第12話 二週目④

 気が付くと、そこはもう川の向こうだった。目の前には見渡す限りの草原が広がり、微睡むような薄曇りの空には無数の扉が浮いている。私が前回開けた扉は、この前と同じ位置にあったが、何事もなかったかのように閉じられていた。

「いらっしゃいましたね」

 振り返ると、No2がいた。

「この間はお茶もお出しせずに、失礼致しました。さあ、お上がり下さい」

 彼が言うと同時に、アウトドア用のプラスチックでできたテーブルと椅子が出現した。テーブルの上にはカップが二つ置かれている。一つには緑色の液体が、もう一つには茶色の液体が入っている。

「どっちが毒入りなの?」

「ミステリーの読み過ぎです」

 No2は抹茶色の液体が入ったカップを手に取る。ミドリムシ? と尋ねると、顔をしかめて、カップを机に戻した。

「そういう冗談はやめてもらえませんか? 私が虫が得意でないことは知っているでしょう」

「そんなの知らないよ。町田君が虫嫌いなことは知ってるけど」

「私は、町田君なんですけどね」

 彼はすっと品の良い笑みを浮かべる。こんなやりとりをした後でなければ、感じのいい好青年に見えるかもしれないが、今の状況では何か裏があるのではないかと勘繰らせるだけだった。

「それってもしや抹茶ラテ?」

「そうですよ」

「甘いの?」

「当然です」

 声を落として、「町田君は、甘いもの飲めないはずだけど」と言ってみる。

私を見ながら特に答えもせず、彼はいったんテーブルに置いたカップを持ち上げると、一気に飲み干した。

「あなたがどういう考えでいるのかわかりませんが、何を根拠に、人を偽物呼ばわりしているんです」

「だって、確かに外見は瓜二つだと思うけど、違う人と話してる気がするんだもん……」

「それは、私が敬語で話しているからではないですか。ほら、これならどうでしょう」

 No2は、幹事会のときに町田君が話していたのと同じ口調で話し始める。

「これでも、まだ私が町田君ではないと言い張るつもりなんですか?」

 なんとも結論が出せないまま、なす術がない。ぼーっと突っ立っていても仕方ないので、コーヒーカップを手に取る。

「おいしいじゃない」

「器用ですから」

 町田君もどちらかというと器用な方だった。

「あの、ところでこの間訊き忘れたんだけど、いったいこれは何なの?」

「これ、と言いますと?」

「ここはどこ? なんで私はここにいるの……?」

 このようなセリフは、記憶喪失の人しか口にしないものだと思っていたけれど、この状況ではそう言わざるを得ない。

「ここは、私の夢の中です」

 No2は辺りを見回す。

「そして、何であなたがここにいるのかは、私の方が知りたいくらいですよ。私はただ、平日の仕事が終わり、ゆっくり原っぱでピクニックしようと思っていただけなのに。せっかく淹れたコーヒーはあなたに飲まれてしまうし、その辺にいた小鳥たちはあなたを怖がって逃げてしまったし、あんまりですよ。私の方こそ、お尋ねしてもていいですか? あなたはなんでここにいるんですか?」

「私は、猫、タミさんに連れられて来たからここにいるだけだもん」

「猫のせいにしちゃって。自分の意志で来たんでしょう」

 また「だって」と言おうとして、違和感を覚える。

「あれ? タミさんは?」

「タミは、小鳥たちを追って向こうへ行ってしまいましたよ」

「じゃあ、小鳥を追っ払ったのは、私じゃなくてタミさんじゃない」

「あなたに驚いて小鳥たちが逃げて、タミはそれを追って行ったんです。まあ、いずれにせよ小鳥たちがいなくなってしまったことに変わりはありませんが」

 名残惜しそうな様子が、なんだか白々しい。

「小鳥好きだったっけ?」

「特に興味はありませんけど」

「だったら小鳥が飛んでったくらいで文句言わないでよ」

「目の前にある時には気づかなかったけれど、去ってしまってからその価値に気づくものって、あるじゃないですか」

 こやつと話すのも疲れてきたので、コーヒーを飲みながら景色を眺める。

 この間渡った川の支流なのか、小川のせせらぎが聞こえる。風に草がそよいでいるのか、遠くで鳥が鳴いているのか、絶えずさやさやと心地よい音がしている。名前はわからないけど、小さくて可愛いらしい様々な種類の花が一面に咲いている。心を落ち着けると、ほんのり花の香りが漂ってくる。このまま昼寝でもしたくなってしまうような……ああ、忘れてた。既に夢の中にいるんだっけ。

「あの、レクリエーションとか言ってたのは何?」

「ああ、もう一度やりますか?」

「その前に、ルールを説明してよ。いきなり始められたって困るって。初めてスマートフォンを持った人に、ろくに説明もせずにアプリをダウンロードさせて、通信料を残り百メガバイトにするようなもんじゃない」

「体験談ですか? あなたらしいエピソードですね」

 No2はあざ笑うかのように口角を上げる。

「あなたはここで、三回まで扉を開けることができます。正しい扉を選ぶことができたら、めでたく彼に会うことができるというわけです」

「なんで三回なの?」

 No2はいい質問ですねとつぶやく。

「ハンデですよ、あなた、とろそうなので」

 なんですってと言おうとすると、急に彼が真顔になる。

「ところで、あなたの目的はなんですか?」

「私の目的……?」

 なんだか、そんな言い方をされると、私が自ら進んでここにきて、私が言い出したからゲームが始まったのだと言われているような気になってしまう 考えすぎかしら?

「あ、タミが戻ってきました」

 お花畑の向こうから、猫が走ってくる。家にいるときにはいつものそのそしているので、俊敏に走る猫を見たのは初めてかもしれなかった。夢の中だと、日頃猫のパワーを制限している何かが外れて、こうして元気が出るのだろか。

「そろそろ、あなたも戻ったらどうですか」

 No2が言うと同時に、目の前の景色が遠ざかっていった。

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