第三章:長いお別れ(ロング・グッドバイ)

 第三章:長いお別れ(ロング・グッドバイ)



 店で楽しい時間を過ごしてから、暫くが経ったある日のこと。戒斗は昼過ぎ頃に大学……私立御浜国際大学の駐車場に、いつものオレンジ色のZ33で乗り付けていた。

「よっ、と……」

 エンジンを切った車から降り、キー裏のリモコンを使って遠隔でキーロックを掛けながら、車を離れて怠そうに歩き出す戒斗。そんな彼の傍らには、クリアファイルに突っ込まれただけの数枚の書類が抜き身で抱えられていた。

 いかにも彼らしい雑な方法で書類を抱えながら、戒斗は敷地が無駄に広いキャンパスを歩いて行く。

 夏がもう近いだけあって、じりじりと照り付ける陽の光が肌に刺さって仕方ない。照り返しの熱も相まってか、歩き出して少しもすれば、戒斗の若干白っぽい肌にはじっとりと汗が滲み始めていた。

 そんな暑い中、キャンパスの中を歩いた戒斗は……大学の広大な敷地、その中央付近にある事務棟に入っていった。

 自動ドアを潜り、冷房の効いた快適な事務棟の中へ。そこの窓口に立った戒斗は手近な事務員を呼び付け、適当なやり取りを交わしつつ、淡々と手続きを進めていく。

「――――あっれ、戒斗じゃん」

 そうして戒斗が持参した書類を提出し、受け取った事務員が一旦奥に引っ込んでいったタイミングで、二つ隣の窓口に……離れた窓口に立っていた翡翠真が戒斗の姿に気が付き。彼に声を掛けながら、きょとんとした顔で近づいてきていた。

「ああ……真か」

「どうしたんだよ? お前が事務棟に来るなんて、マジに珍しいなんてレベル超えてるぞ?」

「ちょっと手続きがあってな」

「手続き、って――――」

 怪訝そうに、物珍しそうな顔で訊いてくる真に戒斗が答えてやれば、真はどういうことだと言わんばかりに顔を近づけ――――そうした時に、真は戒斗の手元にある書類。彼の手元に残った書類一枚、そこに記されている文字を目の当たりにしてしまった。

「退学届……って、戒斗っお前……大学辞めんのか!?」

 ――――――退学届。

 戒斗の手元に唯一残っている紙切れ一枚、そこには確かにそう記されていた。

 つまり、戒斗にはもうこの大学に残る意志はない。彼は大学を辞めるつもりで此処に来たというワケだ。

 それに気付けば、真は驚きのあまり……思わず素っ頓狂な大声で叫んでしまっていた。

「真、声がデカい」

 そんな風に驚いて叫ぶ真を、戒斗がいさめる。

 すると真は我に返ったのか「あっ、悪りい……」と口元を抑え。その後で、神妙な面持ちで戒斗に……今度はちゃんと小さくした声でこう問う。

「にしたってお前、なんで急に……その、一言ぐらいアタシに相談してくれたって良かっただろ?」

「ここ最近、色々とあってな。何だかんだと忙しくなってきちまったし……どのみち目的もなく、惰性だけで通ってたんだ。いっそ辞めちまっても良いかもなって」

「……何か、あったのか?」

 心底案じているような声で真が訊くと、戒斗は「まあな」と頷き。

「真になんて説明したら良いのかは分からないが……そうだな、強いて言うなら……見つかったんだ」

「見つかった、って?」

「俺がずっと探してきた、俺の本当にやりたいことが……さ」

 遠い目をして、戒斗は真にそう言って説明をしていた。

 ――――戒斗が大学を辞める、本当の理由。

 流石に詳しいことまでは部外者の真に説明できなかったが、やはり根本にあるのはP.C.C.SのことやVシステムのこと、それに神姫たちのことだった。

 スパイダー・バンディットに襲われたこと、遥に守って貰って……彼女が神姫だと知ったこと。神姫とバンディットの戦いや、P.C.C.Sの存在。Vシステムという力を手に入れたことと……そして何よりも、アンジェのこと。

