17.神罰
『さあ、答えろ!』
モナの脳裏にアルバの声が響いた。
いつもと少し違った声色に聞こえるのは、アルバの耳で聞いた彼自身の声だからだ。
(合図の言葉!)
それは【伝心】の恩寵でアルバの意識をモナが共有することを許す開始の合図であった。
現在、モナがいるのはスタークの街の西門脇、西の大
足の下からは戦闘の
モナは目を閉じて、おとがいを上げ、心の耳を澄ました。
「……魔獣を操っている自白を確認。……神殿破壊の
アルバによって誘導された魔獅子の言葉が、アルバの意識を通して聞こえてくる。
その内容はおおむね予想どおりだ。
『……だ、そうだぜ、モナ。これで充分だろう?』
「ええ。充分ですとも。そして何よりも──」
モナは櫓から地上を見下ろした。
兵士と冒険者たちが魔獣相手に死物狂いの戦闘を繰り広げている。
「この魔獣たちの異常行動、そして、街が襲われている現状こそが、【支配】の魔法の効果と、魔獅子の
魔獅子による自白と魔獣の侵攻という現状の目撃。その二つがモナの記憶の中にそろう。
条件は整った。
モナは天に向けて両手を掲げた。
「我、モナ=シャラスフェリアの名において御神に進言いたします。今ここに、神に
その瞬間、モナの意識から外界が消え去った。
今、モナは光に満ちた空間にひとりでたたずんでいる自分を認識する。
そこは神の領域だ。
『モナ=シャラスフェリア。お前の記憶を我に委ねよ』
モナの意識の中に響いたのは、『
「仰せのままに」
モナはひざを折って
それは日課である祈りを
己の意識に触れてくる異物を感じ、モナは思わず眉をひそめるが、警戒心を抱くことはない。
『今、お前の記憶を通して事実確認は成った。エデュ=ティトロフは神敵である。この事案、本来ならば、かの者に神罰を下した女神が継続して担当すべきだが、その女神はすでに神界を去った。代理を探すゆえ、しばし待て』
「神界を去った?」
御使いの言葉はモナにとって意外なものだった。
神が神界を去る話など聞いたことがない。
『その代理、わたくしが務めましょう。お前は下がっていなさい』
モナは驚いて、はっと息をのむ。
老成を感じさせながらも年若い娘のようにも聞こえる声。
それは、モナにとって懐かしいものだった。
『御意』
そう答えた直後、御使いの気配が急速に遠ざかっていく。
『会えてうれしいわ。我が愛子、モナよ』
「お久しゅうございます。地母神様」
『お前もだいぶ環境が変わったようですが、
主神の一角を占める地母神が人間とじかに言葉を交わすのは異例中の異例である。
しかし、モナは
『さて、知っているとは思いますが、ティトロフ家は十年前まで我が氏子でありました。エデュが神罰を受けた際に加護は取り上げましたけれど。そのエデュに今度は獣たちが巻き込まれる。やるせないものですね』
「すべては罪深き人間の所業。地母神様が心を痛めることではございません」
『獣も人も、わたくしにとっては等しく我が子。まずは無益な戦いを止めねばなりません』
「このたびのこと、魔獣たちに一切の非はなく、穏便に済ませたく存じます」
『そうしたいところですが、たとえ天罰級の恩寵でも【支配】の魔法から魔獣たちを開放することはむずかしいでしょう』
「確かに、心に干渉する恩寵は、心がもつ本来の機能を強化するものばかり。認識を改変する魔法を解除するとなると……」
『十年前ならば方法はありました。魔獣たちからエデュに関する記憶のすべてを消し去ればよかった。忘却とは、心を守るための機能のひとつですからね』
【忘却】の恩寵の存在についてはモナも聞き及んでいる。
過去には神殿でも
しかし、なぜか今は使用されていない。
『ですが、十年前に、時の父神様に愛された忘却の女神は神界を去りました。あの数の魔獣から、ひとつの対象に関する記憶のすべてを消しされる神は、今の神界にはおりません』
「神界を去った女神とは、【真紅の
『はい。そのとおりです』
モナは【忘却】の恩寵が廃れた理由を察した。
その効果を司る神が不在であるとき、その恩寵の消費はとてつもなく大きくなる、と聞いたことがある。
