作家と霊と、糸恋し~続きは次月の原稿で~

萩鵜アキ

「いま、時間ある?」

「いま、時間ある?」


 それはわたしがここ最近で、もっとも勇気を振り絞った言葉だった。




 北海道では桜の季節である5月の初めのことだった。


 編集部から企画書のGOサインが降り新作を執筆するにあたって、わたしは参考資料の収集に書店を訪れていた。

 資料のほとんどは揃っていたのだが、作中に登場する地域の地図だけ集め忘れていたのだ。


 自らのうっかりに辟易しながら資料を探していると、見覚えのある女性がわたしの目に留まった。

 黒い髪の毛に、落ち着いた色のワンピース。足下は白のミュールの、佇まいに静謐さを感じる女性だった。


 初めは気のせいだと思った。だがじっとその女性の後ろ姿を見ていると、心のどこかがざわめくのだ。


「まさか……」


 本棚を思い回り込んだわたしは、はっと息を飲んだ。

 その顔は、学生時代の思い人にそっくりだった。


 わたしは、すぐにでも声をかけたかった。だが彼女がわたしの思い人とは別人であれば恥ずかしい。


 わたしはそっと女性に近づき、小声で名前を呼ぶことにした。これで彼女が他人のそら似であっても、恥ずかしい思いはしないし、不審者の声かけ事案として勘案されないだろう。


「椋木さん」


 わたしの声は、本のページをめくる音よりも小さかったし、震えていたし、掠れすぎていた。

 だが細やかな声に、彼女は反応し振り返った。


 途端に心音が喧しく耳朶を叩く。

 興奮した心臓が胸を突き破りそうだ。


 彼女はきょとんとした表情を浮かべ、細い指先をそっと顎の先に付けた。


「……もしかして、金田くん?」


 ああ、わたしのことを覚えていてくれた……!


 瞬間、わたしは手にした参考資料を取り落としそうになった。

 彼女に名前を呼ばれたことは、それほどの衝撃があった。


「う、うん。こんなところで会うなんて、すごい偶然だね」

「ええ。ほんと、久しぶりね。懐かしい」


 椋木さんの瞳が、店内の照明をうけてキラキラと輝いた。


 顔が熱い。彼女の瞳がまぶしい。わたしは目をそらす振りをして、こっそり彼女の薬指を見た。

 彼女の梳き透ような右手にも、左手にも、指輪は填められていなかった。


 この時、わたしは内心雄叫びを上げながらガッツポーズを取った。そんなわたしを、罵れる者などこの世におるまい。


 椋木さんが現在フリーであることがわかった。

 もしフリーではなく、何らかの理由で指輪を外しているだけであれば、わたしは半年間ほど寝込むに違いない。


 さておき……。

 わたしはここからどうすれば良いのだろう?


 私は椋木さんと親密な関係になりたい。


 だがそのために、わたしはなにをすれば良い?

