第一章:伸ばした手のひらが繋ぐモノは/04

「良かった……ホントに、気が付いたのね」

 てっきり医師が回診に来たのかと思っていた戒斗だったが、しかし引き戸の向こうから現れたのは、意外にもセラ……セラフィナ・マックスウェルだった。

 ツーサイドアップの長い赤髪を揺らす彼女、ブレザー制服姿な辺り、学園から直接こっちに来たのだろうか。少しばかり息を切らした様子の彼女は、ベッドに横たわる戒斗の姿を見るなりそう、安堵した様子で呟いていた。

 そんな彼女は病室の中に入ってくると、備え付けの簡素な丸椅子を引っ張ってきて……ベッド脇、戒斗のすぐ傍に腰掛ける。

「セラ……」

「あんま心配掛けんじゃないわよ、この馬鹿」

「……すまない」

「ま、アンタが無事で一安心だわ。それでさ戒斗、その……Vシステムの件、有紀から聞いた?」

 小言を言い、戒斗が小さく詫びて。そんな彼の様子を見て今一度の安堵を覚えながら、セラが恐る恐るといった風に問う。

 そんな彼女に戒斗が「ああ」と頷いて肯定するから、セラはそっか、と小さな相槌を返す。

 その後で、セラはこんな言葉を続けて言った。

「Vシステムの件なら、アンタが責任を感じる必要はないわよ。どのみち……現状のプロトタイプじゃあ性能不足が目立ってきたって、前から司令たちも話してたしね」

「……それでも、俺のせいで」

「ま……気にするなって方が無茶な話か」

 小さく肩を揺らして呟くと、セラはベッドに横たわる戒斗の左手をそっと取る。

 右手で彼の手を握り締めながら、華奢で長い指先で肌を軽く撫で。その後で戒斗の左手を自分の両手で包み込み……そのまま、自分の額に彼の左手を押し当てる。微かに伝わる鼓動を、彼が今も生きているという事実を……深く、感じようとして。

「………………本当に、無事で良かった」

 戒斗の左手を自分の額に押し当てながら、彼の存在を感じながら。うつむくセラの口から漏れ出てきたのは……そんな、心の底からの言葉だった。

「セラにも、心配を掛けちまった……すまない、本当に」

「ホントよ。アタシがどれだけ心配したか――――」

 と、詫びる戒斗にそこまで言ったところでセラは肩を揺らし。その後で小さく息をつきながら、彼にこう言う。

「――――嘘。アンジェには、とてもじゃないけれど敵わないわ」

「アンジェが……?」

 どうして、ここでアンジェの名前が出てくるのか。

 首を傾げる戒斗に、セラはうんと小さく頷き返す。

「あの、アンタの傍を離れないって聞かなくてね。アンタが一時間ばかし前に気が付くまでの三日間、アンジェは殆どアンタの傍に居てくれてたのよ?」

「……本当なのか?」

 戸惑う戒斗に、セラは「ええ」と頷いて肯定する。

「一応、P.C.C.Sの息が掛かってる病院だから、特例ってことでアンジェの宿泊とか諸々は有紀と司令が無理矢理に認めさせたみたいだけどさ。あのったらご飯も食べないわ、眠りもしないわで……ずうっと、アンタの傍で手を握り続けてたのよ?」

「………………アンジェ」

「アタシや南が代わるって言っても聞かなくってさ。学園もサボり通しだし、ホントに……あのの愛の深さっていうのかしら? アタシじゃ勝てないわ……逆立ちしても絶対に無理」

「そう、だったのか」

「今は戒斗が目を覚ましたからって、安心して家で眠ってるみたい。送って行った有紀から、さっきアタシのところにも連絡があったわ。……今度アンジェに会ったら、ちゃんとお礼言いなさいよ?」

「……そう、だな」

 本当に申し訳なさそうな顔で、ボソリと呟く戒斗。

 そんな彼の横顔を見て、セラはフッと肩を揺らし。妙に落ち込んだ様子の彼に向かってこう言ってみせた。

「だから、アンジェにはとても敵わないけどさ――――心配だったのは、アタシも一緒よ?」

 ずっと前に額から放していた彼の手を握ったまま、強く強く握ったまま……セラは優しげな表情で、落ち込む彼にこんな言葉を投げかける。

「もしこのまま、アンタが目を覚まさなかったらって……考えると、凄く怖かった。アタシはまた、キャロルの時みたいに大事な何かを失っちゃうんじゃないかって、凄く怖かった」

