EX.血まみれの道化師は笑う

 夜空に新たな星が生まれてから四半刻もたたないころ。


「ふんふんふーん」


 一人の男が魔の森を歩いていた。

 正確には、照明も持たずに足場の悪い夜の森を軽やかなスキップで進んでいた。


 ひし形模様の服を着て、目元を仮面で隠し、手にしたバトンをくるくると回している。

 森を歩くにはあまりにも不釣り合いな格好。それどころか、街中であっても奇異の目にさらされるほどに派手な衣装である。


「みぃーつけたぁ。ここだぁ、ここぉ」


 立ち止まった男の前には、怪物の口のような岩の裂け目が月明かりに照らし出されていた。

 男は一切の迷いを見せずに、その暗い口の中へと飛び込んでゆく。


「ほっわぁー。あったあったぁ。獅子帝ちゃんのご遺体はっけーん」


 暗い洞窟の中に残されていたのは、魔獅子の遺骸いがいである。


 男は、遺骸に歩み寄ると、うやうやしくお辞儀をする。


「我が名はアルルカン。預けたものを返してもらいに参上しました。って、死人相手に意味ないよねぇ」


 アルルカンと名乗ったその男は、足を伸ばしたまま腰だけ曲げて、遺骸に顔を近づける。


「むぅー? 胸元に傷口がありますねぇ。ま、魔石は絶対防御の魔力で守られてますんでぇ、大丈夫ですけどねぇー。むしろ、手間が省けたかなぁー」


 アルルカンはしゃがみ込み、胸元の傷口に腕を突っ込んだ。そのまま、魔獅子の遺骸の内部をまさぐる。


「うんしょ、うんしょっと。よっし、取れたぁ」


 傷口から腕を引き抜くと、その袖口は真っ赤に染まっていた。

 その手には魔核が握られている。


「うふふふふふふふふふふふふふふ」


 果物を分けるように両手の親指をつっこみ、魔核をふたつに割る。

 中から出てきたのは、巨大な紅い魔石だった。


「じゃじゃーん。【魔人の卵】ぉー」


 アルルカンは魔石を高々と掲げた。


「いやー、長かった。使命を思い出して十年。ようやくここまで成長させることができました。いや、感無量。ほんと、泣けてくるね」


 アルルカンは魔獅子から流れ出ていた血まりの上で軽やかにステップを踏み、文字どおり小躍りした。

 ぴちゃぴゃと血が跳ね、アルルカンのズボンに紅い斑点を作ってゆく。


「そもそも、なーんで十年前まで使命を忘れていたのやら。ほんと、不思議ですねぇ。誰かに【忘却】の恩寵でもかけられていたのかしらん」


 自分のこめかみに血まみれの人差し指をグリグリと押し付け、首をひねるアルルカン。


「ま、こうして【魔人の卵】も手に入ったし、あとはぁ、ぐふふふふふふふふふふふ」


 アルルカンは片ひざをつき、手のひらに魔石を載せ、それをうやうやしく頭上へと持ち上げた。

 まるで、何者かに魔石を献上するかのように。


「世界よ、ひれ伏せ。人間よ、刮目かつもくせよ。今、古き時代は幕を下ろし、新たな時代が始まる。魔人の誕生、いや、復活の時!」


──ピシッ


「え?」


 アルルカンの手のひらの上で、魔石が真っ二つに割れた。


「ほぎゃああああああ! なにそれ! うそでしょ? ありえなーい!」


 アルルカンはふたつに割れた魔石の片割れを両方の手にひとつずつ持ち、それをすり合わせてどうにか元に戻そうとする。

 が、もちろんそんなことで割れた魔石が元に戻るわけもない。


「いやいやいやいやいやーん。だって、絶対防御で守られてたでしょ? 物理攻撃も魔力攻撃も無効でしょ? 並大抵の【魔力耐性物質】でも、貫けないはずでしょぉー」


 アルルカンは泣き崩れ、地面にうずくまった。


「ああああああああぁ。俺ちゃんの十年がァァァァァァァァ、あぇあぉあぅ……」


 体を丸くして固まるアルルカン。

 五呼吸ほどの沈黙が続いた後、その肩が小刻みに震えだす。


「ふ、ふふふふ、ふふふふふふ」


 両ひざをついたまま、アルルカンの上半身が跳ね上がった。

 背中を反り、喉仏を天に向ける。


「あーっははははははははは。わかってる、わかってますよぉ。この魔石に触れられるのは【絶対耐魔剣】のみぃ! そいつを持った誰かさんがぁ、こんなことをしでかしたんでしょお! げほっ、げはっ」


 仮面に空いた穴から、焦点の定まらない瞳がのぞく。


「ゆるさんぞぉ! せっかんしてやるぅ! おしりぺんぺんだぁ! どこの誰だか知らないが、ぜーったいにぃ、逃さなぁーい!」


 アルルカンはそのまま後ろへと反り返り続け、背中から血溜まりへと倒れ込んだ。

 まるで彼自身が出血したように、体の下から周囲へと血が広がる。


「ふは、ふは、ふはははははは」


 笑いながら、血溜まりの中で左右に転げ回るアルルカン。

 すでに上半身も血まみれだ。


「いーしっしっしっしっ」「きへ、きへ、きへへへへへへへへ」「ひゃーはっはっはっはっはっ」「おほ、おほ、おほほほほほほほ」


 洞窟内に笑い声が反響する。

 たったひとりの人間が発しているとは信じられないほど、千差万別、あらゆる種類の笑い声が重なってゆく。


 その笑い声は、怪物の口のような岩の裂け目から漏れ出し、静まり返った魔の森へと、にじみ出すように広がっていった。


 つづく?

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斥候が主人公でいいんですか?  失敗しらずの迷宮攻略 神門忌月 @sacred_gate

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