352.元・国王のこれから

「それで? どっちが勝ったんです?」


 翌日、朝食の支度が整ったことを告げるため、来賓邸に足を運んだオレが目撃したのは、将棋盤を前にしてにらみ合っているふたりの姿だった。


 目の下にはクマがはっきりとあらわれていて、ギンギンに血走った目からは徹夜のあとがうかがえる。正直、まだやっていたのかという感想以外ないのだが、とりあえず結果だけは知っておきたい。


「五分五分か、もしくは俺が少し優勢ってところだな」

「なにを言う。どう見ても、六:四でワシが優勢ではないか」


 いや、この対局についてはどうでもいいといいますか、オレが知りたいのは一晩指した結果、何勝何敗だったのかってことでして。


「あ? これが一戦目に決まってんだろうが」

「決まってるって言われても、実際に見てたわけじゃないないんだ。わからないだろう?」

「ううむ、お互い決め手を欠く展開になってしまったからな。難局ゆえ、思っていた以上に時間がかかってしまったわい」

「おうよ。同じ局面が何回も続いたからな」


 ……それ、いわゆる『千日手せんにちて』ですよね? 同じ局面が何回も続いて、勝負が進展しない場合、無効試合になるやつ。


 ちらりと盤面を覗いたら、素人目にも「これはこの先、打つ手がないなあ」とわかったので、家主としての権限を発動し、対局を没収することにする。放っておいたら、無意味な対局を延々と続けそうだしね。


 まあ、没収しますよと宣言したところで、おとなしくそれに従うふたりではないわけで。義父からも友人からも不満の声が噴出するのだった。ええい、ケチだ、男の勝負を理解していないだの、いい大人がよってたかってウルサイな。


「お義父さん。あんまりワガママ言うようだったら、金輪際、カオルを抱っこさせませんよ?」

「……タスクの言うことももっともだ。引き際はわきまえなければならぬな」

「クラウスも、奥さんソフィアに徹夜仕事するなって言っているんだろ? 徹夜で将棋してたことが知られたらマズいんじゃないか」

「……まあ、お前さんがそこまで言うならしょうがねえよな。仕事もあるし、切り上げるとするか」


 そう言うと、ふたりは何事もなかったかのように、来賓邸をあとにした。もしかしてだけど、お義父さんが国王の座を退いたことで、今後、こういった光景が増えていくのだろうか……?


 そら恐ろしい未来予想図に頭を抱えながら、オレはため息交じりにふたりの後を追いかけると、領主邸に戻るのだった。


***


 結局、『賢龍棋王』という呼び方云々はどうなったのだろうか?


 クラウスとジークフリートが徹夜してまで対局をする直接の原因が、これからのお義父さんの立場についての問題だったはずなのだが。朝食の最中、ふたりともそれについてはなにも語らないのだ。


 変に話を蒸し返して、また勝負だなんだということになっても困るし、はてさてどうやって尋ねたものか。


「そういえば。ジークフリート様のお立場についてはどうなったのですか? これからは『賢龍棋王』になられると仰ってましたけれど」


 さりげなく切り出したのはニーナである。野菜スープを口に運んだ天才少女は、ナプキンで口元を拭いてから、ふたりの顔を交互に見やった。


 将棋に対する異常なまでの執着を知らないのか、口調はいたって冷静そのものといった具合で、素朴な疑問の範疇に留まった問いかけに、オレは内心でほっと胸をなで下ろした。


「うむ。少なからず反対する者がおるのだ。一旦は保留ということになるだろうな」

「当たり前だろうが。『賢龍棋王』っていう呼称以前の問題だぜ?」


 どういう意味だろうと思うより早くリアが説明してくれたのだが、国王の座を退いた人物は揃って『公』を名乗るのが慣例らしい。新国王からどこかしらの領地を封じられ、その領地名プラス爵位をつけたものが呼称になるそうだ。


「たとえばですけれど、『黒の樹海』が領地になるならそこに爵位と名前を付けて、『黒の樹海公ジークフリート』みたいな感じですね」

「ははあ、なるほど」


 ……あれ? そうすると、お義父さんもどこかしらの領地を与えられているって話になるわけだよな?


