第一章:平穏で幸せに満ち溢れた日々の中で/11

 十五分ぐらいしてからアンジェは私服に着替えて店にやって来てくれて。そうして彼女もいつものように戒斗と遥に混ざる形で、夕暮れ時に三人で戒斗の実家である純喫茶『ノワール・エンフォーサー』を手伝ってくれていた。

 …………前にも述べたが、アンジェはこうして暇を見つけては頻繁に店を手伝ってくれている。

 それこそ、ほぼ毎日と言っていいぐらいの頻度で、だ。そんなに手伝う必要もないのに、何故こうも頻繁に手伝ってくれるのか……流石に申し訳なくなって、前に戒斗が彼女に問うたことがあるのだが。その時のアンジェの答えといえば、こんな感じだった。

『なんでって、僕がしたいからしてるだけだよ?』

 …………だそうだ。

 まあ、こちらとしても彼女が居てくれると色々と助かるというのが本音だ。

 以前にも説明したように、彼女お手製のアップルパイやキッシュが店の人気メニューになっているぐらいアンジェは料理上手。それに店の回し方も上手いし、何よりも愛想がいい。出迎えられる客の側だけじゃなく、一緒に働く戒斗たちも自然と元気を貰えるような……アンジェはそんなだ。

 だから、戒斗だけじゃなく彼の両親も、アンジェが店を手伝ってくれることを凄く感謝している。流石にタダ働きさせるのはアレだからと、少し色を付けたバイト代は渡しているらしいが……。

 何にしても、ありがたい話だ。記憶喪失の遥がこの家に居候を始め、店を手伝うようになるまでは……アンジェがこの店の看板娘のようなものだった。

「カイトー、例のスペシャルメニューふたつ入ったよ」

「はいよ」

 と、厨房に立つ戒斗が何気なくそんなことを考えていると、カウンター越しにアンジェが呼び掛けてきて。例の裏メニューの鬼盛り焼きそば『戒斗スペシャル』の注文が新たに二つ入ったと告げられると、戒斗はアンジェの方をチラリと横目に見ながら頷き返す。

「戒斗さん、こちらもスペシャルを三つ。新規のオーダーです」

「マジで!?」

「はい、マジです」

「あー……アンジェの方の先約もあるから、流石にちょっと時間掛かるわ。その辺り、悪いんだが遥の方から伝えておいてくれ」

「分かりました。焦らなくても大丈夫ですよ、戒斗さん」

「焦りもするさ。わざわざ遥をご指名で、しかもスペシャルが三人……大方、いつもの三馬鹿連中だろ? 食べ盛りの野郎どもが腹空かして待ってるんだ、出来るだけ早く仕上げてみせるさ」

「ふふっ、分かりました。ではそのようにお伝えしておきますね」

 更にスペシャルメニューを追加で三つほど注文を取ってきた遥とそんな会話を交わし、カウンター越しに柔らかく微笑む彼女と軽くアイ・コンタクトを交わしつつ。戒斗は二つと三つ、計五つのスペシャルメニューを可及的速やかに調理していく。

「ほいお待ち。遥、こっちの三つはそっちのだ。後の二つは……今はちょっと忙しそうだな。オーライ、だったらひとつは俺が持って行く。アンジェは後のひとつだけ頼むよ」

「うん、分かったよカイト」

 それから十数分後、熱々の特大鉄板に盛った鬼盛りメニューを一気に仕上げた戒斗は、カウンター越しに三つを遥に手渡しつつ。丁度アンジェが忙しそうに接客しているのを見て、彼女にはひとつだけを託すことにし。後のひとつは自分で客の元まで運ぶことにした。

「はーい、お待ちどおさまっ♪」

「ほいほいお待ち。待たせちまって悪かったな」

 そうして、笑顔のアンジェと一緒にドデカい鉄板にこれでもかと盛り付けた裏メニューの鬼盛り焼きそば『戒斗スペシャル』をテーブル席の学生客二人、その目の前に出した。

 すると、学生服の二人は大喜びでそれにがっつく……かと思いきや、戒斗をよそにアンジェの顔を見上げながら、にへらにへらと鼻の下を伸ばしている始末で。それに「あはは……」と困った顔で苦笑いしているアンジェの傍ら、戒斗は溜息交じりにその鼻の下を伸ばした学生客二人を適当にあしらい。アンジェの背中を押しながら、彼女と一緒にカウンターの方へと戻っていく。

