350.元国王の視察

 ここからは余談である。


 ベルのお店目当てにやってきた貴族や上流階級の人たちに、意外な人気を博したのが、なにを隠そうラーメン屋『樹海庵』だった。


 行列に並ぶのを苦とも思わず、食後には矢継ぎ早に「支店を出す計画はあるのか」などの質問を浴びせられ、オレは対応に追われまくった。


 あれ? ひょっとすると、これは事業展開しても商機があるんじゃないか? アルフレッドと相談しながら、計画を練ってみるのもアリかもしれないな。まずは龍人族の国に支店を設けて、評判次第でハイエルフの国やダークエルフの国にも進出するのはどうだろうか。


 確実な収益が見込めるのであれば、財務省としても反対はしないだろう。もっとも、喫緊の問題である人材不足を解決してからってことになるけど。


 ……で、後日。


 なんとなく思い描いた事業プランを開店前の『樹海庵』で話していると、耳を傾けながら、黙々とラーメンをすすっていた龍人族の国の元・国王は興味がないといったばかりに呟くわけだ。


「そなたが商いに熱を入れるというのは珍しいな。そういうたぐいはファビアンの専売特許だと思っておったが」

「国王が商売をしてはいけないっていう決まりもないでしょう? 国営って形態にすれば国庫も潤いますし、財源は確保しておくべきですよ」

「ふん。そのぐらいの熱量で、将棋の普及に力を入れてもよかろうが」


 すでに四杯目となる醤油ラーメンのどんぶりを両手に持ったジークフリートは、そのまま口に運んでスープを一気に飲み干した。義理の息子としては塩分の取り過ぎに気をつけてもらいたいんだけどねえ。


 やがて満足の吐息を漏らした義父は、よほどラーメンの味を気に入ったのか、麺とスープのマリアージュがうんたらかんたらと批評してから、今後も精進するようにと店長のロルフをねぎらった。


「さて、久しぶりにラーメンも堪能したことだし、そろそろ行くとするか」

「はい。準備はできていますから、案内しますよ」


 揃って店に出ると、開店待ちをしている人々がぎょっとした眼差しでジークフリートを見やり、そしてざわつき始める。そりゃそうか、退位したとはいえ『賢龍王』と呼ばれていた傑物だからな。知らない人のほうが珍しいよな。


 程なくして店の警備に立ち会っていたガイアが近づき、目的地まで警護しますぞと申し出てくれたのだが、ジークフリートはいらんいらんと首を左右に振ってすたすたと歩き始めた。


「……ジークフリート様ではなく、我が主の警護という意味で伺ったのですが……」

「まあ、お義父さんがいれば、千人単位で暴漢が襲ってきても片手で蹴散らすだろうしなあ。今回は大丈夫さ」


 そうですかと肩を落とすワーウルフ。心なしか、自慢の大胸筋もシュンとして見える。その分、治安警備にあたるよう指示を伝え、オレは慌ててジークフリートの後を追うのだった。


***


 お義父さんがフライハイトにやってくるのは久しぶりのことである。


 しかも、この人にしては珍しく、事前に連絡を取ってから訪ねてきたのだ。カミラとニーナからその話を聞かされた時、「嘘だ、別人じゃないのか?」と、一瞬、疑ったからな。


 とはいえ、丸一日予定を空けておけだの、どこから聞いたか知らないけれど評判のラーメン屋に案内しろだのといった要望は、普段のお義父さんの振るまいと変わらず、妙に納得を覚えるわけで。


 ともあれ、訪問の主目的である施設へ、オレはジークフリートを伴って足を運んだのだった。


 それは先日完成したばかりの『大陸将棋協会』フライハイト支部で、それなりの広さを伴った三階建ての施設を前にすると、『賢龍王』あらため『大陸将棋協会会長』の座に就いたジークフリートは、強面の顎に指をあて、不満を口にした。


「ずいぶんと手狭ではないか。将棋を広めるためには、もっと広いスペースを用意すべきだとワシは思うぞ?」

「いまはこれで十分過ぎるぐらいですよ。競技人口が増えたら、ちゃんと拡張しますから」


 第一、フライハイトで将棋をたしなむ人が少ないのだ。大人はほとんどがカードやリバーシとかに興じているし、やっているのは子どもたちがほとんどだからな。


 それもこれもマンガの影響が大きい。エリーゼとソフィアによる将棋マンガは、子どもたちの心をつかんで離さず、学校や児童館でも真剣な表情で盤面に向かいあう子どもたちをよく見かけるのだ。


 ときおり、「王手角取りブリザードスマッシュ!」とか「居飛車ボンバー!!」とかいう謎の叫び声が聞こえるのが気がかりなんだけど……。マンガに出てくる必殺技かなにかだろうか?


 ま、形はどうあれ、親しみを持ってもらえるのはなによりさ。


 規模にこそ不満を抱いていたジークフリートだったが、内部については概ね満足といったようで、整然と並べられた将棋盤を見やっては、うんうんと何度も頷いて満足の意を示している。


「これだけの数を用意するのは大変だったのではないか?」

「ええ、大変でしたとも……。市場に出回っている分を買い占めても足りませんでしたからね」


 マイナー競技の悲しさで、将棋盤も将棋駒も生産量が少ないのである。最後のほうなんか、構築ビルドして作ったぐらいだもん。この施設を建てるより骨が折れたね。


「ガッハッハ! それでこそ協会の名誉理事だ! 責務を立派に果たしているようで安心したぞ!」


 げっそりとした表情などには一瞥もくれず、義父はオレの背中をバシバシと叩いた。相変わらずの馬鹿力だなあと、ヒリヒリ痛む背中をさすっていると、ジークフリートはよしと呟いてから、こんな風に続けるのだった。


「準備も整っておることだし、子どもたちを集めるのだ、タスクよ」

「はい? なんでです?」

「決まっておるであろう。ワシとそなたで子どもたちに将棋の指導をするのだ」

「……本気ですか?」

「本気も本気よ。なんのためにそなたの予定を一日おさえたと思っておるのだ」


 ああ、なるほど。もともとそういうつもりだったんですね……? オレはてっきり夜も寝ないでお義父さんと対局するものだと覚悟を決めていたんですが。


「もちろん、子どもたちの指導が終われば、ワシとの対局に付き合ってもらうぞ?」

「えぇ? 子どもたちに指導する時間で日が暮れますよ?」

「そんなもん、子どもたちなんぞ早々と帰してしまえばいいのだ。大人たちの真剣勝負は、それとはまた違う話なのだからな!」


 ああもう、言ってることがめちゃくちゃだよ、この人。


 わかっているのは今日も長い一日になりそうだなってことぐらいで、とりあえず、脳内が将棋のことで一杯にならないうちに、オレは事前に頼んでおいた物をジークフリートから受け取ることにした。


「おお、忘れずに持ってきたぞ。いまのうちに渡しておくか」


 そう言って空中に魔法のバッグを出現させたジークフリートは、中から数冊の書籍を取り出した。


「しかしわからんな。ここにはリアやジゼルたちがいるだろう? この手の書籍は不必要だと思うがな」

「いえいえ、むしろ、リアたちがいてくれるからこそ必要になるんですよ」


 受け取った書籍に目を通す。専門的な用語がびっしりと書かれたそれは、大陸で広まった疫病の症状や治療法が書かれている医学書で、オレは施設から抜け出すと、受け取った医学書を預けるため、病院へと向かった。

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