第6話 一週目④

突然みんなの話し声が遠のいていく。


 二人が付き合い始めたのがいつだったのか正確には知らないけど、みんなの前で堂々と一緒にいるようになったのは、私や町田君が高校三年生だった時、一学期も終わりの頃、期末テストが終わったあたりだった。夏休みを目前に控えて、カップルができやすい時期だった。

 それから卒業するまでのことはあまり記憶にない。でも、少なくとも翌年、卒業して一年目の夏休みにみんなで母校を訪れたときには、二人は既に一緒ではなかった。そこに町田君の姿はなく、加奈子さんは、同級生らしい見知らぬ男子生徒と仲睦まじい様子を見せていた。町田君はどちらかというと一昔前の世代のような雰囲気を醸し出していたのに対して、こちらの若者はいかにも最近の人に見えた。趣味に一貫性がない、と彼らを冷ややかに眺める私の不審気な視線に気づいたのか、あの男子生徒は見ての通り加奈子さんの現在の彼氏なのだと、静香さんに耳打ちされた。

 何だったのだろう、あの出来事は。私はどうかしている。あの時以来、本来であればさして興味もなかったはずの人を、意識しすぎているのではないだろうか。


「安ちゃん、聞いてるの?」

 静香さんの声に、「へっ?」と返すと、みんなが笑った。

「相変わらず人の話を聞いてないよね」

 よりにもよって町田君に指摘され、他の人に言われるよりも余計に腹が立つ。

「だって、最近、あまり人と話してないんだもん」 

「じゃあ、誰と話してるんですか?」

 と西本さん。

「ねこ……寝ころんで漫画読んでる」

 うっかり「猫と」と言いそうになり、そんな自分にぎょっとする。しかし、冷静に考えると、猫と話したのは昨夜の出来事だ。最近という表現は相応しくない。昨夜のほんの数時間程度の出来事を「最近」とくくってしまうくらい、他者との会話がないのか。気をつけねば。

「今日決めないといけないことはだいたい決まったから、今日はこれで解散して、この後行ける人で東急ハンズへ行ってプレゼント買おうって話になったんだけど。聞いてた?」

 もちろん聞いていなかったけれども、とりあえず首は縦に振っておく。

「安ちゃんはどうする?」

 と静香さん。

「誰が行くの?」

「僕と静香さんの二人」

 と町田君。

「じゃあ私も行こうかな、三人で選んだ方が、意見が偏らなくていいと思うし」

 町田君と静香さんを二人きりで行かせないために名乗り出たわけではない、念のため。


 私と静香さんは後に残るものを考えていたのだけど、町田君は残らないものを選びたいらしく、意見が分かれた。結局は無難に、可愛いプリント模様の手ぬぐいセットに落ち着いた。彼曰く、嵩張らないし、使用用途も多岐に渡るし、雑巾にすれば最後まで使えるのがいいらしい。

 パーティーでみんなからプレゼントするのが手ぬぐいとはなんとも地味すぎる、と私達も粘ったのだが。

「でも、君たちの言ってる日本酒の晩酌セットとかって、ああいうのは、他からも貰いそうじゃない? 子供が生まれたりしたら、多分また引っ越すだろう。嵩張る物をもらうと、そういうとき大変だよ。手ぬぐいはコンパクトだし消耗品だから、見た目の豪華さはないにしても、後でこっちのほうがよかったって思うよ」

 我々は「はあ」と言うしかなかった。彼の言うことは最もだけど、今からそこまで見据えてプレゼントを選ばないといけないものだろうか。したたかな彼女のことだから、気にいらなければさっさとリサイクルショップに売ってしまうこともあり得るが。


 買い物が終わると、お茶でもしようということになった。

 もちろん、文芸部には我々の他にも部員はいたし、パーティーには十数名ほど参加することになっている。仕事や住居の都合でこのメンバーが幹事になっただけだった。特に仲良しだったわけではないこの三人でテーブルを囲む日が来るだなんて、人生何があるかわからない。