「それよ。息子から提示されたがな、断ってやったわ」

「は? 断ったというと……?」

「どこそこの領地はどうかと聞かれたのでな、いらぬと突っぱねてやったのだ」


 ガッハッハと高笑いで応じるジークフリートを、リアとクラウス、ニーナの三人が呆気にとられた面持ちで眺めやっている。


「……お父様? それはお母様もご存じなのですか?」

「無論だ。あれはまだまだ『夫人会』の長としてやっていくつもりらしくてな。公妃などごめんだと放言しておったわ」

「するってえと、オッサンの公式な立場はどうなるんだ?」

「立場もなにもないわい。ごくごく普通の一国民になるだけよ」

「突拍子もないお話で、理解が追いつかないのですが……」

「まあ、一国民というのは周りも良い顔をしないから、難しいところではあるのだがな。実際、ワシとしては爵位などいらんのだ」


 ワイングラスを傾けながら呟くと、ジークフリートはさらに続けた。


「隠居したのだ。これより先、国政にかかわるつもりはない。老人が居座っては若者も立つ瀬がなかろうが」

「お気持ちはわかりますが……」

「なに、息子アーダルベルトも、自分が理想とする国作りをしたかろうて。ワシがいないほうが息子のためにもなる」

「オッサン……」

「タスクよ。これからはそなたたち若者の時代だ。戸惑いがあるだろうが、失敗を恐れず、国王の務めを果たすとよい」

「お義父さん……」

「古き考えにとらわれることなく、思うがままに進め。人生は一度きりなのだ、くれぐれも後悔のないようにな」


 もっとも、これも大陸将棋協会の爺の戯言に過ぎん――そう言って、ジークフリートは再び豪快な笑い声を上げるのだった。


 ……もしかするとだけど。『賢龍棋王』という立場や呼び名は、お義父さんなりの配慮だったのかもしれない。国政に携わることがない、わけのわからない名誉職であれば、アーダルベルト陛下が気にすることもないだろう。


 そう考えれば、突然の「『賢龍棋王』に、ワシはなる!」という宣言も納得できる。……できるんだけど。


「お義父さん」

「なんだ?」

「お話から察するに、お義父さんが『賢龍棋王』になるということを、シシィ妃はご存じだったのですか?」

「当然だろうが。このように重要なこと、妻の相談なしに決められんわい!」

「はあ」

「あやつもあやつでよくできたものでな。王の座を退いたのだから自由にすればよいと。長い付き合いだけあり、ワシのことをよく理解しておる」


 これからは大手をふるって将棋の普及に取り組めるわい。満足げに呟くお義父さんとは対照的に、不穏な空気を全身にまとい、ハイエルフの友人はゆらりと席を立つのだった。


「オッサンよ……」

「む、どうしたクラウス」

「どうしたもこうしたもねえ! 最初ハナっから話が通ってたなら通ってたで早く言えっつーの! はた迷惑な爺だなあ!!」

「なんだとぅ!」

「クラウス様の仰る通りですわっ! ご自身の発言力がどのような影響を与えるか、もう少しご理解くださいませ!」

「ニーナまでなにを言うか!」

「カオル? こんな人騒がせなおじいちゃんは放っておいて、お庭で遊びましょうねえ」

「待て、リア! カオルを連れてどこへ行くのだっ!?」


 食後のお茶に手を付けることなく、ひとりまたひとりと食堂を後にするのを、戸惑いの眼差しで見つめるジークフリート。うん、今回に限っては順序立てて話さなかったお義父さんが悪いわ。


 オレはといえば、せっかくカミラが淹れてくれた紅茶を残すのはもったいないと、気配を殺してお茶をすすっていたのだが。


「……タスクよ」


 あ、気付かれるよね、そりゃ。座ったままだもん。なんでしょうと尋ねるオレにジークフリートは『元・賢龍王』としての威厳を見せつけるかのように声を上げた。


「即位に際しての王笏おうしゃくと王冠ができておるのか?」

「ええっと……間もなく完成だと聞いていますが」

「そうかそうか。それでは王に相応しいものかどうか、ワシが事前に確認しておこうではないか。いやなに、これも『賢龍王』として当然の務めだからな」


 言うやいなや、紅茶を一気に飲み干してジークフリートは席を立った。えーと……、オレ、執務があるんですが?


「タスクよ、『賢龍王』の貴重な意見なのだ。耳を傾けておいて損は無いと思うがの」

「わかりました。わかりましたって、案内しますからっ」


 ……はあ、これからは若者の時代だって言ってたのはどこのどなたでしたかね? 問いかける気力もなくため息を漏らすと、オレは義父を伴って食堂を後にした。

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