第10話 二週目②

 そんなこと言われたら、元飼い主から譲ってもらうしかないではないか。しかし今、時は朝の八時である。

 一時間待って、町田君にメールをしてみる。友達が猫を飼い始めることになって、早急に猫の寝床が欲しいらしい、急で申し訳ないが、町田君の猫が使っていた猫ベッドなるものをしばらくの間借りられないだろうか、お礼はなんなりとるすから、というどことなく奇妙な文面になってしまった。

―他の猫の匂いがついてると、嫌がるかもよ。

 すぐに返事が返ってくる。

―大丈夫、鈍感な猫だから。その子、お金がなくて、猫ベッドが買えなくて困ってるんだって。

―猫ベッドも買えないようじゃ、今後猫の餌も買い続けられないんじゃないの? そんな人が猫飼うのには賛成できないな。

 話し合いは難航したけれども、なんとか言いくるめて、どうにか譲ってもらえることになった。町田君宅の最寄駅で、夕方四時ごろ待ち合わせをすることにした。


 待ち合わせの五分前に駅に着くと、彼はもう既に待っていた。

「悪いね、休みの日なのにわざわざ」

「昨日言ってくれればそのまま寄ってもらえたのに」

「今朝急に、即急に欲しいって言われちゃってさ。ごめんね」

「友達に、言われたの?」

「ううん、友達じゃなくて……じゃない、友達に」

 町田君は怪訝そうな様子で私を見た。なにか怪しまれているような気がするけれども、仕方がない、猫に言われたと言うわけにはいかない。

「餌のお皿とか、トイレなんかもあるけど、いる?」

 そういえば、どうなのだろう、ベッドだけ持って帰ったら、また気の利かない小娘だとなじられるのだろうか。

「とりあえず、これだけで大丈夫だと思う。どうもありがとう」

 町田君はうなずくと、一瞬もの言いたげな表情を浮かべて、でも特段なにも言わずに去っていった。


 ベッドを持って帰ると、猫は想像以上に喜んだ。

―まあ、本当にタミのベッドを持ってくるとは! お坊ちゃまにタミの形見を手放させることができるだなんて、あなたにそんなことが可能だとは思っていませんでした。

 一言多いのは相変わらずだったが、さっそくベッドに入り、匂いをかぐと、うっとりしたような顔で横になった。

「実家に返しても、どうせ捨てられるだけだからって」

それにおそらくは、自分のアパートの置いたとしても、主のいないベッドを見るのは今は辛いのだろうと思われた。

―そうですね、奥様は、いなくなった生き物のことを懐かしむような方ではありませんからね。

 猫はそのまま丸くなり、すやすやと眠ってしまった。


 どたばたしているうちに週末も終わり、いつものように電車に乗り込む、火曜日の朝。図書館は月曜日が休みなので、ここ最近私の週明けは火曜日なのだ。

 この三日間で現実世界からだいぶ遠ざかってしまったので、通勤中に可能な限り仕事モードへと切り替えなければいけない。普段よりもしゃきしゃきと歩きながら、さほど慣れていない駅を通過し、さほど慣れていない道を歩き、さほど慣れていない職場へと向かう。

 アイポットシャッフルを普段より大きめの音量でかけていたら、数曲目でそっくり人形展覧会が再生された。思わず叫びそうになりながら、慌てて停止ボタンを押した。

 二十分ほど歩き、職場に到着する。既に机についている人達にあいさつしながら、自分の席へと向かう。特に事務作業はないものの、一応机を与えてもらっているのだ。始業時間の五分前、コーヒーを淹れて一休みする。

 ベルが鳴ると同時に立ち上がり、返却された本を棚に戻す作業に没頭する。途中で十五分間休憩が入るが、それまではひたすら一人だ。

 誰でも閲覧できる開架と呼ばれる棚には、職員さんやボランティアさんが返却してくれる。よって私の作業は九割以上が地下の部屋で行われる。

 地下にしまわれた本たち、コンピュータ検索にひっかかって、リクエストがあったときにだけ日の目をみることができる物たち。普段の生活の中では、なかなか出会えなさそうな数々の本。猫のことがなければ、こちらもそれなりに非日常的な空間といえそうだ。


