第13話 二週目⑤

 土曜日の朝は、昨日、マラソン大会に出て十キロ走ってしまったのではないかと言わんばかりの疲労感に襲われていた。

―おはようございます。

 コーヒーを淹れていると、猫が起きてきた。普通の猫がどんな生き物なのかよく知らないが、この猫は私が起きた後に起きて、寝る前に寝る。昼間も、多分それなりに寝ているのだと思う。猫ってこんなに寝るものなのだろうか。それとも、この部屋が狭いから他にすることがないのだろうか。

「タミさん、この部屋狭いですか?」

―お引越しでもされるのですか。

「いや、ここじゃ昨日みたいにゆっくり走り回れないし。たまには公園でも行った方がいいのかな、と思いまして」

 猫は、きょとんとして私を見上げる。

「夢の中で、楽しそうに走り回っていましたよね?」

―そうでしたか。

 猫は他人事のように呟く。

―まあ、普段は走るより寝るほうが好きなので、ご心配なく。

 猫は猫ベットに戻ると、丸くなりながら、自分の手やら足やらを舐め始めた。


 今日はこのままだらだらしていようかと思ったものの、やはり他者の気配のある部屋ではゆっくり休めそうにない。仕方ないので九時から開館する地元の図書館へ行くことにした。職場とは違う図書館とはいえ、もう少し行動範囲が広がらないものだろうかと思いながらも、やはり図書館は落ち着くのだった。

 しかし、いざ行ってみると、それまで馴染んでいた地元の図書館はよそよそしい場所になっていた。並んでいる本の品揃えが職場と違う。建物が変に新しくて、懐かしい感じがしない。建物の素材も、いかにも鉄筋コンクリートですといった様子が気に食わない。

 徒歩で行く私がこんなことまで気にするのは単なる言いがかりだが、駐輪場も手狭だ。そして何より、私は書庫に行かれないし、ここには私の机もないのだ。席が欲しければ、自習室へ行って空いている机を探さないといけない。私物を残せないのは当然だし、飲食だってできやしない。

 自分専用ではない席では自由に振る舞うこともままならず(仕事中もさほど自由に振る舞っているとは言えないにしても)、居心地が悪いだけだった。数冊本を借りて、図書館を後にした。


 駅ビルの喫茶店に入り、ワンコインで頼めるケーキセットを注文する。同じように自分専用の席ではないのに、こうして落ち着けるのは何故だろう。まあ、喫茶店は人が居心地良く過ごせるよう、内装、座り心地、音楽などに様々な工夫が凝らされているのだ。営利目的でない図書館と比較しても意味はないのかもしれないが。この、適度に周囲の人達の会話が耳に入ってくるところ、食べながらだらだらできる雰囲気、今の私が落ち着けるのは、こういう雑踏の中なのだ。猫も夢も関係なく、義務も労働もなく、雪虫のようにぽわんとしていればよいだけだ。

 しかし、自分で自分の時間を有り余るほど使えるということは、つまりは私のことを必要としている人が、それだけいないもと言い代えられる。誰かのために時間を割く必要がないのは、誰からも必要とされていないからなのだ。あんなに他者に煩わされていらいらしているのに、煩わす存在がないとそれはそれで寂しい。


 昨日のNo2の質問が頭をよぎる。

 私はなんであんな世界に行くようになったのか、そして何のためにい続けているのか。

 やっぱり、猫に言われたからとしか言いようがない。猫に連れて行かれたから、猫に川を渡れと言われたから、猫に力を貸すように言われたから……、私はそれに対してどう思っているのか?

 騒がしくなってきたなと思って我に返ると、店内が混み始めていた。もう十二時に近い。ここでご飯まで済ませるにはお財布の底力が足りないので、仕方なく店を後にし、帰宅した。


―浮かない顔をされていますね。

 猫にまで、見透かされている。

「そうですか?」

 とりあえず誤魔化し、冷蔵庫の残り物でチャーハンを作る。食後にインスタントコーヒーに豆乳を入れたものを飲む、

―午後はどこかへ行かれるのですか。

段々と猫が鬱陶しくなってくる。私の家はテレビが置いていないので、こんなときに「今テレビ見てるんで」と曖昧にすることができないことに気づく。テレビって、一人暮らしの人が寂しいから見るというより、複数人で暮らしている人たちの間を適度に保つためにあるのではないか、と思ってしまう。

「私の家なんだから、休みの日くらい、ゆっくりさせて下さい」

 猫は黙って私を見上げている。

―わかりました。

 寝床に戻ると、すやすやと寝息を立て始めた。

 こういうのも、八つ当たりに入るのだろうか。動物を可愛がる機会はないにせよ、いじめるのには断固反対なのに。私も昼寝でもするかな、とベッドに横になってみた。

 しかし、思ったほど眠くはない。むしろ、朝は精神的な疲れが多かっただけで、体はほとんど疲れていない。これは、ちょっと運動して来ないと眠れなくなるかもしれない。

 運動といっても、私にとっての運動は歩くことくらいだ。いつの間にか、秋も深まってきている。前の職場を辞めた直後も、こうしてよく海辺を歩いていた。あれは九月だったから、こんな時間帯には暑すぎて歩く気になんてなれなかった。今は、昼間の気温は何度くらいなのか。風も涼しく、日焼け対策の帽子さえ被れば、いくらでも歩き続けられる。

 散歩を終えると、駅まで歩き、駅ビルの中でうろうろする。呑気に散財している余裕はないので、ウィンドショッピング中心である。

 五時前になり、スーパーで買い物をして帰宅する。キャベツと豚肉がメインの焼きそばを食べ、入浴を済ませ、音楽をかけながら布団に寝転がる。猫が何か話したそうにこちらを見ているが、気づかない振りをして、普段より早めに消灯した。

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