『因果なものです。わたくしの氏子が罪を犯して獣に落とされた。その結果、忘却の女神が失われた。そして、それが魔獣への仇となって返ってくる。……いえ、父神様のことですから、すべては仕組まれているのやも知れません』
「では、魔獣たちを救うすべはないのですね」
『五百を超える魔獣を我が恩寵にて殺めねばならない。それが、わたくしへの罰なのでしょう。ならば致し方ありません。心苦しい限りですが、あの子たちにはいち早く生命の循環に戻ってもらいましょう』
「申しわけございません」
自分の無力さを実感し、モナの口から自然に謝罪の言葉が漏れた。
『お前が謝ることはでありませんよ。今から失われる命にも、お前が罪悪感を感じる必要はありません。人であるお前が、人に仇なす獣を殺す。それは自然なことです。立ち位置を見失ってはなりませんよ』
地母神がモナを叱った。
神の意思にしたがって人々を救うのが神官の役目だ。だが、すべてを救おうなどと思うのは
『ですが、わたくしを気遣うお前の心根はうれしく思います。さあ、我が力を使い、あの魔獣たちを
「仰せのままに」
『それと、エデュ自身に神罰を下すためには、お前自身がエデュの前に立つ必要があります。わかっていますね?』
「承知しております」
『ふふ。仲間が仕損じるとは
「はい」
モナは満面の笑みで答えた。
『よい笑顔です。さあ、お前の成すべきことを成しなさい、愛子よ!』
そのとき、西の大櫓から天へと光の柱が立ち昇った。
「ななななななな、何事っスか?」
射手用の足場の上でアーガスが慌てふためく。
その横で、ラキアは平然と光の柱を見上げている。
「どうやら作戦がうまくいったようね」
「作戦?」
「魔獅子を神敵認定する作戦よ。この光はモナが限定解除した証」
「限定解除?」
「天罰級の恩寵を賜る許可を得たってこと。普通は数人の神官で分担するものだけど、モナの霊格は
「一体、何が始まるんスか?」
「神の奇跡よ。その目を見開いてなさい。神罰が下る瞬間なんて、めったに見れないんだから。またこんなものを見られるなんて、ほんと、モナと一緒にいると飽きないわ」
光の柱を見上げるラキアの顔は、お気に入りの
「天罰? 神罰? 奇跡? まじスか?」
「さあ、魔獣ども、お仕置きの時間よ!」
「ちっ。さすがにやばいな」
のそりと立ち上がった魔熊を前にして、ガットロウの口から思わず弱音が漏れた。
すでに本日三匹目となる魔熊との
ガットロウの言葉が耳に届いたのか、背後を守っている冒険者たちの空気が変わった。
誰もが状況の悪さに気づいているだろう。しかし、それを実際にギルド支部長の口から聞いては、動揺するのも無理はない。
「俺も歳だな。ちょいと息が切れてきたぜ。酒を控えにゃならんかな?」
冒険者たちを安心させるべく、ガットロウはおどけた口調で精いっぱいの強がりを吐く。
「ガルルル!」
魔熊がうなり声を上げ、ガットロウに腕を振り上げた。
その直後、頭上から光が降り注ぐ。
「何だ?」
魔熊から視線を外せば命取りとなる状況下で、ガットロウには光の正体を確認する方法がない。
「おい、なんの光だ?」「何が起きている」「あ、あれ! あれ」「光の……柱?」
「ようやくか。待ちくたびれたぜ!」
周囲のざわめきから状況を察し、ガットロウはニヤリと笑った。
領主の館で聞かされた【鷹の目】の作戦が功を奏したのだと悟ったからだ。
「【土に還り、芽吹くものの糧となれ】!」
戦場に力強く澄み切った声が響き渡った。
ガットロウの目の前で、魔熊の体がビクリと震えた。
見れば、その脚には地面を割って伸びてきた植物の
「グルルル!」
魔熊は蔓を引きちぎろうと脚を上げるが、それよりも早く、蔓が魔熊の体を
「せりゃ!」
魔熊が動けなくなったと見るやいなや、ガットロウは手にした両手剣で魔熊を
蔓に固定された魔熊は倒れることもできずに、立ったまま絶命する。
「何がどうなった?」
周囲を見渡したガットロウは、魔熊に起こったのと同様の現象がいたる所で発生していることを知った。
