第17話 三週目③

 返却する本が乗せてあるワゴンを取りに一階へ戻ると、「安藤さん、ちょっと今こっちの本が多くて。お願いしていい?」と言われ、久々に地上で働くことになった。

 こうして見ると、昼間なのにそれなりに若い人もいる。子供を連れて来ている若い女性もいれば、一人で来ている若い男性もいる。図書館なのに、ずっと立ち読みしている人もいる。

 置いてある本は、地上のものも地下のものも大差ない。地下の物の方が古い本が多いけれど、見た目がちょっと古いからといって内容は似たりよったりなのではないか。それに、最近のものであれば、一年前と二年前の物とでは大きく違うように思えるけれど、長い視点で見れば二十年前も三十年前も大きく違わない。そんなことを考えているうちに、お昼休みになった。

 きっちり一時間後にチャイムが鳴り、「こっちは大丈夫だからまた地下お願いします」と言われ、地下に戻ることになった。短い娑婆だった。私としても地下の方が気が楽だ。地上だといつ話しかけられるかわからないので、落ち着かない。今日もまた、あれこれ記憶を取り出して点検してみることにする。

 町田君は、あまり世間話が好きではない人だった。しないわけではないけれど、周囲の人から普通の人だと思ってもらうために、仕方なくしている様子に見えた。しかし、なぜだか私を普通の人だと思っていない節があり、私にはある程度したい話をしてもいいと思っていた感触があった。少なくとも私はそう思っていた。

 流行りのテレビ番組についてだとか、どの大学が入りやすいかだとか、どの予備校へ行こうかなどの世間話は、彼にとってはどうでもよかった。彼がしたかったのは、自分も一日くらい街路樹になって道行く人を見ていたいだとか、雨の起源は何なのだろう、とか、そういう類のことだった。元々文芸部のメンバーは基準が他のクラスメイトとちょっとずれていた部分もあったので、ごく普通にそういう話をしていたのだが、彼は私と二人になるとさらにギアチェンジして、自分の話したいことを話し続けた……と思っていたけれども、実際はどうだったのだろう。

 部活のみんなといる時の町田君、私と二人でいた時の町田君は微妙に違い、クラスのみんなといるときの町田君はまた違った。親切で人が良いけれど、自分の意見は求められたときにしか言っていなかったように見えた。この人、あまり怒ったりしない代わりに笑ったりもしないだろうな、と思わせるような人だった。あの人の好さそうな笑顔の下で、本当はどんなことを考えていたんだろう。一人の人間が色々な面を持つのはごく自然なことだけど、私は彼の他人に見せる顔のバリエーションをどれくらい見ていたのだろう。そうして、その大元にある彼自身について、私はどれくらいのことを知っていたのだろか。

 仕事からの帰り道、最近では、道端で猫の姿が目につくようになった気がする。みんな、ずっと前からここにいましたけど、何か? といった表情を浮かべている。

 真っ暗な中、家の明かりの下で、門柱の上で、丸くなって体中を舐めまわしている猫を見る。じーっと見ていると、猫はやがて私の視線に気づき、じっと私の目を覗きこんでくる。今にも何か話しかけてきそうだけど、ちょっと待ってみてもテレパシーは伝わってこないようだった。 


 その週の金曜日の夜も、気が付くとまたあのおかしな夢の世界にいた。

 三回目ともなれば少しは慣れてきて、もうあの不思議なBGMにも、景色に溶け込む無数の扉にも動じなくなってきている。喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。

 しかしふと隣を見たとき、ファミリーレストランが出来上がっていたのには、さすがに驚きを隠せなかった。

「これは、何?」

「見ての通り、ファミリーレストランです」

「なんでこんなもんがあるのよ」

「びっくりさせようと思っただけです。期待通りのリアクションですね」

 相手のペースに乗せられてはいけない。むっつりとした顔を保ちつつ、しかしどんなものか気になり、つかつかと中へ入ってみる。

 見たことのある内装だった。ここは高校生の頃、みんなでよく訪れていた店ではないか。最近行っていないから確信が持てないけれども、内装の雰囲気もどことなく古めかしい。町田君の記憶の一コマなのだろうか。

「新商品をご紹介しようと思いまして。メビウスの輪ドーナツです」

 No2が言うと、テーブルの上に、皿に盛られたドーナツが現れた。チュロスのように見えるけど、輪をつなぐ前に一回ひねりが加えられているのだった。

 ご丁寧にコーヒーも用意してある。私はごてごてコーティングされたものよりも、こういう簡素なドーナツが好きなのだ。コーヒーの苦みとドーナツの香ばしさの組み合わせは、私が最も愛するものの一つである。誘惑に勝てず、椅子に座って、ドーナツを食べ始めた。