 色々な偶然が重なった末に、戒斗はVシステムの力を手に入れた。その上で……色々なことを考えると、今が辞め時だと戒斗は決心したのだ。

 彼自身が今まさに呟いた通り、どちらにせよ大学には惰性で通っていたようなものなのだ。

 特に目的意識もなく、通う意義も感じられず。ただただ時間を無意味に浪費し続けるだけの、そんな虚無感に満ち溢れた日々に……戒斗自身もう嫌気が差していた、という理由も中には含まれている。

 だが、やはり一番の理由はVシステムと……そして、アンジェが神姫に覚醒したことだ。

 彼にとって最愛の彼女が、神姫の力に目覚めた。異形の怪人との戦いに、自ら身を投じていく彼女の……自分を守るためだと言って、身を投じていく彼女の力になりたいと思った。その末に手に入れた力が、人類の切り札たる漆黒の重騎士……ヴァルキュリア・システム。

 彼女とともに戦いに身を投じていく度に、戒斗は強く思うようになっていたのだ。出来る限り彼女の力になりたい、一秒でも長く彼女と同じときを刻みたい。自分に出来る最善を尽くしたい……と。

 つまりは、戦いに集中したかったのだ。アンジェとともにこの先を生きていく為に、戒斗は今目の前にある戦いに全力を注ぎたかった。

 その為には……やはり、大学という責務の存在は戒斗にとって大きなノイズになる。

 何せ、望んで通っているワケでもない……何なら欠片も楽しんでいないようなものだ。元々嫌気が差していたようなもの、彼にとってノイズになって当然といえば当然の話。今日まで騙し騙しやってきて、どうにかこうにか両立させてきたが……色んな意味で、もう限界だったのだ。

 ――――だから、辞める決心をした。

 無論、両親は承諾済みだ。流石にP.C.C.Sとかその辺りのことまで話すワケにはいかなかったが……承諾は得られている。

 それ以前に、遥やセラ、当然アンジェにもこのことについて、大学を辞めようかという旨を相談していた。

 その時、皆がくれた答えは――――こんな感じのものだった。

『戒斗さんが真剣に悩まれて、その上で決められたことでしたら、私はそれが正しいと思います。戒斗さんの心のままで良いと思いますよ』

『ったく、アンタらしいっていうかなんて言うか……ま、でも良いんじゃない? それがアンタの意志なら、アタシはそれを尊重するわ。何かあってもアタシがどうにかしてあげるから、胸張って三行半みくだりはん、叩き付けてきなさいな』

『……うん、良いんじゃないかな? 僕は良いと思うよ。その決断……僕は間違いじゃないと思う。君がそうしたいのなら、そうするのが一番だよ。カイトが自分の胸に聞いて、いっぱい考えて……それで決めたのなら、僕は何も言わない。僕は否定しない。だから、行っておいで? 背中を押して欲しいのなら……いいよ、僕が押してあげるから』

 ――――とまあ、皆はそれぞれの言い方で、戒斗の背中を押してくれていた。

 だからこそ、戒斗は今此処に居る。だからこそ、退学届を提出し……今この事務棟で真と鉢合わせしているのだ。

 ちなみに……かなり身も蓋もない理由だが、もうひとつの理由もある。

 というのも、P.C.C.Sの給料はかなり高給なのだ。

 基本給が……恐らく石神がかなり色を付けてくれているのだろうが、とにかくすこぶる高い。その上でVシステム装着員としての特別危険手当だとか、諸々の手当も含めると……正直意味不明なぐらいに多いのだ。変な話、ここ数ヶ月分でフェラーリが数台買えるレベルの額を貰っている。

