第5話 一週目③

―タミに八つ当たりしてもどうにもなりません。自分のことは、自分で解決しないと、ね。

 化け猫に諭されるだなんて、何たる不覚。声を出すこともままならず、ただほんの少しだけ、首を前に傾ける。

―私も、なぜ自分がここに来たのかはよくわかりません。そこで、昨日の夜からほぼ丸一日かけて、考えてみました。私はなぜ、あなたの部屋へ飛ばされてきたのか。結論は、もしかすると、あなたがお坊ちゃまが抱えている問題を解決するのに何かの役に立つのではないか、ということでした。どう役に立つのかタミにはわかりませんが、きっとあなたにできることがあるはずなのです。

 今度は、さっきより一センチくらい深く頷いてみる。

―協力して下さいますね?

 狐につままれたような気分のまま、辛うじて意思表示が通じるだろうという角度で、もう一度頷く。

―よかった。

 猫はぴょんと本棚の上に飛び乗り、そこでそのまま丸くなった。動きが止まると同時に、眠りについたようだった。


 ようやく解放されたようだった。ほっとしたような、泣き出したいような、放心という言葉がぴったりな心境だ。もしくはこれが漫画の世界だったら「飼い主思いの健気な猫さん」などとテロップが入るのだろうか。しかし、全く猫が好きではない私は、鳥肌が立ち、肩はピシリとしびれが走るほどがちがちになっていた。

 思えば、彼とのことは、随分と昔に私の人生の中でなかったことにしていた。ほんの数枚存在していた一緒に写っていた写真はすべて処分し、借りたCDを録音していたものもすべて処分し、当時の日記もすべて処分した。

 それがなぜ今頃こんなことになったのか。やはり猫のせいなのか、これが犬やハムスター、あるいはトカゲや金魚だったらもっと上手くあしらえたのだろうか。あのどでんとした存在感、ぎょろりと人を睨みつける眼差し、今にも飛びついてきそうな鋭い爪を持つ細い手足。さすが化け猫といわれるだけのことはある。

 それとも、私にも何らかの責任らしきものがあるのかもしれないとでも思ったのだろうか。彼の夢の中で流れていたという「そっくり人形展覧会」という曲は、以前私が彼に貸したアルバムに入っていた曲だったのだ。



 いつもはもっとゆっくり起きるはずの土曜日の朝なのに、七時前に布団から出た。欠伸をしながらドリップコーヒーを淹れる。ここぞとばかりにミネラルウォーターを使う。コーヒー豆がさっと膨らんでいくのを見るのがささやかな楽しみだ。

 トースターでパンを焼いて、バターとジャムを塗る。コーヒーの苦みとジャムの甘さとの組み合わせに、寝不足気味の頭も喜んでいるようだ。

 本棚の上に目をやると、猫は丸くなってすやすやと眠っていた。猫という生き物と暮らしたことはないけれど(これを生き物といっていいのかどうかわからないけど)、いつまで寝ていて、いつ頃起きるものなのだろう。


 コーヒーを啜りながら窓の外を見ていると、突然携帯電話がブルブル震えた。メールの差出人は、町田晋となっている。意味もなく「宣戦布告」の四文字が頭に浮かぶ。

―来週用事ができてしまいました。急で悪いけど、集まりを今日に変更してもらうことは可能ですか。みなさまのご都合は?

 集まりというのは、高校生の部活の後輩、加奈子さんの結婚祝いパーティーのことである。幹事に一斉送信されている。何故だか彼女の同学年の人ではなく、町田君が取りまとめをしている。とっくの昔に別れた人のためによくやるよなあと思いつつ、返信のメールを打つ。

 次々とメールが来る。みんな大丈夫のようだ。暇な人達だ。そういう私もどちらも予定なしだけど。それから十数分後、午後から集まることに決定した。あの人はなかなか運がいいようだ。日頃の行いのせいかどうかは知らないけれど。


 私の住居の最寄駅から、二十分ほど電車に乗って行き着く駅が待ち合わせ場所だった。馴染みのない場所なので、少し早めに家を出る。すると、どういうわけだか二十分前に着いてしまった。喫茶店が目に入りつつも、改札前で待つことにする。数分と経たないうちに町田君が現れた。

「早いね」

「僕が言い出しておいて、みんなを待たせるわけにはいかないからね。というよりも、そっちが早すぎなんだだよ」

「よく知らない場所だから、早めに来たの。別に暇を持て余しているわけじゃないから」

 この発言は嫌味に聞こえる類のものだっただろうか。口に出してから気がついた。 

「あのさ、町田君って猫飼ってなかったっけ?」

 とたんに彼の動きが止まった。彼の世界も止まってしまったかのように見えた。いけない質問だったのか、と思いオタオタしていたが、やがて彼は静かにつぶやいた。

「猫は死んだよ。一週間前に」

 一週間前の、具体的に何曜日だか聞きたかったけど、聞ける状況ではなさそうだ。とりあえず現時点では一週間経過、と頭の片隅に控えておく。後で手帳にも書いておこう。


 間もなく静香さんと木村君が現れた。静香さんは私や町田君と同期で、木村君は一学年下の子だ。「あとは西本さんだけだね」などと言っていると、西本さんもすぐに到着した。彼女も一学年下で、加奈子さんや木村君と同期だ。前会ったときと比べて、髪がかなり長くなっている。高級というほどではないものの、パリっとした紺のワンピースを着ているせいか、かなり雰囲気が変わって見える。自分より年下の子が大人びた服装をしていると、自分も年をとったように感じられるから不思議だ。

「みんな、時間を守るようになったよねえ」

 と静香さん。高校生のときには、みんな独自のカレンダーや時計を使っているのではないかと思うくらい、時間が合わない人達だった。さすがにそれでは、アルバイトすらできない。


 ファミリーレストランへ入り、ドリンクバーや軽食を注文し、交互に席を立ってドリンクを取ってくる。

 前回の話し合いでは、日時、会場、招待する人などを決めた。今回は、会の進行、レクリエーション、スライドショー、プレゼントをどうするかについて話し合うことになっていた。パーティーは、こじんまりとしたレストランで開催されることになっており、参加者もせいぜい十五人程度の見込みである。しかも旦那さんは来ないらしく、加奈子さんを囲む会になる予定だ。

 今から思えば、彼女はあの頃から早く結婚しそうな雰囲気を醸し出していた。平均よりやや小柄な体型で、スタイルがよく、物静かで可愛らしくて、私みたいに一言多かったりすぐ腹を立てたりすることはまずなかった。相手の様子をじっと観察してから自分がどう振る舞うかを決める、大人びたところがあった。そしていつも、一人でいるのがあまり得意ではないように見えた。

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