第8話 一週目⑥

 今日の夢はおかしい、おかしすぎる。いくら夢だからって、よくわからない領域へ足を踏み入れて犯罪者扱いされてしまったら、たまったもんじゃない。

「何を躊躇っているのです。お行きなさい」

「こんな状況で躊躇わない人はいないと思うんですけど」

「かまととぶって。何があるか、薄々勘付いているのでしょう」

 勘付いているも何も、猫が絡んでいる時点で何があるかはわかりきっている。

 諦めて、えいやっ、とばかりに歩き出す。思ったよりも冷たい水だ。流れも強く、私を押し流そうとするかのようだった。しかし、一歩踏み出してしまったからには、もはや引き返す余裕もない。かといって、じっとしていても体力が消耗するばかりである。一歩一歩、ただ前に進むことだけに意識を集中させる。

 一方猫は、そのでっぷりとした体をものともせずに、水の上をぴゅーんとアメンボのように跳んで行く。さすが化け猫だ。

 膝上くらいまでだった水嵩は徐々に上がって行き、胸のあたりにまで達していた。激しい運動で発する熱が、発したそばから奪われていく。もうここまで寒くなると、自分が何を感じているのかもわからなくなってくる。恐怖も薄れていく。不快感を感じ続けると神経が参ってしまうから、こうして閾値を超えると苦痛が薄れて行くように、人間できているのだろうか。

 夢の中で息絶えたら、夢から覚めて現実へ戻れるのか。いっそ流れに身をゆだねて、流されてしまったほうがいいのだろうか。でもそうしたら、川の向こうにある世界とは、もう接する機会がなくなってしまうかもしれない。チャンスは、すぐ目の前にあるかもしれないというのに。

 息を止めて、無我夢中で残りの数歩を歩ききる。陸に着いたと思った途端、意識が薄れていった。

「そろそろ止まってもいい頃だと思うのですが」

 猫の声に振り返ると、川を出てからも三十メートルほど歩いていたようだった。もう少し早く止めてくれてもよいものを。

「ああ、大変だった。私、体力ないんですよ。流されるかと思った」

「ここでは、体力よりも気力が大切です」

「どちらも自信ないんですよね。ところで、ここには何があるんですか?」

 猫は怪訝そうに私を見る。

「あなたには、見えないんですか?」

 何がですか、と訊こうと思ったその時だった。目の前に人影が現れた。

「はじめましてと言うべきでしょうか、一応」

 そこにいたのは、見知った人だった、と言いたいところだけど、多分違うのだろう。きっとこれが、猫が話していた、町田君にそっくりな人物なのだろうと思った。

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