塀の内側にいる魔獣のすべてが蔓に絡め取られて身動きできなくなっている。
壊された塀の隙間から外を見ると、そこでも同様のことが起きていた。
数百匹もの魔獣が蔓に絡め取られ、地にうずくまっている。
「なんだ? 何が起きている?」「恩寵なのか……これは?」
兵士と冒険者たちは、武器を構えたまま、身動きの取れなくなった魔獣たちを呆然と見つめている。
魔獣を攻撃する好機には違いないが、まだ蔓の動きが止まっていないため、手を出しかねているのだ。
ガットロウが物見櫓を見上げると、その足場を起点として、天に向かって光の柱が伸びていた。
「これが神罰ってやつか?」
「支部長! これは?」
「ああ。話には聞いたことがあるだろう? 多分、天罰級の恩寵ってやつだ」
「すげえ……」「奇跡だ」「おお神よ!」「神官様!」「『微笑みの聖女』様!」
感極まったのか、一部の者が光の柱に祈りを捧げ始めている。
やがて、魔獣たちの体に絡みついた蔓から根が伸び、魔獣たちの体へと食い込み始めた。
そこかしこで、苦痛に満ちたうなり声が上がる。
「神罰だ。魔獣たちに神罰が下ったぞ!」「地母神様の怒りだ」
体中に張り巡らされた根に養分を吸われてゆくように、魔獣たちの体が見る見る間にやせ細っていゆく。
その体から体毛が抜け落ち、皮膚が剥がれ、すでに血の気を失った肉はボロボロと土のように形を失って崩れてゆく。
その
「神の怒りとは、これほどのものか」「神様こえー」「不敬だぞ! バカヤロー!」
魔獣に根を張った蔓から若芽が出て、急速に太さを増しながら空に向かって伸びてゆく。
魔獣を苗床にして、若芽はあっという間に若木へと成長する。
「俺は夢でも見てるのか?」「夢なものか! 神が我らをお助け下さったんだ!」
戦場となっていた西門手前の広場は、まるで手入れ不足の菜園のように、乱雑に生えた若木で埋め尽くされてしまった。
「外はどうなっている?」
塀の外から聞こえていた魔獣たちのうめき声は、いつの間にか途絶えていた。
その場にいた者たちは、こぞって崩れた塀の隙間や射手用の足場から塀の外を確認する。
所々に雑草が生えているだけだった西門外の荒れ地は、今や生い茂った若木で埋め尽くされていた。
まるで植林したての土地のような有様だ。
「……聖戦だ」
目の前に広がる光景は奇跡というよりほかはない。
その奇跡が敵を葬ったということは、その戦いが神敵を打ち破るための戦い──すなわち『聖戦』であったことの証である。
「ああ、そうだ。この戦いは聖戦だったんだ」「聖戦?」「何? 俺ら聖戦を戦ったの?」
誰かがつぶやいた『聖戦』という言葉が、急速に波及してゆく。
疲れ果てていた者たちの顔が、次々に明るい表情へと変わる。
「語り継げ! この戦いは聖戦となった!」「子供に自慢しろ。お前の父ちゃんは聖戦士だとな」「はは。なんてこった。こいつぁ、一族の誇りになるぜ」「あ、この剣は家宝にしなきゃだな」
「やれやれ。腕が上がらなくなる前にカタがついて助かったぜ」
ガットロウは両手剣を背中のさやに戻し、肩をぐるぐると回した。
「よし、お前ら、
ガットロウにとっては聖戦云々よりも、勝利を知らしめるほうがよほど重要である。
「うおおおお!」「勝ったぞー!」「いゃっほー」
浮かれ騒ぐ若者たちを尻目に、ガットロウは難しい顔で
「いや、これ、どうなんだ? 依代の次は聖戦か? 順風も強すぎればなんとやら。この領にとっていいことばかりじゃないぞ?」
ガットロウが何気なく大櫓を見上げると、
「おいおい、こんなときに聖女様がそんな顔すんなよ」
声が届かないことを承知でモナに向かってつぶやいた後、ガットロウはあらためて周囲を見渡した。
「って、まあ、しゃあないか。いくら魔獣相手でも、これだけ殺せばなぁ。……死して木を残す。地母神様のせめてもの慰みってやつか」
数百という死をなかったことのように包み隠す一面の若木。
それらを見つめながら、ガットロウはどことなく空々しい気分を味わうのであった。
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