「……セラ」

「無茶する気持ちは、アタシにだって痛いほど分かるわ。アタシがアンタの立場だったとしても……多分、いいえ間違いなく同じことをしていたはずよ」

 言って、セラは丸椅子から腰を浮かせ。そのまま彼の方へ……ベッドに横たわる戒斗の方へと、顔を近づけていく。

「だから、アタシは絶対にアンタを責めたりしないわ。寧ろ真逆よ。あそこで飛び出さないようなアンタなら、アタシはここまで惚れちゃいない」

 横たわる戒斗のすぐ傍まで顔を近づけ、セラはそのまま右手で彼の頬に触れる。

「でも、これだけは覚えておきなさい。アンジェと、それにアタシと……アンタのことを心の底から心配してる女が、アンタのことを誰よりも愛してる女が、少なくとも二人はこの世界に居るってことを」

 頬に触れながら、切れ長の双眸で……綺麗な金色の瞳で戒斗を真っ直ぐに見据えながら、セラは彼にそう告げていた。

「……すまない」

 そんな彼女の視線から、決して目を逸らすことはなく……真正面から見つめ返しながら、戒斗は改めて彼女に詫びる。

「ん、許したげる」

 詫びる彼にセラは笑顔でそう言うと、そのまま頬にそっと口づけをしてみる。

 浮かせていた腰を戻し、丸椅子に座り直して。そうすればセラはもう一度、今度は……今の今まで握り続けていた戒斗の左手の甲にも、小さく口づけをして。それから悪戯っぽい笑みを彼に向けると、傍らに置いてあった紙袋に手を伸ばす。

 セラがスクールバッグと一緒に持ち込んだものだ。セラはそれを手繰り寄せると、その紙袋をおもむろに弄り始める。

「お腹空いたでしょ? リンゴ剥いたげるわ」

 紙袋から彼女が取り出したのは、真っ赤なリンゴだった。

 リンゴを取り出した彼女は紙袋をまた置き直すと、今度はスクールバッグに手を伸ばし……そこから小振りなナイフを引っ張り出す。

 ファルクニーベン・F1のナイフだ。スウェーデン製の優秀なナイフで、飾り気のない見た目は派手さこそ無いが……しかし扱いやすい、玄人くろうと好みの一本であることは確かだ。

 セラはそんなナイフを取り出すと、使い勝手の良い樹脂製の鞘からサッと抜き、それで器用にリンゴを剥き始める。

「なんというか……定番だな」

 シュルシュルシュル……と流れるように皮を剥いていくセラを見つめながら、戒斗がボソリと呟く。

「やってみたかったのよ、怪我人相手にリンゴ剥いたげるの」

「実際こうしてされる側になってみると、まあ何とも言えない気分だ」

「ふふっ、そうなの?」

「そうみたいだ」

「なら折角だし、ウサちゃんの形にしてあげましょうか?」

 楽しそうに微笑むセラに「……俺で遊ぶな」と呆れっぽく、でも満更でもなさそうな顔で戒斗は言って、

「それと、セラ」

「ん?」

「ファルクニーベンか……良いナイフだな」

 と、手先の器用な彼女がリンゴを剥くのに使っているナイフにチラリと視線をやりながら、何気ない調子で賛辞の言葉を口にした。

「ふふっ……♪ アンタなら分かってくれるって思ってたわ」

 すると、セラは嬉しそうに微笑みながら戒斗にそう言う。

「お気に入りなのよね、これ。知り合いに作って貰ったカスタムナイフも何本か持ってるけど、普段使いならアタシはこれが一番好きだわ」

「似合ってるよ」

「ふふっ、ありがと♪」

「……というか、ひとつ言ってもいいか?」

「なぁに?」

「こういう時、普通は服とかネックレスとか……そういうのを褒めるモンじゃないか?」

 上機嫌そうに、鼻歌交じりで反応してくれるセラに、戒斗は今更我に返ったような疑問を口にする。

 とすれば、セラは「かもね」とリンゴを剥きながら相槌を打ち。そうして皮を剥く手を止めないまま、やはり上機嫌そうな顔で……横目の視線を流しながら、セラはこんなことを戒斗に言った。

「でも、この方がアタシたちらしいじゃない?」

「……違いない」

 フッと肩を竦めつつ肯定すると、戒斗は枕に深く頭を預け。セラが器用にリンゴを剥いていく、シュルシュルといった心地の良い音を聴きながら……暫しの間、瞼を閉じていた。

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