第三章:Long Long Ago, Dear my Memories/05

「……えっと、どちら様ですか…………?」

 バイクを押して近づいた遥が声を掛けると、少女は顔を上げ、遥の顔を見上げながら震えた声で言った。

 ――――遥を見上げる少女は、泣き腫らした顔をしていた。

 何故そんな顔をしているのか、その理由はまだ分からない。分からないが……でも、こんな顔を見たら放ってはおけない。放っておけるわけが、ないのだ。

「隣、いいですか?」

 だから遥は柔に笑んでそう言うと、少女の返答を待たずしてその隣へと腰を落とした。

 泣き腫らしたセーラー服の少女と横並びになって、遥が低い階段に腰掛ける。

 そうして二人で並んで座り、少しの間は無言だったが……ふとした折に遥は、何気ない調子で隣の少女にこう問いかけてみた。

「どうして、そんなに悲しそうな顔をしているんですか?」

「…………」

 少女は最初、俯いたまま話そうとはしなかった。

 しなかったが……しかし、十分ぐらい経った頃だろうか。黙ったまま、ただ優しい視線だけを向けて自分の言葉を待ってくれている遥を横目に見て、少女は漸くその理由わけを……事情をポツリポツリと話し始めてくれた。

「…………お父さんが、死んじゃったんです」

「……そう、でしたか」

「怪物に、殺されたんです。少し前に、倉庫街で働いていた時に」

「――――ッ!?」

 恐らく、あの時のことだ。

 少女の言葉を聞いた瞬間、遥はクッと顔を強張らせていた。

 更に少女が自分に話してくれた、当時の状況を聞く限り……彼女の言う怪物というのは、ほぼ間違いなく少し前に遥があの倉庫地帯で戦った二体のバンディットのことだ。

 確かに遥が駆けつけた時には、もう蛇型と蜘蛛型の二体は作業員を数名殺した後で、その死体を喰っている最中だった。

 だとしたら――――あの惨たらしい惨殺死体の中の一人が、この少女の父親だったのか。

「っ…………」

 それを思うと、思わず遥は少女に対してすみません、と詫びそうになった。自分が遅かったせいで父親を助けてやれなくて、すまなかったと。

 だが、それを口に出すことはしない。だって自分が神姫で、そしてあの場で人知れず戦っていたことは……誰にも知られてはいけないのだから。

「……そう、だったんですね」

 それでも、遥は強く悔やむ。喉元まで出掛かった謝罪の言葉を押し込めつつも、ただ同情の気持ちだけを込めた相槌を打ちつつも。それでも、悔いる気持ちだけは胸中に強く抱いていた。

 だって――――彼女の父親を殺した二体の片割れ、蜘蛛型の方は取り逃がしてしまったまま、未だ倒せずじまいなのだから。

「お葬式の最中だったんですけれど、辛くて耐えられなくて……抜け出して、気付いたら此処に居たんです」

「……大変でしたね、色々と」

「お姉さんは、どうして私みたいなのに声を掛けてくれたんですか?」

 遥が胸の内で強く悔いる傍ら、少女はふとした折にそう彼女に問うていた。

 そんな少女の顔も語気も、さっきよりは幾分か落ち着いた感じだ。遥に今までのことを話すことで、少しだけ肩の荷が下りたのか……泣き腫らした顔のままではあったが、それでも先程よりはスッキリした顔をしていた。

「貴女が、凄く悲しそうな顔をしていたから」

 少女の問いかけに、遥は彼女の顔を真っ直ぐに見据えながら答える。

「どうしても、放っておけなかったんです。悲しそうな貴女を、辛そうな貴女を……私は、放っておけなかった。だから話しかけたんです、貴女に」

「……お姉さんは、優しいヒトなんですね」

 すると、少女は泣き腫らした顔で遥の顔を見て、そして微笑みかけてくれた。

 その後で少女はまた俯き、隣の遥に対してこうも言う。まるで自分の胸の内を曝け出すかのように、やり場のない感情をどうにかしたいと……隣に座る間宮遥に、助けを求めるかのように。

「…………お父さんが死んじゃったのは悲しいです。悲しすぎて、今にもどうにかなっちゃいそうなんです」

「……はい」

「私は、お父さんが大好きでした。お父さんが必死で働いている姿は格好良くて、家でだらけてる姿は……ちょっと情けなくも見えましたけれど。でもそんなお父さんが傍にいてくれることが、私は凄く幸せでした。沢山の幸せをくれるお父さんが、たった一人の素敵なお父さんが……私は、大好きだったんです」

