動きが悪いのは明らかだ。今まで頑張りすぎていたのかもしれないが、仕事の質が落ちているのは確かだった。

 考え事をしようにも、何を考えていいかわからない。あの夢のショックがあなりに強烈で、何かを考えると、磁石のように考えがそこに引き寄せられてしあうのだ。

 数日たち、ようやく落ち着いてきたので、とりあえず「母親とそりが合わない」ことについて考えてみることにした。今でこそはっきりそのことを自覚している私も、高校のときはそこまでではなかった。母が喜ぶと私もうれしくて、母に怒られるとしゅんとして、という場面は人並みにあった。特に私は上の兄弟と離れていたから、母がより身近だったのかもしれないが。

 高校に入って、なんだか、楽しいのに満たされていないような思いを抱くようになった。初めて自分で選んだ環境に身を置いて、今までとはまるで違う友達ができたりする中で、私は私の思うことに忠実に生きているのかなと考える機会が増えた。

 そんな中で、町田君と会った。

 特にそういう深い話をした覚えはないけれども、普通の話をしているだけでも、自然と心が安らいだ。ただ言葉を交わしているだけで、そんなにはっとさせられることを言われるわけではないにせよ、私はこれでいいんだと思えた。

 あのときもし、私が自分が思っていたことを、ちゃんと言葉にして伝えていたら、何かが違っていたのだろうか? 母親に対する感情や、自分が思っていること、ただ毎日が楽しく和やかだね、という確認をするのではなくて、非難されたり恐れられたりしてもいいから、もっと、私はこういう人なんだよね、というのを見せるべきだったのだろうか。今となっては、当時の私の考えていたことなど今の私には正確に把握できるわけもないのだった。

 金曜日の夜は、家に帰るとろくに食事もとらず、シャワーだけ浴びで布団にもぐりこんだ。しかし今夜は安眠できるわけではなく、またNo2とやり合わないといけないのである。

「タミさん、今更ですけど」

猫はすっと視線を私に向ける。

「No2というか、夢の中の町田君によく似た男は、実のところ何者なんでしょうね」

―タミの話を覚えておいででないのですね。タミも聞いてみたのです。しかしあの者は、部外者はそんなことを知る必要はないと言い放ち、タミを放り投げてしまったのですよ。

 そういえば、そんな話もあったかな。いちいち覚えてられるか、と言いたいのをぐっとこらえる。

―だから、あの者の正体を知りたければ、考えられる方法は二つ。

 猫はもったいぶって十分な間をとった後に、続ける。

―一つは、本人に直接訊くことです。しかしあの様子では、よほど弱みを握るなどの手段に出なければ、難しいかと思われます。そしてもう一つは、夢の中でお坊ちゃまを見つけ出し、直接訊くことです。

「どっちも大変そうですね……、起きてる時、町田君に電話して訊いちゃうのが一番早いような気がしてきました」

―無駄ですよ。起きているときのお坊ちゃまは、そういうことに関しては何ら感知されていないのですから。

 ため息が出そうになる。まあ、とりあえず駄目で元々、今度No2にでも訊いてみよう。

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