 さっぱりわからない。


 そもそもわたしはこういう状況で、上手な言葉が出てくるようなタイプではなかった。

 ああでもないこうでもないと悩んだ挙げ句に、ええいままよと勇気を振り絞って囁いた言葉が、冒頭のそれだった。




 書店の二階には、カフェが入居している。

 非常に美味しいと有名なカフェであるが、残念ながらいまのわたしは味覚が消滅している。コーヒーの味など微塵も感じられない。


 目の前に、学生時代に思いを寄せた女性がいる。それだけでわたしの頭は既にパンク寸前だ。

 パソコンが相手なら1時間あたり原稿用紙10枚は書けるほどすらすら言葉が浮かぶのだが、椋木さんの前ではちっとも言葉が出て来ない。


 それでもわたしは、かねてより伝えたかった言葉を、脳の奥から引っ張り出すことに成功した。


「実は、小説家になったんだ」

「えっ、本当に!? 金田くん、すごい!」

「いや、そんなにすごくないよ……」


 椋木さんが軽く腰を浮かせた。それほど驚いてくれたなら、彼女に伝えた甲斐があったというものだ。


「でも金田くん、高校じゃ全然小説を読まなかったよね」

「うん。そんな僕が作家になれたのは、椋木さんが面白い小説を教えてくれたからだよ」


 学生時代のことだ。

 椋木さんはわたしに小説を教えてくれた。


『人類は衰退しました』『氷菓』

『クビキリサイクル』『夜は短し歩けよ乙女』

『図書館戦争』『ハサミ男』『車輪の下』……。


 はじめは、何故小説なんて辛いだけで退屈なものを読まねばならないのかと思ったものだ。

 だが小説を薦める椋木さんの、キラキラとした眼差しを受けて、断るに断れなかった。


『美しい椋木さんと共通の話題で盛り上がりたい!』


 そんな破廉恥な衝動を抱いて頁をめくったわたしだったが、彼女から借りた小説はあっという間にわたしを虜にした。


 それほどまでに、椋木さんが薦めてくれた小説は面白かった。

 ……いや、読書経験のないわたしでも『面白く読める本』を選定した、彼女のセンスが良かったのだろう。


 彼女のおかげでわたしは読書にはまり、紆余曲折を経て小説を書き始め、なんの因果か小説家の椅子に座らせて頂いている。


 わたしが作家になったのは、面白い小説を薦めてくれた、椋木さんがいたからだ。そんな彼女に、いつか作家になったと報告したいと考えていた。


 その夢が、いま叶った。


 気がつけば、先ほどまで体中を締め付けていたけったいな緊張は消散していた。


 わたしは椅子の背もたれに背中をあずけ、ゆっくりとコーヒーを啜る。

 途端にコーヒーの豊かな風味が口の中に広がった。

 やっと味覚が機能不全から立ち直ったようだ。


「金田くんはどんな物語を書いているの?」

「ミステリー。推理小説のミステリじゃなくて、怪異とか幽霊とか、不思議現象の方のミステリー」


 わたしが説明すると、椋木さんが目を丸くした。その反応は、これまでとは雰囲気が少し異なっていた。

 けれどそんな雰囲気はすぐにかき消えて、彼女はわたしに次々と質問を浴びせたのだった。




 わたしの小指の先ほどもない肝っ玉では「連絡先を教えて」などと口に出来るはずもなく、椋木さんとのめくるめく――いや、なにも起こらないただの近況報告の時間は終了を向かえてしまった。




 なんとか彼女と繋がる方法はないものか?

 わたしと彼女を繋ぐ赤い糸を必死に探しながら、階段に向かう。


 そのとき、わたしはふと寒気を覚えて顔を上げた。


「…………」


 階段に、どこかおかしな点はない。だが、猛烈に嫌な気配がした。背筋がピリピリと痛い。


 この先に進むべきではない――わたしの直感がそう告げていた。


 このような気配を感じることは、これまで度々あった。

 わたしには所謂霊感というものが備わっている。とはいえ、幽霊を見られるほど強くはない。

 ただ、感じるだけだ。それもありありと、生々しく。


 この話を友人や知人にこの話を打ち明けても、いままで信じてくれた者は誰一人いない。「どうせ気のせいでしょ」と言われるのが定番のオチである。


 だからわたしはこの悪寒を、どう処理すべきか考えた。


 正直に「嫌な気配があるから階段を使うのはやめよう」と伝えては如何か? ……いや、その発言に椋木さんが引いたら、メンタルダメージは深刻だ。明日は布団から出られまい。

 かといって、無視して階段を降りることは出来ない。今回の悪寒はそれほどまでに強かった。


(さて、どうしよう……)


 わたしが立ち止まって考えていると、椋木さんがこてんと首を傾げた。


「金田くん、どうしたの?」

「いや……、ちょっと」

「もしかして――」


 椋木さんは誰もいない階段の一点を見つめて、言った。


「金田くんも、見えるの?」

「――ッ!」


 彼女の言葉で、冷え込んでいたわたしの胸が途端に温かくなった。

 いままで誰にも信じて貰えなかった霊感というものを、わたしは彼女に無条件に信じて貰えた気がした。


「……いや、見えないよ。見えないけど、何か良くないものがいる気配は感じられる」

「もしかして、金田くんがミステリー小説を書いてるのは」

「そう。霊感があったからだよ」


 実体験に勝るフィクションはない。わたしはデビューまで様々なジャンルの小説を書いてきたが、実体験を交えて書いたミステリー小説が、最も評価が高かった。


「もし見れるなら、見てみたい?」

「……なにを?」

「幽霊」


 昔は、幽霊が怖かった。

 だがいまは恐怖よりも、知的好奇心が勝っている。


 もし幽霊が見られたら、もっと生々しい文章が書けるようになる気がするのだ。

 わたしは嫌も応もなく頷いた。


「もちろん!」

「なら――」


 おもむろに、椋木さんがわたしの手を取った。


 なんと大胆な!