 だからこそ、ある意味安心して辞められるという下世話な事情もあったり無かったり。

 ――――何にせよ、彼には彼なりの決意があったからこそ、今この瞬間に至っているのだった。

「…………そっか、遂に見つけたんだな。戒斗が、お前が本当にやりたいことを」

 そんな風に戒斗が理由を説明してやれば、真は心の底から安堵した顔でそう言ってくれる。

「だったら、アタシは引き留めないよ。別にこれが今生の別れってワケじゃないんだ……また暇な時にでも遊びに誘ってくれよ」

「真も、気が向いたら店に顔出してくれ。あっちの手伝いは……暇を見つつになるが、俺も続けるつもりだから」

 返す戒斗の言葉を、真は「おう」と笑顔で快諾した後。少しだけ彼から視線を逸らしながら、何処か恥ずかしそうな調子で……続けて彼にこんな提案を持ちかけてみる。

「……なあ、戒斗。今日この後、もし暇だったらさ。その……チョイとアタシに付き合ってくれねーか?」

「なんだよ、藪から棒に」

「ちょっと写真撮りに行きたくてさ。でも独りっつーのも寂しいし……良い機会だから、お前も誘ってみようかなって。

 ……んで、どうなんだ? この後、暇なのか?」

 意を決した様子で真は問うが、しかし戒斗は「すまん、この後はちょっと用事がある」と言って、彼女の提案を断ってしまった。

 断られた真は「そっか……」と肩を落とし、しゅんとした後で、

「じゃ、じゃあ今週末ならどうだ?」

 と、挫けずに二度目の提案を投げ掛けていた。

「ん? 週末なら別に構わんが」

 それに対し、今度は戒斗も快諾する。

「よっし……!」

 とすれば、真は妙に喜んだ反応を……それこそ小さくガッツポーズなんかするぐらいに、やたらと嬉しそうな反応をする。

 そんな風に真がいやに・・・喜ぶ意味が分からず、戒斗が首を傾げていると。すると真は何故か急に頬を赤らめ始めてしまい、

「べっ、別にお前と出掛けたかったとか、そういうアレじゃないからな!? へっ……変な勘違い、すんなよな!?」

 ぷいっとそっぽを向きながら、あんまりにも露骨すぎる態度で応じてきた。

「あ、ああ……そうだな…………?」

 だが戒斗はそんな彼女の妙な態度、その本質的な意味が分からず……ただ、困惑することしか出来ない。

「…………ま、別に良いけどさ」

 そんな彼の反応も最初から分かりきっていたのか、真は小さく視線を逸らしながら……少しだけ寂しそうに、消え入りそうなぐらいに小さな声でひとりごちる。

「ん?」

「なんでもない、バーカバーカ!!」

「突然幼児みたいなこと言い出したな!?」

「…………この、バカイトめ」

 最後にボソリと呟いた真の言葉は、戒斗の耳には届かなかった。

 ――――翡翠真は、戦部戒斗に対して密かな恋心を抱き続けている。

 中学の頃、彼と出逢ってからずっと。真は彼に恋い焦がれていた。

 でも、彼の隣にはアンジェが居る。とてもじゃないが、彼女には敵いっこない。それに、自分なんかじゃ彼には釣り合わない……。

 そんな思いもあって、何だかんだと今まで伝えてこなかった想いだ。彼に今の言葉の意味が分からなくても、この言葉が届かなくても……それは、仕方のないことだと自覚している。

 それでも、諦めきれない自分が居る。だから同じ大学まで付いてきて、そして……彼が大学を辞めると知った途端、こんな約束まで取り付けてしまった。

 乙女心は複雑怪奇。分かりきっていても、それでも諦めたくない我が侭な自分が真の中には居て……だからこそ、真は思わずそう呟いてしまっていたのだ。届かなくてもいいと、そう思いながらも……届いて欲しいと、心の何処かでそうも思いながら。

「……そういえば、真はどうして事務棟なんぞに?」

 だが――――戒斗は気付かない、いや気付けない。

 故に戒斗はコロコロ変わる真の様子にきょとんとしつつも、これ以上この話を続けても仕方ないと思い、ひとまず話題を別方向へと切り替えた。

「アタシ? アタシはホラ、駐車場の契約更新がさ」

「ああ……なるほど」

 どうやら真が事務棟にいる理由は、駐車場の契約更新らしい。

 真はバイク通学だから厳密に言えば駐輪場だが、まあ同じようなものだ。この大学の駐車場は流石にタダというワケではなく、年間幾らかの利用料金が発生する。

 といっても……年間通してたかだか三〇〇〇円ちょっとと、利便性を考えれば意味が分からないぐらいにお値打ちな利用料なのだが。

「……っと、来たぜ戒斗」

「ん? ああ、そうだな」

「アタシは先に出口で待ってるわ。終わったら声掛けてくれ」

「悪いな、ちょっと待たせることになる」

「気にすんなよ」

 そんなこんなと話している内に、戒斗の立っていた窓口に事務員が戻ってくる。

 流石に自分は離れるべきだと思ったらしい真が一度離れていくのを見送りつつ、戒斗は事務員と最後に軽く確認の言葉を交わし合い。退学届の書類が正式に受理されると、そのまま窓口を離れていく。

