ルーチン作業

ミカが認識できている静寂と人の気配のサイクルから推測する範囲では五日目と思しきその日、治療も受けられないため痛みが治まる気配もなく食欲は湧かなかったとは言え、元々は健康だったミカの肉体は、さすがに空腹を訴えてきた。


しかし剥き出しになった歯髄はなおも激しく痛み、裂けた口内が口内炎も併発していることもあり、まともには食べられない。


仕方なくミカは、硬いパンを小さくちぎり、それを檻の前の桶の水に浸してふやかし、さらにそれを舌の上に乗せて口内の傷に触れないように気をつけながら唾液に絡ませて飲み込んだ。


それでも、舌を動かすだけで痛みが奔る。


「……」


なのに彼女は、黙ってそれを何度も行った。十回くらいそれを続けると空腹感がマシになり、休んだ。


とは言え、それは一時しのぎにしかならず、また強い空腹感が襲ってくるので、再び同じようにしてパンの切れ端を胃に流し込む。


これを、ほぼ一日中繰り返す。


痛みと空腹の所為で寝ようと思っても寝られず、気が付いたら意識を失うようにして寝ていて、しかし痛みで起こされるという状態が続いた。


そしておそらく七日目になって、ようやくあの看守長がパンを持って現れ、床に放り投げた。


「さすがにこんなすぐにはくたばらねえか。ま、こっちとしても今は忙しくてな。お前の相手はしてられねえ。


ただし、お前にはギロチン台に行ってもらわなきゃならねえから、それまで死ぬんじゃねえぞ」


死なせたくないのならもうちょっと扱いを考えるべきだとは思うものの、確かに人間は水と食べるものさえあれば一週間やそこらでは死なないだろう。しかもミカの体は、とても生命力に溢れていた。けっして派手さはないものの、地道に耐え忍ぶということに向いていたようだ。


また、極力体を動かすこともせず、声も上げず、それでいて呼吸を整え、痛みを少しでも和らげようとだけ努力をしてきた。それが体力の温存にも繋がったのだと思われる。


その後また、誰も訪れない日々が続いた。


こんな、昼か夜かも分からない不気味な環境で、しかも絶え間ない痛みに苛まれ、かつ、時折、得体の知れない虫らしきものが体の上を這い回る時もあるような状態で、ミカは精神を正常に保ち続けた。


自身の肉体の状況を常に把握し続けることで意識を保ったのだ。


呼吸を数え、鼓動を数え、体内を巡る血液を感じ取り、手足を僅かに動かすことで正常に機能するのを確認し、それを、パンの欠片を何度も飲み込むだけの食事の合間に行い、静寂と人の気配の一サイクルに二十セット、確実に行うようにしていた。


人間は、ルーチン作業を繰り返すことで精神の安定を図ることができたりもする。


ミカは、今のこの環境の中でも淡々とそれを行い、自我を保ち続けたのだった。


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