351.疫病対策

 ジークフリートから医学書について問われたのは、夜になってからだった。


 日中、子どもたちを相手に将棋を指していた義父は、疲れをまったく感じさせることなく、領主邸の食堂でカオルを相手に遊びに興じている。


 オレ? オレはといえばぐったりですよ……。子どもたちがじっとしてしてくれるなら良かったんだけど、立ち上がってはあっちやこっちに騒ぎ回って、まあ大変。


 しまいには「タスクお兄ちゃん、おれ、将棋しなくなーい!」「お兄ちゃん、わたしと外で遊ぼうよー!」とか言い出すし。素直なのは結構なんだけど、お義父さんの手前、「わかった、それじゃあお外で遊ぼうか」とは返しにくいんだよなあ。将棋崩しとか、別の遊びを交えながら、なんとか機嫌を取っていたけど。


 結果として、お義父さんを接待するために将棋教室を開いたみたいな感じになっちゃったもんなあ……。食後の紅茶をすすりながら、そんなことを考えていると、ジークフリートから突如として声をかけられたのだ。


「聞いたぞタスク。龍人族の国だけではなく、ハイエルフの国やダークエルフの国からも医学書を集めているそうだな」


 視線をやった先では、リアにカオルを預けるお義父さんがいて、若干の名残惜しさを表情に漂わせながらテーブルの一角に腰を下ろすのだった。


「リアとクラーラの話では、本格的な疫病対策に乗り出すそうではないか」

「ええ。人の往来が増えれば、病が運び込まれるリスクもそれだけ高まりますからね」


 小国であるフライハイトが生き残るためには、中継交易都市として発展させる以外に術がない。であれば、いまからいろいろと準備を進めていく必要があるのだ。


 疫病対策はその一環である。その昔、絹の道として知られるシルクロードが発展すると、人や物が運び込まれると同時に黒死病ペストも蔓延したのだった。人類史は未知の病との戦いの歴史でもある。こちらの世界で同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。


 水際対策はもちろんのこと、もし病気が発生してしまった際にも、冷静に対処できるよう知識を蓄えておかなければならない。平行して病院施設も拡充し、今後に備えておくのがベストだろう。


 ……オレの話に耳を傾けていたジークフリートは、やがて不敵な笑みを浮かべてはこちらを見やるのだった。


「な、なんです?」

「いや、なに、そなたも王としての自覚が出てきたなと、そう思ってな」

「そうですかねえ?」

「ついこの間まで、ラクをしたい、のんびり過ごしたいとぼやいてばかりだったではないか」


 本音を言えばねえ、楽隠居の身でありたいんですよ、マジでマジで。とはいえ、王になる覚悟を決めちゃったからには、やることはしっかりやらないとさ。


「兄様はご立派ですわ。ご自分の本心を押し殺してまで、民のことを思われるのですから」


 口を挟んだのはニーナで、得意げな顔に胸を張ると、ジークフリートに向かって宣言するのだった。


「それでこそ『賢龍王』の二つ名を受け継ぐような、偉大な王になられるに違いありませんっ」


 いやあ、それはさすがにどうかと思うよ、オレは。少なくとも単なる『将棋好きオジさん』でないことだけは確かだし、じゃなかったら大陸の三分の一を支配する大国の王なんぞできないだろ。


 ジークフリートはジークフリートで、ニーナの発言を微笑ましいものと受け取ったらしく、「それはいい!」と豪快に笑い飛ばしたのだった。口をとがらせようとする天才少女を慌てて制しつつ、オレは半ば強引に話題を転じてみせた。


「そういえば。退位されて間もないですけれど、お義父さんの肩書きってどうなるんですか?」

「む、なにがだ?」

「ほら、もう国王でないんでしょう? 周りの人たちはどう呼んでいるのかなって思って。さすがに元・陛下とは呼ばないでしょう」


 そのことか、と、ジークフリートは首肯し、間を置くようにして戦闘メイドにワインを持ってくるよう伝えてから、こちらに向き直った。


「よく聞けよ、タスク。ワシの今後の肩書きは……」

「はい……」

「『大陸将棋協会終身名誉会長』、通称『賢龍棋王』であるっ!」


 ババーンという効果音が聞こえたような。……いや、それ、通称もなにも『大陸将棋協会終身名誉会長』にかかってないじゃないですかっ! いままでとほとんど変わらないし!


「細かいことをいちいちうるさいヤツだ。よいか、タスクよ、こういうのは断言してしまった者が勝ちなのだぞ?」

「なにをもってして勝ったのかはわかりませんけど、『棋王』を名乗るのはどうかと思いますよ」

「なんだとっ、そなたもしや、ワシの棋力に不満があってそのようなことを言っているのではなかろうな?」

「その通りだぜ、オッサンよぉ!!!」


 食堂の扉が勢いよく開いたかと思いきや、颯爽と現れたのは軍服姿のクラウスである。


「好き勝手に『棋王』を名乗るなんざ、ボケが進んだ爺とはいえども、見過ごすわけにはいかねえなあ?」

「なんだとハイエルフの青二才めが。実力が伴ってもいない若輩が、王に対する口の利き方がなってないな」

「ああん? 誰が王だ、誰が? とっくに退位したってのに、王の肩書きにしがみつくなんざ、老害の極みじゃねえかよ」

「上等だ、今日こそどちらが上か決着を付けてくれるわ」

「はっ! 後で泣きをみないよう、せいぜい気張ることだなあ!!」


 両者見合ったまま、鼻息荒く食堂を立ち去っていく。どうやら来賓邸で将棋を指して決着をつけるらしい。カオルがいる手前、取っ組み合いのケンカになるのは自主的に避けたのだろうか。まあ、教育上よくないしなあ……。


 隣では「なんでしたの?」と聞きたげに、ニーナがオレを見やっているが、肩をすくめて応じるしかない。元・王様同士のケンカなのだ。オレたちのような一般人には理解できないもんだよ。


「でも、二ヶ月後には、兄様も即位されますでしょう?」

「あ~……」

「であれば、おふたりのお考えも理解できるのでは?」


 うん、理解したくないね。


 でもそうか、戴冠式まであと二ヶ月なのか。こうなってくるといよいよって実感がわいてくるけど、執務以外でやることはあんまりないからなあ。


 ま、いつも通りが一番さ。せいぜい、穏やかに日々を過ごそうじゃないか。

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