037.シニエ狙われる

 まさか。そんなバカな。

 なぜここにあれがある。


 向かってくる小さい人を見て、迫る脅威に九頭大尾竜は焦った。

 急に動きを止めてあらぬ方向を見た九頭大尾竜。その要因を求めて横を向いたお燐はようやくシニエの存在に気がついた。

 どうしてなにがどうなって?

 混乱するお燐をよそに九頭大尾竜は慌てて進路を変えた。シニエに向かって動き出す。迫るシニエの危機にお燐は余計なことを考えるは止めた。シニエを助けることだけに集中する。思うように動かない体に鞭打って立ちあがった。

 しかし回復力強い九頭大尾竜と違い。お燐の回復は遅い。徐々に回復してきている九頭大尾竜は首も三つ目が復活していてお燐よりも動きが早い。


 急に方向転換して自分に向かって来た九頭大尾竜に驚いたシニエの足が止まる。さすがに迫り来る巨体に気圧されて、おおぉぉ、と呻き声を漏らしてうろたえた。

 足がすくんで動けないシニエに首一つが大口を開けて迫る。

 赤紫色の舌と奥に闇の広がる口内。鋭く太い牙にシニエは目を見開く。

 白の塔で蛇と戦ったことを思い出す。あのときのシャーと威嚇して口を開く蛇は恐ろしかった。だが今目の前にする九頭大尾竜は大きさも纏う雰囲気も明らかに違っていた。あのときの蛇が幼稚すぎてかわいく思える。蛇の牙は腕に穴を開けるくらいだったが九頭大尾竜の牙はシニエの手足よりも胴よりも太く、シニエの体をばらばらに出来る。開いた蛇の口はシニエの腕を飲み込むくらいだったが、九頭大尾竜の開いた口はニシエを三人分でも足りないほどに大きい。シニエを簡単に飲み込めてしまう。

 食べられる。

 恐怖に駆られてシニエは目をギュッとつむる。上から大きく開けた口にパクリと飲み込まれてしまった。

 しかし痛みも何も襲っては来ない。恐る恐る目を開けると光の膜に覆われていることに気がつく。右腕のお守りの石が一際光り輝いている。メディアが守ってくれたのだと理解した。

 少しホッとしたのもつかの間、九頭大尾竜の口内の様子に自分がどんな状態にあるのかを思い出してゾクリする。


 口を開けて下を向いたまま九頭大尾竜は止まっていた。

 口を閉じようとしたのだが何かがつっかえて口が閉じない。他の二首が言うには小さいのを包んだ光の膜を咥えた状態にあるらしい。

 小ざかしい。こんなもの噛み砕いてくれる。

 九頭大尾竜は光の膜ごとシニエを咥えたまま持ち上げる。もう一度顎に力を込めて咥えなおした。ピシ。光の膜にヒビが入る。二首からもう少しで砕けると教えられてもう一噛みした。


 持ち上げられた光の膜中でひっくり返るシニエ。四つん這いになって起き上がるとヒビの入る音を耳にする。辺りを見回して光の膜に走るヒビに戦慄が走る。

 案の定シニエを覆っていた光の膜とお守りの石が同時に砕け散った。

 九頭大尾竜の口内にシニエが落ちる。

 顎の負荷が軽くなった。九頭大尾竜もチャンスとばかりに口を閉じようとする。

 しかしチャンスだったのは九頭大尾竜だけではなかった。

 下から顎を狙ったお燐の火の輪アッパーが打ち込こまれた。

 九頭大尾竜の首が仰け反る。シニエは衝撃で口外へと放り出された。

 逃すかと九頭大尾竜も足掻く。口を無理やり閉じた。シニエは右足の足首から下を齧られてしまった。足は千切れなかったが九頭大尾竜の口からだらりと垂れ下がった姿になる。

 足をつたって上半身へ血がダラダラと流れる。傷の深さがが窺えた。

 右足に走る激痛にシニエは癖で歯を食いしばって悲鳴を堪える。

 とシニエを咥えた九頭大尾竜の下顎が不自然にダランと垂れ下がった。

 首が前のめりに倒れそうになって開いた口からシニエが落ちる。

 異常を感じた首の一つが慌てて長い首の半ばから上を引きちぎった。シニエの血の猛毒にやられた首を体に影響が出る前に切り離したのだった。


 空を駆け上がったお燐がこれ幸いと落ちるシニエを咥えて回収する。

 離れた場所まで避難すると抱えたままシニエの傷の具合を確認する。

 右足が深く切られているものの半分以上くっついていた。代わりに右足を守るように歪んだオオビトの補助具をみてお燐は友人に感謝した。

 それにと抱きとめた腕からこぼれたシニエの右腕を診る。手首にはメディアのくれたお守りが巻かれていた。役目を終えたとばかりに石が砕けて紐だけになっている。メディアも守ってくれたんだね。ありがと。

 九頭大尾竜がなぜシニエを喰らおうとした首を引きちぎったのかは分からない。でもそのおかげで距離を離すことが出来た。

 落ち着きを取り戻した九頭大尾竜がこちらを見つめる。

「シニエ、大丈夫さね?」

「おびぃん」

 痛みを堪えるのに必死でうまく返事が出来ない。さらに涙でいっぱいの目にはお燐がぼやけて見えた。声と毛の感触に自分を抱えているのがお燐だと認識できた。

「だから来るなって言ったさね!」

 泣き叫ばない。我慢できるえらいシニエを叱る。

「う~」

 こうなってはしかたがない。少しだけ張った肩のこわばりが融けた気がした。

「逃げるよ」

 お燐は走り出した。離れた場所にある荷車は火の輪の遠隔操作で走らせる。

 九頭大尾竜は抱えるシニエを見ている。

 シニエに何があるのかはわからない。でも渡すつもりは無い。


「シニエ。傷薬を出しな」

「ん~?」

「メディアから貰ったろ?」

 シニエは袖口をまさぐって傷薬の小瓶を出す。

「ちょっと手荒になるけど我慢さね」

 並走する荷車にシニエを出来るだけ低い高さで投げた。尻から落ちたシニエが抗議の視線を向けるのをさらりと流して、シニエの手から取った小瓶をあけて右足の傷口にかけた。

 水っぽかった傷薬は傷口に来るとジェルようになって右足の傷口周りを覆って纏わり付く。焼けるように痛んだがしばらくすると痛みが引いて出血も止まった。じわりじわりと傷口を塞いでいく。お燐はさすがメディア特性の魔法薬だと心の中で賞賛の声を送った。

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