第15話 三週目①

 日曜日までふらふらしているのは、さすがに何もなさすぎだろうと思い、静香さんをランチに誘ってみた。二人の家の中間あたりの駅で、十一時半に待ち合わせた。私は二十分前に着き、静香さんは十五分前に到着した。

 私は普段通り、ジーンズとカットソーに、古びたスプリングコート(ベージュだから年中着られる)という、学生時代から大差ない服装だけれど、静香さんはボルドーの薄い生地のセーター、紺色のひざ下丈のプリーツスカートに、灰色のコートという、年相応の恰好である。プリーツスカートだなんて、着るたびにクリーニングに出さないといけないような代物は、私には縁のない衣服だった。実家暮らしで余裕があるんだろうか、こういう僻んだものの見方をしてしまうのは私の悪い癖である。もしくは、彼女は余裕がなくても服装にはきちんとお金をかけるタイプなのかもしれない。

 そんな彼女は、私を見るなり目を見開いた。

「もしかして安ちゃんって、いつも待ち合わせにはこんなに早く来てるの?」

「まあ、たまたまだよ。静香さんこそ早いね。嫌なことでもあったの?」

 静香さんは顔をしかめて、なんでそう思うのか尋ねる。

「早く家を出たかったのかな、と思って。あ、私の場合だけど」

「安ちゃんこそ、何かあった?」

「とりあえずお店入って、食べながら話そうか」


 何度か行ったことのあるカレー屋さんに入る。ランチメニューが税込み八百五十円、ナン、サラダとヨーグルト、ドリンクもついている。

「誘ってもらえてよかった。安ちゃんの言う通り、あんまり家にいたくなかったんだよね」

 連絡したのは朝の八時過ぎだった。寝起きの悪い静香さんのことだから、返事が来るのは早くても十時頃かと思っていたら、予想に反してすぐに返信があった。

「面白くないことでもあったの?」

「うん。母親に早く結婚しろって言われた」

「相手いたんだ」

 彼女は首を横に振った。

「婚活しろ、だとさ。私もとうとう、家を出る時が来たかなあ」

 私は大きく頷いた。

「私は実家と距離を置いてるから、そういうことを言われる機会は少ないけど、そういうの、なんだかなあって思うよね。ほら、親の世代って、二十五歳までに結婚して、女性は仕事を辞めて、家事をして子育てするのが人としてあるべき姿だったらしいじゃない。だから、こうして娘が独身のまま仕事しながら一人でいるのが、異様なことに感じられるんだよね、きっと」

「私も、そうなのかなって思ってたんだけど」

 静香さんはちょっと考え込む。

「実際言われてみて、感じたことはちょっと違うんだ。

 うちの母親は、自分の育て方が間違っていたから、私がいつまでも結婚できないんだと思っているみたいなのよ。自分達夫婦が平均より円満じゃなかったから、私を世間並みの考え方をする大人に育てられなかったから、自分がどこかで間違った育て方をしたから私がいつまでも独身でいる。誰かと手に手をとって協力して生きて行く、というごく普通の考え方ができない人間に育ってしまった。

 実際にどうかは知らないんだけど、近所や親戚から、そんな感じで非難されているように思っているらしくて。だから、私に『どこで育て方を間違ったのかしらね』って言って、私がむっとしているのを見て、清々してるの」

 今更気づいたの、と言うべきか、今まで気づかなくて幸せだったね、と言うべきか。どちらを言っても嫌味になってしまいそうだが、私が今静香さんの言っていることに心から頷いていた。

