第五十六歩 【ルイとフェルの過去 前編】

 フェルの背に乗せられ、俺は岩山の上に連れてこられた。

 サスペンスなら確実に突き落とされそうなシチュエーションだが、今回はかなり真面目な雰囲気だから黙っておこう。


「んで、話ってなんだ?」


「うむ……だがその前に」


 フェルが大きく尻尾を振ると黒い毛玉が地面に転がる。


「こ、コタロウ!?」


 俺は目を回しているコタロウを抱きかかえる。


「尻尾にしがみついてきたのだ。まぁ、コタロウになら聞かせてやってもいいがな」


 フェルは目線が同じになるくらいまで身体の大きさを縮めると俺の目の前に腰を下ろす。


「今から語ることは他の連中には他言無用だ。良いな?」


 俺とコタロウは静かに頷き、同じように腰を下ろす。


「我が勇者と呼ばれた男と一緒にいたのは聞いた通りだ……だが、我は勇者の旅の終わりを知らぬ」


「え? 勇者は魔王と相打ちしてフェルだけ残ったんじゃないのか?」


 フェルは首を横に振り、話を続けた。


 今から約二百年前――


 魔王と呼ばれる存在が魔族を率いて人類に宣戦布告をした。

 魔族は強力な魔法を操り、人類の生活圏を瞬く間に占領していき、人類は存亡の危機に瀕したという。


 そんな中、ひときわ強い魔力の資質を持った子供たちが集められ、人類が有するすべての英知と技術を使い〝勇者〟として育てられることになった。

 一人、また一人とその厳しく、辛すぎる運命に呑まれていく子供たちの中で唯一生き残り、フェルと出会った〝勇者〟。

 その出会いはただの偶然だった――


 フェルはその時はまだ魔獣になっておらず、狼に似たただの獣。

 コタロウほどの子供だったフェルは仲間たちと一緒にとある森の中で暮らしており、人間などは見たことがなかった。


 そんな折、魔族の進行はフェルたちが住む森まで至った。

 森の動物たちは食料として狩られ、フェルたちの群れも例外ではない。


 大人たちはフェルを含めた子供たちを守るために立ち向かったが、とても敵う相手ではない。

 ただ蹂躙され、その余波でフェル以外の子供たちも死に絶えた。

 幸運にも致命傷を免れたフェルにも魔族の手が迫る。


 もうだめかと諦めたその瞬間にその出会いは訪れた。


「いい加減にしろ! 魔族ども!」


 焼け落ちていく森の中で魔族の一団に斬りかかったのは一人の少年。

 その少年は子供とは思えない程の技術と魔力で魔族を倒していく。


 周囲の森が黒く染まるころには、大勢の魔族の骸が戦闘の余波で火が届かなかった一帯へと転がる。

 フェルがそこへ恐る恐る近づいていくと、そこにはへたり込んでいる先ほどの少年の姿があった。


「なんだ、お前生きていたのかい? 君も一人になっちゃたんだね……僕もずっと一人なのさ。他の人間じゃ弱くて僕に付いて来れないんだって……」


 何と言っているのか分からなかった言葉だったが、差し出された手にフェルは思わず身体を擦り寄せた。


「僕が行く道はとても険しいけれど、よかったら一緒に来るかい?」


 そこから、一人と一匹は共に歩んでいくことになった。



 その出会いから五年が過ぎた。

 フェルは大きく立派な姿へと成長したが、少年の姿は変わらない。

 しかし、その実力はついに人類最強と謳われるまでになり、他の勇者候補生たちとは一線を画すほどになっていた。


 そんなある日、生き残っていた勇者候補生が全員呼び出され、少年もその場に赴く。

 そこで待っていたのは無情な命令。

 魔力による結界が貼られた場で、勇者候補生たちに殺し合いをさせることで一人にすべての魔力を集中させようとするものだった。


 勇者候補生たちは戸惑ったが、もはや生贄の儀式をも辞さない程に人類が追い詰められていると知らされた彼らに選択肢は残されていなかった。


 この一件以来、少年は大きく変わる。

 大量の魔力を吸ったことで姿は青年となり、以前はフェルにだけ見せていた笑顔も消え失せた。

 彼が実行するのはただ人間を守り、魔族を駆逐する道具である〝勇者〟としての行動のみ。


 フェルはそれが不安でたまらなかったが、ただの獣の己にはどうすることもできないことも悟っていた。


 しかし、フェルは彼の傍らに寄り添い続ける。

 戦いが激化し、自分の力が必要なくなっても彼の傍を離れることはなかった。

 勇者には唯一変わらないことがあることをフェルだけが知っていたからだ。

 彼はフェルと行動を共にした時から戦い終わった時に一度だけフェルの頭を撫でる。

 そしてこう呟いていた――


『僕がしかできないなら……僕がやるしかないよね!』


「私しかできないなら……私がやるしかないんですよ……」


 重みも言葉も変わってしまったその言葉だが、フェルには昔から変わらぬ真っ直ぐな思いが見えていた。

 その思いを消さぬために自分はこの勇者と共にある。

 フェルは常にそう決心していたのだ。


 しかし――

 勇者は消えた。


 勇者と出会い、長い長い時間が経ったある日。

 戦いの最中、閃光のように魔族の波へと飛び込んでいく勇者をフェルは初めて見失った。

 魔族と人間の怒号が飛び交う中でもそのあとの静寂の中でもフェルが勇者の姿を見つけることはなかった。


 フェルは何年も何年も勇者を探し続けたが活躍を耳にするだけで、勇者の影はどこにもない。

 自分は必要なくなったということなのか……自分に力が無かったからか。

 その考えからフェルは勇者と初めて出会った山に籠り、ただただ自分に問い続けるのだった。



 それは久々に人里に降りた時のことだった――


 自分を異様に警戒する人間たち。

 以前なら、大人しくしていればそれほど騒がれることもなかったフェルは不思議に思う。


 しばらくして気づいたことは自分の身体が人間よりもはるかに大きくなっているということ。

 フェルは勇者に聞いた〝魔獣〟という存在を思い出す。

 勇者が発する膨大な魔力を浴び続けたフェルは長い時間をかけて魔獣へと変貌していた。


 フェルは歓喜する。


「これでまた勇者と共に歩める!」


 自分から溢れ出る魔力に酔い痴れながらも、フェルは勇者を再び探し始める。

 しかし――



 フェルは一通り話し終えるとふぅとため息を吐く。


「我が再び、勇者の跡を追いかけ始めた時にはすでにあの伝説が広まった後だった。勇者は死んだのだとな――」


 俺は黙ってその話を受け止めていたが、膝に乗っているコタロウは大粒の涙を流している。


「我は……ただ不安なだけかもしれぬ。お前と共に歩み、いつか皆の道が別れてしまうことが……また、失った日々を過ごすことが……」


 フェルはいつもの威厳ある態度とは打って変わり、耳を折り曲げ、尻尾を垂らす。


「そうか……なんか、お前だけ話してもらうってのも不公平だな」


 俺は号泣しているコタロウを地面にそっと下すと、フェルに近寄り、頭を撫でる。


「お前の話への返答をする前に俺の話も聞いてくれないか?」


「フッ……それで判断しろというのか? 貴様のことを……」


 項垂れていたフェルが少し口元を緩めて、いつか聞いたようなセリフを口にする。


「そんな大層なもんじゃないさ。単なるおしゃべりだ」


 俺の言葉を待っていたかのようにフェルは頷き、俺は口を開いた。

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