 柔らかくて、温かい。椋木さんの手の感触に、かっと顔が熱くなる。

 だがすぐにわたしの肝はキンキンに冷えて縮こまった。


 目の前に、突然腐った死体のような幽霊が出現したためだ。


「――ッ!?」


 その時わたしは、少しだけ飛び上がったと思う。自分の声を抑えるので精一杯だった。だがそれをぐっと耐えた。

 好きな女性の前で情けない姿は見せられない。掌に感じる温もりが、持ち合わせのない勇気を埋め合わせてくれた。


 半透明の幽霊は、皮膚が溶け落ちたようにグズグズだった。目は虚ろで、口は半開きだ。ゾンビの如く前傾姿勢で、辛うじて立っている。


 その幽霊が、わたしの目の前にいた。


 腐ったような幽霊が、わたしに手を伸ばす。途端に激しい悪寒が体中を支配する。

 その幽霊の手を、防いでくれた者がいた。


「お糸さん」


 気がつくと、幽霊のすぐ後ろに半透明の女性が立っていた。その女性は大正の女学生のような着物を着ていた。

 髪の毛は三つ編みで、大きな眼鏡をかけている。そして彼女はその両腕に、大量の本を抱えていた。


「あの子が、お糸さん?」

「そう。私の友人よ。お糸さん、お願い」


 椋木さんが合図すると、お糸さんが腕に抱えた本を幽霊の頭上に乗せた。


 ――ズンッ!


 途端に幽霊が崩れ落ちた。まるで本の重みに堪えきれなかったかのような反応だ。

 幽霊は喘いだ。「う゛ぉあー」とかそんな声だった気がしたけれど、実際に口から音は出てなかった。


 幽霊は必死に本から抜けだそうとするけれど、お糸さんは立て続けに本を幽霊の上に載せた。


 乗せられた本は京極夏彦、花村萬月、宮部みゆき、川上稔……。その中でも分厚い本ばかり。徹底的だ。


 一冊読めば指がムキムキになりそうな本が、お糸さんによって山ほど積み上げられた。その下敷きにされた幽霊は、音のない声を上げ、あっさりと消えた。




 わたしは唖然としたまま、しばし身動きが取れずにいた。


 お糸さんは手早く本を片付けていく。片付けた本がどこかに消えていくが、わたしの目では捉えられなかった。


(あれは一体どこに消えていくんだろう?)