 おいしかった。予想に反してさほど甘くない。むしろ甘さはぎりぎりまで抑えられていて、生地は香ばしくかりっとしている。油の切れ方もちょうどよく、いくつでも食べられそうだ。

 おいしそうにすることは隙を見せることにつながりそうなので、必死になんでもない表情を浮かべた。

「周りの景色が見えないね。それに、タミさんもどっか行っちゃった……」

「夢の中とはいえ、残念ながら飲食店ではペットは同伴できないのです」

「タミさんはペットなの? 自分では、そんな言葉では言い表せないもっと重要な存在だったって力説してたけど」

 No2は呆れた目で私を見る。

「どう見たってペットじゃないですか。あなたは普段の生活の中でも、店員に『ペット同伴不可です』って言われたら、そう言って反論するつもりなんですか?」

 私が黙ったままでいると、彼はいつのまにか現れたドリンクマシーンから抹茶ミルクをとってきた。そのまま窓際の席へと向かっている。

「外が見たいんでしょう。ほら、タミの姿も見えます」

 いつの間にか窓が現れ、そこからは猫は蝶々と戯れている様子が見えた。なんとも平和な光景だった。

「言いたいことがあるなら、自分から言えばいいんじゃないですか」

 平和にドーナツを食べていたのに、予期せぬ質問を投げつけられ、体がこわばる。

「この間の話の続きをしたいんでしょう? あなたは」

 私が口を開こうとすると、

「あなたに話すことなんてありませんから」

 今度は突然遮られる。No2は、「自分から質問しなかった罰ですよ」と冷たく笑った。

「口を開けて待っていても、誰も何もしてくれないんですよ。あなただって、タミが空腹ではないかと思いつくのに、何日かかっていたことか」

「だって……」

「言い訳は結構です。不思議なものですが、人は空腹には耐えられないのに、不満にはある程度我慢がきいてしまうんですよね」

 どう答えるべきかよくわからないので、話題を変える。

「町田君は、甘い飲み物は嫌いだったはずだけど。高校生のときは、いつも自分の家から水筒持ってきてたし、甘いの買ってる人を見て顔をしかめてたよ。本当に同一人物なの?」

「あなたは、彼がなぜいつも水筒を持ってきていたのか知っているのですか?」

「さあ、お金を節約するため?」

「そう、早く家を出るためにね」

 それを聞いたとたん、なんだか胸がいっぱいになってしまった。

 私は三十近くまで、なんだかんだ言いながら、それは最終手段だと思っていた。しかし、町田君は十年前にもうそういう思いで日々を生きていたというのか。

「って言ったらどうします?」

「違うの?」

「ご想像にお任せします」

 そんなこと言われても、困ってしまう。

 想像してみて、そしてどうするのだろう。考えたってわかるわけない。本人じゃないんだから。でも、本人が言ったらそれが本当のことだってなるのだろうか? たまたま言った時の気分がそうだっただけで、それが本当に思っていることだとは、本人にももしかしたらわかっていないかもしれないではないか。メビウスの輪ドーナッツを食べながらそんなことを考える。なにやってんだろう、私は。たかが夢の中なのに。

彼は窓の外に一瞬目を向け、再び私を見た。

「あなたは、彼が私の偽物だって考えたことはないんですか?」

 とっさの難しい質問に、言葉に詰まっていると、

「あなたは自分の考えたことを話しているのですか? もしくは、誰かに言われたことをそのまま言っているだけですか?」

 いつの間にか微笑が消え、やけに真剣な表情で詰め寄られる。

そう、私は会う前から彼が偽物だと思っていた。猫の話から、町田君の行動を制限するもう一人の人物がいて、彼を思うように振る舞わせてくれない、そんなイメージができ上がっていた。もしそういった先入観なしにこの人を見たら、私はほぼ確実に「町田君」と呼びかけ、本人だと思ったことだろう。

「そういうの好きじゃないんですよね。自分の頭で考えることを疎かにして、誰かの言うことを鵜呑みにして、それが正しいと信じて疑わない」

 No2は、私と目を合わさないようにしているのか、外の景色を見ている。

 しかし、ここで何かをNo2から聞いたところで、その意見を鵜呑みにすることは、彼が言うまでもなく正しいこととは思えない。もしかすると、No2は私を騙して猫に対して疑いを持たせて、いいように操ろうとしているのかもしれないのだ。

 新たな飲み物を取に行くと、いつの間にかドリンクマシーンは消えていた。振り返ると、テーブルもファミリーレストランもすっかりなくなっていた。手に持ったカップすら消えている。

「何を突っ立っているのですか」

 いつの間にか猫が隣にいた。

「あの人、どこに消えたんですか?」

 猫の返答を待つ前に、夢の風景は静かに消えて行った。

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