318.返上
……まあ、そんな願いも虚しく怒鳴り込んできたんだけど。
厳つい顔に怒気を含ませて、ジークフリートがやってきたのはエリザベートとの一件から三日経った日のことで、こちらとしては翌日にでも乗り込んでくるんじゃないかと身構えていた分、余裕を持って対処ができたのだった。
「タスクはおるかっ!!」
勢いよく玄関の扉を開け放ち、乱暴な足音とともにエントランスに姿を現した龍人族の国王は、オレを見るなり一枚の書面を取り出して、見せつけるように眼前へ突き出した。
「いったいどういうつもりだっ⁉ こんな大事なことを、何の相談もなく勝手に決めるなど、ワシは許さんぞ!!!」
「お義父さん、お義父さん……」
「なんだっ⁉」
「カオルが寝ているので、もう少し抑えていただけると……」
書面から顔を覗かせて、せいぜい申し訳なさそうに頼んでみると、孫の名前を出されて気勢を削がれたのか、ジークフリートは極端なまでに声のボリュームを下げ、今度は聞こえるか聞こえないかぐらいのひそひそ声で同じ言葉を繰り返すのだった。
「このような大事なこと、何の相談もなく勝手に決めるなど許さん。ワシはそう言いたいのだっ」
控え目な声量につられたのか、険しさを滲ませた義父の表情は六割ほど平静さを取り戻している。オレは突き出された書面を受け取り、そこに書かれていた『王位継承権ならびに爵位の返上』という標題を見やってから、ため息をつきたい衝動を堪え、声に出してはこう言った。
「とにかく、場所を変えましょう。どうぞこちらへ……」
***
エントランスに隣接された食堂に通されたジークフリートは上座に腰を落ち貸せると、お茶の用意をいたしますという戦闘メイドの声を遮って、赤ワインを持ってくるようにと苛立たしく告げた。
やれやれ、この様子だと先が思いやられるなと思いつつ、グラスに満たされた赤い液体が喉元を流れゆく様を眺めやって、オレはようやく口を開く。
「王位継承権と爵位返上の件ですが、王妃様には相談したんですよ?」
空になったグラスを乱暴にテーブルへ戻し、自ら赤ワインを注ぐジークフリートは、アルコール交じりの吐息に不愉快の微粒子をまとわせている。
「それよ。かように重大な話であれば、シシィよりも先に、まずワシに伺いを立てるのが筋ではないかっ」
「お義父さん」
「なんだっ」
「お酒はそのぐらいでお願いします、あとでカオルを抱っこしてもらいたいので」
手を急停止させ、ワイン瓶を静かにテーブルに置いたジークフリートは、グラスの二割にも満たない赤い液体を口へと運び、戦闘メイドにミルクティーを持ってくるようにと丁寧に頼むのだった。
うーむ、ビックリするぐらいエリザベートの予想が的中しているな。暴れそうになったら、カオルの名前を出せばいいわ。おとなしくなるでしょうから……朗らかな表情で言われた時は半信半疑だったけど、ここまで効果てきめんだと、こちらも気が引けてしまう。
おっと、いかんいかん。おとなしくしているうちに、お義父さんを説得しないといけないんだった。
***
エリザベートが持ちかけた悪巧み――王位継承権と爵位の返上――とは、主に以下の内容を含んだものである。
1.タスク(つまりオレ)とタスク家が所有する爵位と王位継承権を龍人族の国に返上する
2.ならびに、今後一切、どのような理由があろうとも龍人族王家に復帰する権利を放棄する
3.返上にあたり、龍人族の国と王室は次の権利を保障するものとする
4.『黒の樹海』一帯を支配下としたフライハイト自治領の樹立。及び、自治権の一切を領主に委ねる
5.自治領樹立に伴って、龍人族の国への納税は免除するものとする
「……簡単に言ってしまえば王室から離れる見返りに自治権をよこせ、そういった話ね」
「フライハイトは陛下直属の特別な領地として庇護の対象にありますが、この際、まとめて返上してしまうのが最善かと思われますわ」
エリザベートに続き、声を上げたのはニーナだ。
「こちらから返上を申し出れば、殿下としても願ったり叶ったりです。なにせメリットが大きいですから」
「龍人族の国には結構な額を税として納めているけど。それを免除するほどのメリットがあるのか?」
「もちろんですわ。金銭では決して解決できない、厄介な事柄から解放されますもの」
「厄介?」
「後継者争い、つまりはお家騒動ですわ」
オレやリア、それにカオルが権利を放棄するとなれば、当面の間は後継者についての論議も落ち着くだろう。擁立候補がいなくなったことで、ジークフリートも考えを変えるかもしれない。
仮に女系継承で議論が進んだとしても、アーダルベルト殿下の子どもが後を継ぐ可能性が高く、夫人会がそこに割り込む余裕は生じない。殿下としても
「そんなところね。もちろん、
王位継承権と爵位の返上諸々の根回しはエリザベートが手配を買って出てくれた。後戻りができない状態にしてから、ジークフリートに伝えるわねと呟いて、王妃はティーカップを口元に運んだ。
そんなに上手く事が運ぶもんかなあと半信半疑ではあるけれど。カオルを守れるのであれば、この提案に乗るしか選択肢がない。
とはいえ、疑問は残るわけで。オレは陶器人形を思わせる可憐な少女に問い尋ねた。
「これが上手くいった際のメリットはわかった。……で? とうぜん、デメリットもあるんだろ」
「二つございます」
「聞いておこう」
「ひとつ目、龍人族の国の庇護下から外れることにより、対外的な脅威が大きいものとなりますわ。早急に対策を立てなければなりません」
「もう一つは」
「この件が進めば、お兄様の願いが恐らく叶わないものとなるでしょう」
「……はい?」
「お兄様の願いは『のんびりまったりスローライフっ!』なのでしょう? 自治領となれば、そのような余裕もなくなるでしょうし……」
なるほど、悠々自適な隠居生活の夢が露と消えるわけか。とはいえだ。大切なものを守れる引き換えであれば、オレとしても未練はない。
「……よろしいのですか?」
「いいよいいよ。とっくの昔に諦めがついてたって言えばウソになるけど、覚悟はしてたから」
要は踏ん切りをつけるのを先延ばしにしていただけなのだ。ここら辺でビシッと決めておかないとな。
「安心して、タスクさん」
話に割って入ったエリザベートは、フォローのつもりだろうか、こちらを見やると穏やかに微笑んで続けるのだった。
「隠居生活はダメでも、毎日、午睡の時間ができる程度には夫人会も協力するわ」
それはどうも、ありがたい話で涙が出ますね。……とはいえ、昼寝は大事。甘えられるうちは甘えておこう、うん。
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