「この人は、お糸さんって言って、私を守ってくれてるの。守護霊、みたいなものかしら」


 お糸さんが手を握りしめて持ち上げた。まるで「私ちからもちです」みたいな、可愛らしい仕草だった。


「お糸さんとは、いつから友人なの?」

「小学生の頃、気がついたら傍にお糸さんがいたわ。それからずっと、お友達よ」

「椋木さんが本を読むようになったのは、もしかしてお糸さんの影響?」

「ええ、そうね。お糸さん、私が本を読むと喜んでくれるの。どうも、私が読んだ本がお糸さんの本棚に収蔵されるみたいなの」


 つまり先ほど、幽霊をぺしゃんこにした本は、かつて椋木さんが読破した小説群だということだ。

 それにしては、彼女の指はあまりに細い。決して分厚く重たい本が読めるようには思えない。


 椋木さんの指先を意識した途端に、先ほどまで失われていた熱がわたしの顔に戻って来た。


 まだ、わたしは椋木さんと手を繋いでいる。

 その状況に、内心あたふたした。


 手を離すべきか。いやしかし、思い人と触れ合うチャンスでもある。

 一人懊悩していると、わたしの目の端でお糸さんが本を掲げた。


 イワン・ツルゲーネフの『初恋』。


 本で顔のほとんどを隠しながら、お糸さんがそっとこちらを覗き見ている。

 ぼっと顔が破裂しそうになって、わたしは椋木さんから手を離した。途端にお糸さんの姿がかき消えた。


「――だから時々こうして本屋に来て、お糸さんが喜びそうな本を見繕うのよ」

「そうなんだ。……あ、あのさっ」


 わたしは手の冷たさを意識しながら、口を開いた。

 喉の奥から飛び出しそうなほど、バクバクと心臓が脈を打つ。


 お糸さんに焚きつけられたというわけではないけれど、このまま彼女とまた、離ればなれになってしまうのはどうしても嫌だった。


 わたしが勇気を振り絞って出した言葉は、


「れ、連絡先を、教えてください……」

「えっ?」


「くく、椋木さんを、取材させて欲しいんだ! ミステリー作家として!!」


 蘇ったかつての恋心を隠すように、取材だなんてわかりやすい嘘をついて、わたしは、椋木さんから連絡先を聞き出したのだった。



          ○



「夢幻先生。それから金田は、椋木とどうなったんですか?」


 原稿から顔を上げた編集の鹿部くんが、真っ先にそう尋ねた。


 鹿部くんは講譚社ミステリー文庫の編集次長を務める敏腕編集者だが、本当に敏腕かどうかは疑わしい。何故なら彼が担当になって数年経つが、わたしはいまだに鳴かず飛ばずの木っ端作家だからだ。


『重版が連続すると、札束を刷ってるような気分になってくるんですよ。夢乃先生も札束を印刷しましょう!』というのが彼の常套句である。そんなに言うなら、わたしの作品を重版してくれたまえ。


 さておき彼は珍しく、わたしの原稿の続きが早く読みたい、という意欲に溢れていた。

 嬉しいね。作家冥利に尽きる反応だ。けれど鹿部くんや。わたしの小説の肝である心霊現象に興味を抱かないのは何故かな?


「まあ、来月の原稿をお楽しみにってことで」


 思わせぶりな発言をして煙に巻く。物語の結末は決まっているけれど、この続きをどう書くかはまだ決まっていなかった。


 ……今後の展開? これから頑張って考える所存!


「これまで書かれた作品とは大分毛色が違いますが、これは良いですね」

「あ、ありがとうございます?」


 これ〝は〟って言ったかこの駄目編集。

 これまでの作品は駄目だって言っているのかな? あ゛あ゛ん?


 わたしがじっと見つめると、鹿部くんの視線が泳いだ。


「そ……そういえば、先生も霊感あるんでしたっけ」

「ええ。感じる程度ですが」

「ご自分の経験を活かしてキャラクターを作られるんですね」

「そうすると、登場人物に血が通いますからね」

「やはり、そうなんですね。他の作家さんも、同じことを言われる方が多いんですよ! ええと……それで、ですねえ……」


 わたしがしつこく睨み付けていると、鹿部くんはいよいよ逃げ場を失い天井を仰いだ。

 ぽん、と手を拍ち彼は口を開いた。


「……さて、それでは先生、原稿を上げたばかりで申し訳ありませんが、来月の入稿日についてお話しましょう」


 逃げたな。

 この話は後日決着を付けることにしよう。それまできっちり覚えていてくれたまえ鹿部くん。


 鹿部くんと打ち合わせをしていると、部屋に妻がお茶を持って現われた。


「失礼します。粗茶ですが――」


 妻がテーブルにお茶を置く。


「これはご丁寧にどうも。先生の奥様……ですか?」

「はい。鹿部さんは初めてでしたっけ」

「ええ、そうですね。どうも初めまして。編集の鹿部です。いつも夢乃夢幻先生にはお世話になっております」


 黒い髪の毛に、落ち着いた色のワンピース姿の妻をまじまじと見つめていた鹿部くんが、はっと息を飲んだ。そして手元にある原稿と、わたしの妻を見比べた。


「先生、もしかしてこの原稿……」


 気づいた鹿部に、わたしは人差し指を立てて、そっと口の前に寄せた。


「続きは次月の原稿で」




――――――――――――


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作家と霊と、糸恋し~続きは次月の原稿で~ 萩鵜アキ @navisuke9

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