 猫が現れてから、四日間が経過した。

 金曜日の夜家に帰ると、化け猫が布団の上に居座って私を睨みつけていた。その猫は、自分は町田晋の飼い猫だったと言った。彼とは高校の同級生で、卒業してから十年近く付き合いがなかったのに、なぜ今頃になってそんな人の飼い猫が私を訪れたかというと……、今更ながら、よくわからないことに気づく。簡潔に言うと、猫は、町田君が夢の中でえらく悩んでいたと言い、私がそれを解決する手助けができるのではないかと考えている、そんなところだろうか。


 そうこうしているうちに、十一時五十五分になっていた。まだまだ棚に戻すべき本はたくさんあるけど、時間できっちり区切る。先週、五分遅れて地上へ戻ったら「返却する本はなくならないんだから、時間内だけ働いてもらえればいいんですからね」と釘を刺されたのだ。どうやら、あまりに頑張る人だとやがて燃え尽きて辞めてしまうらしい。言いかえると、適当にやっている人が長く続けられる業務ということなのだろう。

 エレベーターに乗り込む。しばし地下の世界とはおさらばだ。席に着くと、ちょうど十二時のチャイムが鳴った。

「お疲れさま」

 隣の席の大沢さんが、微笑みながら声をかけてくれる。人と会話をするのは数時間ぶりである。

「大沢さんって、猫飼ってるんですよね?」

 大沢さんとは、いつもお弁当を食べながら世間話をしている。

「うん」

「猫って、可愛いですか?」

「一応好きで飼ってるから、可愛いと思ってるけど。写真見る?」

 彼女は箸を置くと、カバンから携帯電話を取り出す。画面を開けると、幼い顔立ちの猫が不思議そうにこちらを見ている。真っ白で、ふわふわしていて、まだ成猫になりきっていない、いたいけない少女のような猫だった。あっけにとられて見ていると、「どうかした?」と怪訝そうな顔をされた。

「猫って、こんなに可愛いいんですね、それとも飼い主に似たのか。びっくりしました」

「そんなに褒めなくても大丈夫だよー」

 と笑われる。大沢さんは私より幾つか年上で、一年前に結婚したばかりだ。猫を飼い始めたのは最近らしい。

「こういう可愛い猫って、やっぱりペットショップで買うんですか?」

「うちのは、里親を探している人から譲ってもらった猫だよ。捨てられてる猫がわんさかいるんだから、あえて買わなくてもって思うんだよね」

 大沢さんは携帯を脇に置くと、再びお弁当に手を付ける。

「もしかして、安藤さんも猫飼おうと思ってるの?」

「ううん、全然思ってないんですけど、最近猫が家にいついてしまいそうで……期限付きなんですけどね」

「期限付き? どういう意味?」

 なんと言えばいいのだろう。幽霊だから死後四十九日が経過したらあの世へ行くらしいです、だなんて言えるわけがない。

「ああ、誰かから預かってるの?」

「まあ、そんなところです」

「どんな猫なの?」

「ばあさん猫です」

 大沢さんは声をあげて笑い出す。

「ごめん、笑っちゃって。でも、いいなあ。成熟した猫の魅力がありそう」

 成熟を通り越して化け猫なんですけどね……と言うのは心の中だけにしておく。

「見るだけならまだあまり害はないんですけど、口が悪いんですよ」

「口が悪いの? 猫が?」

 大沢さんの目が真剣になる。本気で口の悪い猫について思いを巡らしているのだろうか。「見た目が、なんていうか、きついこと言いそうに見えるんですよね、目なんかこう、吊り上がっちゃってるような」

「たれ目の猫も、あまり見たことないけど」

 大沢さんは新たな疑問を持った様子だったが、それ以上訊いてくることはなかった。

 危ういところだった。確かに、猫は口を使って言葉を発しているわけではないけど、テレパシーでも使っているのか、猫の話していることは私の頭の中に日本語で響いているのだ。私の言うことは口に出さないと伝わらないようだけど。いくらなんでも心まで読むような猫なら、追い出すしかないけれど。しかし、当初猫に話しかけられて怯えていた私も、三日も経つとすっかり慣れてしまっていたようだった。やはり猫は恐ろしい。

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