「みんなが一人暮らしする理由がわかったかも」

「じゃあ、この後、物件探しに行こうか?」

「そうだね、家賃の相場くらい確認しておくかな」

 やがてやってきたカレーを、私たちは、無言のままひたすら食べ続けた。

 そう、親と自分とは生きている世代も、立場も、考え方も違う。親が育てたからとはいえ、同じ考え方をする人間にはならない。結婚する、しないが見えやすい問題だから大きく取り扱われがちだけど、それだけじゃない。実家にいる間、常に感じていたあの違和感。「なんでこの子は私の思う通りにならないのかしら」「なんで世間と外れた行動をとろうとするのかしら」云々。随所に隠れている無言のプレッシャーは、「やってらんない」の一言に尽きる。 


 カレー屋を出て、それからしばらく街をぶらぶらして、そうしてまた違う喫茶店に入った。壁もテーブルも椅子も白い。北欧風とでもいうのだろうか。私一人だったらあまり選ばないような店だけど、静香さんの雰囲気には似合っていた。運ばれてきたカップはどちらもカラフルだったけれども、色も模様も形も違って、そこがまた面白い。おしゃれなカップに入ったコーヒーをすすると、少し苦めだった。

「私、親には転職することも言ってないよ」

 と言うと静香さんは「今ならわかるかも」と呟いた。

「別に、認めて欲しいなんて言ってるわけじゃないよ。でも、目の前で『育て方を間違えた』なんて言われたら、じゃあそうして間違えて育てられた私って何なのって一瞬思っちゃうよね。単にちょっと八つ当たりしてみたくて言った言葉だったにしてもねえ。『じゃあ産まなきゃよかったんじゃない』って言い返すような年齢でもないけど、『そこまで言うなら、ちゃんと自分の思い通りになるように育てればよかったんじゃない?』くらい言いたくなってしまう……ううん、この怒りの矛先はどこに向ければいいんだ……?」

「そうそう。間違えられない育てられ方をしていたら、もっといい人生送れてたんじゃないか? とか思っちゃいそう」

 自分の言ったことに、一瞬「?」マークが浮かぶ。

 間違った育てられ方をしたから、間違えられない育てられ方をしていたら……?

 しかし、話題はいつの間にか静香さんの職場の同僚の愚痴になっていた。それがあまりに私の嫌いな人に良く似ていたので、一緒になってわいわい言い合い、そうしているうちに浮かびかけた疑問はどこかへ行ってしまった。


 気がつくと五時になっていて、結局物件を見ないまま解散することになった。

「大人になっても、五時の鐘って大事なのね」

「悪いね、家事やら何やらあって、結局六時くらいまでには家に着いていたいんだ」

 大学生の頃は、なんだかんだ言って残り物くらいは残してもらえていたので、家事の時間など気にしていなかった。結局日々の生活なんてこんなものだ。文句言いつつも、親にほぼすべての家事を押し付けていたのも事実なのだ。台所も洗濯機も一つしかなく、お互い夜寝て昼間活動する生活様式だと、違う時間にそれらを使い分けることは難しくて、結果、母親がすべてを担うことになっていた。手伝おうにもそれぞれ流儀が違うので、分担するのもままならなかったのだ、と言い訳すればできないこともないけれども。

「あのさ、立ち入ったこときいてもいい?」

 静香さんがいう。

「安ちゃんも、親御さんとうまくいってないの?」

 私が何を言おうか考えて、しばらくの間言葉が出なかった。

「あ、ごめんね。安ちゃん、高校生の頃とかはよくお母さんのお話とかしてて、楽しそうな家族なんだなと思ってたんだけどさ、仕事だって家から全然通えるのにどうしてなんだろうとか、前から疑問だったんだよね。自由が大事だっていうのもわかるんだけど」

「私、家を出てから親とは一度も連絡とってないんだ」

「え? もう一年経つよね?」

「去年の十二月に引っ越したから、まだ一年ではないんだけど」

 静香さんが何を聞いていいか迷っているようだったので、

「母親が勝手にお見合いのセッティングしたの。私の了解も得ずに」

 静香さんは納得したようだった。

 話が中途半端だったけど、詳しく話そうとするともう一軒行かなければいけないので、この話はまた今度ということになった。

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