 出口に向かって歩き……待っていてくれていた真と合流。そのまま彼女と一緒に戒斗は事務棟を後にしていった。

「そういえば、この間の写真さ。丁度良いから、今お前に渡しておくよ」

 また鋭い日差しが照り付けるキャンパスの中を、今度は真と二人で歩いていると。すると、ハッと思い出したように真はそう言って、斜め掛けにしていたバッグから幾つかの封筒を……この間、戒斗たちと店で撮った写真が収められた茶封筒を手渡してくる。

 封筒は全部で五つ。真を除く、戒斗たち全員分がそれぞれ小分けされた封筒だ。中身は全部同じだから個々人の名前は書かれていないが、それでも全員分を戒斗は受け取っていた。

「おう、ありがとな。……やっぱり良い写真撮るな、真は」

 それを受け取った戒斗は、さっきまで退学届が入っていたクリアファイルに封筒四つを放り込み。残りひとつ……自分の分の封筒から中身を引っ張り出すと、真が撮ってくれた写真を見つめながら改めてそんな感想を口にする。

「……んじゃあ戒斗、約束だからな?」

 そうして戒斗が自分の分の封筒もクリアファイルに突っ込んだ後、真は隣を歩きながら……隣を歩く彼の顔を小さく見上げながらそう言う。

 戒斗はそんな彼女に「ああ」と頷き、

「……この場所で真と逢うのも、これが最後になるのか」

 と、キャンパスを見渡しながら……遠い目をして、感慨深そうに呟く。

「さっきも言ったけどさ、別に今生の別れってワケじゃあないんだ。そう重く捉える必要もないだろ?」

「かもな」

「ま……アタシとしても、つるむ相棒がいなくなっちまうのは寂しいけどよ。でも、お前は見つけたんだろ? お前が本当にやりたいことを」

「……ああ、やっと見つかったんだ」

「だったら迷うなよ、戒斗。後ろなんぞ振り向くんじゃねーぞ。前だけ見て、何も考えず突っ走っていけ。あんだけ悩んでたお前が遂に見つけたことだ、それはきっと……いいや、絶対に間違いなんかじゃあないんだからよ」

 立ち止まり、戒斗の顔を真っ直ぐに見据えながら……真は真剣な調子で彼に言う。まるで、彼の背中を押すかのように。

「…………悪いな、真。最後の最後に背中を押して貰って」

 すると、戒斗はフッと小さく笑い……そう、素直な感謝の気持ちを彼女に伝えていた。

 それに真は「気にすんなって」といつも通りの笑顔で返し、

「あと、そういう時は謝るんじゃあなく、素直にありがとうって言えば良いんだよ」

「……ああ! ありがとう、真!」

「おう、行ってこい!」

 真に背中を押される形で、戒斗は頷き返し。そのまま彼女と別れ、彼女とは全く別の方向へと歩いて行く。彼女を置いて、彼女とは違う行き先へ。

「……真?」

 そうして歩き出した戒斗だったが、ふと奇妙な予感を感じ……立ち止まり、真の方に振り返る。

 このまま別れてしまったら、もう二度と逢えなくなるんじゃないかという……そんな予感が、彼の足を止めさせていた。

「良いから、さっさと行けっての」

 だが、遠くに立つ真はそう言って戒斗を遠ざける。早く行けと、やれやれと肩を竦めながら。

(……気のせい、か)

 結局、戒斗は今の予感を気のせいかと思い。首を傾げつつ、後ろ手に振りながら、また真に背を向けて歩き出した。

「ったく……」

 一秒ごとに遠ざかっていく戒斗の背中を、キャンパスに立ち尽くす真は腕組みをしながら、やれやれといった顔で見送りつつ。遠く、小さくなる彼の背中を見つめながら、翡翠真は独りこんなことをボソリと呟いていた。

「もう、迷うんじゃねーぞ……この、バカイトめ」

 薄い笑顔で背中を見送る真と、見送られながら歩いて行く戒斗。そうして二人は別れていく。それぞれが、それぞれの辿る道を歩くために。

 ――――――これが、翡翠真との最後の会話になることも知らぬままに。





(第三章『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』了)

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