「……ええ」

「お父さんが死んじゃって、悲しい。悲しいけれど……でも、私は前に進まなきゃいけないんですよね」

「…………」

「分かってる、分かってるけれど……でも、悲しくて仕方ないんです。悲しすぎて、足に力が入らなくて。私はもう……立ち上がれないんです」

 ぐちゃぐちゃになった感情をそのまま吐き出すみたいな、震えた声で少女が呟くその言葉。泣きながら、しどろもどろになりながら彼女の話す言葉を聞いて、それに相槌を打って……遥はどうしたものかと、どう言葉を掛けたものかと思い悩む。

 そうして思い悩んだ末に、遥はひとつの答えに行き着いた。目の前で涙を流す少女を救うため……いいや、救うという言い方は少し傲慢だ。悲しみに暮れて涙を流す少女に、少しでも力になりたいと思い……遥は隣に座り込む少女に向かって、こんな話を語り始めた。

「――――実は私、記憶喪失なんです」

 そう、他の誰でもない自分自身のことを。

「記憶、喪失……?」

「はい。私には過去の記憶がありません。今から一年半前、雨の中に倒れているところを助けて貰って……それより前の記憶は、気付いたら頭の中からすっぽり抜け落ちていました」

「……怖く、ないんですか?」

「ええ、怖いです」

 訊き返してくる少女に、遥は笑顔を向けて頷き返す。

「本当の自分が知るのが、今でも怖くて怖くて仕方ありません。記憶を失ってしまったことも、凄く悲しいです」

 ――――それでも。

「それでも、過ぎてしまったことは、もう変えられないんです。私たちは神様じゃありませんから、過ぎてしまったこと、一度起きてしまったことを変えることなんて出来ません。

 …………だったら、前を向いて生きていくしかないんです。過去には戻れない、未来にしか歩けないのなら……せめて私たちは、今という時間を精いっぱいに生きるしかないんです」

「今という、時間を……精いっぱいに」

「貴女のことを何も知らない私が言うのも、おこがましいのかも知れません。でも……きっと、貴女のお父さんもそれを望んでいるんじゃないかなって……根拠は無いですけれど、私はそう思います」

「未来を、精いっぱいに…………」

 夕焼け空を仰ぎ見ながら、遠い目をして遥が呟いた言葉。それを少女も呟き、胸の奥に刻みつけるみたく反芻する。

「あの、よかったらこれを」

 そんな風に呟く隣の少女に、遥は一枚の紙切れを手渡した。

「これは……?」

「お店の住所です。私が居候させて貰っている、とっても素敵な喫茶店の」

 戸惑いながら少女が受け取った紙切れに記されていたのは、店の住所……純喫茶『ノワール・エンフォーサー』の住所が書かれたメモだった。

「私が力になれることは、無いかも知れません。でも、寂しくなったらいつでも来てください。私に出来ることは無いかも知れませんが……それでも、話ぐらいはいつでも聞きますから」

「……はい!」

 柔らかく微笑みかけながら遥が言うと、頷く少女も小さな微笑みを返してくれる。

 その微笑みは、とても明るいものだった。顔は泣き腫らしていて、眼も真っ赤だったが……それでも、浮かべる笑顔はとても明るく、真っ直ぐなものだった。過去ではない、この先に続く未来を見つめ始めたような……少女が遥に向けてくれた微笑みは、そんな色をしていた。

「ありがとうございます。お姉さんに色々話したら、少しだけ気が楽になりました」

「話なら、幾らでも聞きますよ。貴女が私を必要としてくれるのなら、私はいつでも相談に乗ります。

 …………だから、貴女は決して一人じゃない。それだけは、どうか忘れないでいてくださいね」

「――――はいっ!!」

 座り込んでいた階段から立ち上がり、頷いて。最後にペコリとお辞儀をして、少女は去って行く。

 その顔からも背中からも、さっきまでの暗い雰囲気は消えていて。今の彼女にあるのは、ただ未来に向かって進んで行こうという……そんな風に前向きな気持ちだった。

「…………私が、守りますから」

 去って行く少女の背中を見送りながら、階段に座ったまま遥はひとりごち。そして右手を強く、強く握り締めた。

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