『――――速報です。今日の午後十四時頃、ビル建設現場でまた怪物が出現した模様です』

 そうしてカウンターの方に戻っている最中、二人の耳が何気なく捉えたのは……壁に掛かった液晶テレビが映し出す報道番組が流している、そんな物騒なニュースだった。

「……結構近いね、カイト」

「ああ……物騒だな」

「ホントにね」

 立ち止まってテレビに耳を傾けてみると、どうやら此処からそう離れていない場所で起きた事件らしい。

 曰く、突如としてビル建設現場に出現した謎の怪物に襲われ、その場に居合わせた建設作業員五名が死亡。それ以外にも十数人が重軽傷を負った……とのことだ。

『警察はこれに対し、対テロ特殊部隊SATサットを投入。無事に怪物の駆除に成功した模様です』

 続くニュースキャスターの言葉によると、そういうことらしい。

 どうやら現れたという謎の怪物は、警察の特殊部隊が駆除してくれたようだ。取って付けたようなオチだが……逃げられたとかでは無い辺り、一安心といえば一安心か。

「そういえば、こんな噂知ってるか?」

 戒斗がアンジェと二人でそのニュース番組を眺めていると、カウンター席に着いていた二人組の常連客が何やら噂話を囁き始める。

「なんだよ、噂って」

「今のニュースでやってた怪物がどうのってあるだろ? 噂なんだけどよ……なんでも、その怪物を倒してるのは実は警察じゃないらしいんだ」

「ンな阿呆な。警察以外の何処の誰が駆除するってんだよ? 自衛隊か? それとも未来からやって来たサイバーダイン社製のシュワルツェネッガーか? 寝言は寝て言ってくれよ」

「嘘かホントか分かんねえ、単なる噂話だよ。まあ聞けって……」

「聞くぐらい構わないけどよ」

「あくまで噂、単なる都市伝説だけどな? あの怪物を倒してくれてる、そんなヒーローが居るらしいぜ……?」

「それこそマジで眉唾モノじゃねーか。日曜の朝じゃねーんだぞ?」

「だよなあ。でも話によるとな、すっげえ可愛い女の子らしいんだよ。俺が聞いた話だと、どこからともなく呼び出した剣でバッサリ、一撃で倒しちまったらしいんだ…………」

「へえ? どうせ嘘っぱちだろうが……可愛いだってのなら、俺も一度お目に掛かってみたいモンだぜ」

「ああ全くだ。女の子に守って貰うなんざ、俺的にはすっげえ燃えるシチュエーションってえの? 弱きを助け悪しきを挫く正義の変身ヒロイン! ってか。たまんねえよなあ……」

「…………俺には時々、お前の趣味がよく分からなくなるよ」

「うるせー、ほっとけ」

 ――――とまあ、カウンター席の常連客が囁く噂話といえば、こんな具合の眉唾モノな話だった。

 この噂、戒斗も前に小耳に挟んだことがある。アンジェもだ。

 噂というか、都市伝説の内容は今まさに常連客の一人が饒舌に話した通り。連日報じられる怪物騒動と警察の活躍の裏で、密かに怪物を倒して回っている……そんな可憐な乙女が存在するという話だ。

 さっきもう一人の客が言っていた言葉ではないが、特撮ヒーロー番組かっていう荒唐無稽な話だ。現実にそんな都合の良い存在が居るはずがない。まして、化け物を軽々と両断する、そんな可憐な変身ヒーロー……あいや、この場合だと変身ヒロインと言うべきか。とにもかくにも、そんな都合の良い存在が居るはずがないのだ。それはテレビの中だけの話で、現実には有り得ない話なのだから――――。

 故に、戒斗は客たちが交わす噂話を右から左に聞き流していた。

 アンジェだってそうだ。彼女は……主に戒斗の影響で、そういった日曜朝の特撮ヒーロー番組が大好きだったりするのだが、それとこれとは話が別。噂話を聞いた当初はワクワクしながら戒斗と色々話していたものだが……別に客たちの話に首を突っ込んでまで、話を広げようとするほどではない。

 故に、二人とも今の噂話には殆ど興味を示さなかった。ただ壁に掛けられた液晶テレビを見上げ、報道番組を眺めながら、物騒だねと他愛のない言葉を交わし合うだけ。

 だが――――――。

「……………………」

 この店の中で、ただ独りだけ――――間宮遥だけは、神妙な面持ちで液晶テレビを見上げ、そして客たちの噂話に耳を傾けていた。

 ――――まるで、それが真実だと言わんばかりに重く、とても神妙な表情で。





(第一章『平穏で幸せに満ち溢れた日々の中で』了)

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