「で、どうなの?」

 静香さんが町田君をさっと見て、にやにやしている。

「何が?」

「この間ちらっとしか訊けなかったけど、彼女いるんでしょう?」

「ああ、いるけど、何か?」

 あからさまな「質問しないで」という態度に、その話題は発展しなかった。

「安ちゃんは今何してるの?」

「最近、図書館で臨時の仕事が見つかって、週に四日働いてるの」

「よかったね、仕事見つかって」

 私達が何食わぬ顔で話していると、

「ちょっと待って、何の話? 仕事辞めたの?」

 と町田君。

「うん、先月ね。今の仕事はつなぎで、来年からは市役所で働くの」

「質問に対する答えが微妙にずれてる気がするんだけど……」

「前いた会社、けっこう大変だったんだよね。今は当面の生活費があればいいんだ。来年から本腰入れて頑張ればいいやと思って」

「いいなあ」

 町田君は、言ってしまってから、はっとした様子を見せる。

「あ、ごめん、それは安藤さんだって、人が思うほど楽な生活を送っているわけじゃないというのはわかるんだけど、つい……」

うらやましくなって? と静香さん。

「何がうらやましいの?」

 つい眉間に皺がよる。

「僕なんて、今の仕事から解放されるのは何十年先かと思うと、一時的であるにせよ何にも縛られてないのは羨ましいことだよ。だって安藤さんは、仮に来週で図書館を辞めて突然海外へ行ったりしても、誰からも咎められないんだろう?」

「まあ、お金の心配しなきゃね。町田君も思い切って辞めてみたら?」

「今更、他に雇ってくれるところなんてないよ」

「結婚もできなくなっちゃうよね、失業したら」

 静香さんがさっきの話題をぶり返そうとしたけれども、町田君は気づかないふりをした。

「安ちゃんは、結婚願望とかないの?」

「なぜ突然私に……。今は全然ないよ。ようやく一人になれたんだから、しばらくは一人でゆっくりしたい」

「安藤さん、すごいね。一人暮らしなのに、バイトで頑張ってるんだ」

「はっきり言って、足りないから貯金を切り崩してる」

「それでも実家には戻らないんだ」

「次の職場も今のところから通えるから、まあいいかなと思って」

「まあ、引っ越しも面倒だもんな」

 三人は一瞬黙ってから、飲み物を一口すすった。

「図書館の仕事も、面白そうだよね。何してるの?」

 沈黙を破ったのは町田君だ。

「けっこう退屈だよ。ひたすら、返却された本を棚に戻すだけだし。賽の河原で石を積んでいるようなもんだよ」

「どんな仕事だって、賽の河原で石を積んでいるようなもんだよ。大差ないさ」

 ちらっと彼の表情を盗み見る。冗談を言っているようではなさそうだ。

「もしかして、閉架の本も返却するの?」

「私がしなくて誰がするのよ」

 私の言い方が変だったのか、二人とも笑っている。

 静香さんに「ヘイカって何?」と聞かれたので、地下にある古い本をしまっておく倉庫だということを説明した。

「図書館に来た人は、どうやってそこの本を借りるの?」

「もしや静香さん、あまり図書館へ行かないでしょう?」

「行かないよ、欲しい本は買うから」

 これだから実家暮らしはいいなあと思っていると、

「借りたい本をコンピュータで検索すると、本の在り処が表示されるんだ。そこに閉架と書かれていたら、地下にあるってことだから、受付の人にレシートを渡して、取ってきてもらうんだよ」

 私が答える前に町田君が説明してくれた。

「よく知ってるね」

「常識だよ」

「実は私も、図書館で働くまではよく知らなかったの」

「じゃあ、本棚にない本を借りたい場合はどうしてたの?」

「本棚にある本が全部だと思ってたから、見当たらなかったらないと思ってた」

 町田君は、「まったく、二人とも」と言いながら、

「見えないものだって、存在するんだよ」

 と、どこか得意げな表情を見せた。

「利用率が低い本も全部表に並べようとすると、とてもじゃないけど収集つかなくなっちゃうんだと思うよ。実際、私の勤務先では、全部の本の三分の一くらいしか地上に置いてないらしいの。閉架の本もかなり借りられていると思うんだけど、やっぱり利用の少ないものは地下に持って行かざるを得ないんだよね」


 そうこうしているうちに、気づけば五時になっていた。

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