212.ポーション

 猫人族たちに付与術師の素質があることを誰よりも喜んだのはクラウスで、口笛を吹いてから晴れ晴れとした表情を見せた。


「そいつぁよかった! 何より、獣人族の連中を見返せるだろうしよ。ざまあみろって話だ」

「そんなわけなんで、状況次第だけど今後は製紙工房で働く猫人族が減ると思うんだ」

「構わねえよ。元々、他に仕事があるならそっちに移るって話だったんだ。製紙工房こっちの事は気にすんな」

「悪いな。減った分の人員は補填するから」

「追々で問題ねえよ。……それより」


 クラウスの視線が下がり、オレの手元に向かう。イラストが描かれた数枚の紙が気になるらしい。


「お前さんの持っているそいつは、ひょっとすると新作のマンガか?」

「ハズレ。これは設計図というか、とある金型のイラストでね」


 ハイエルフの前国王に紙を手渡し、オレは続ける。


「ちょっと前に夏祭りをやっただろ? あの時はあまり料理を用意できなかったから、次に開催する時は祭りっぽいものを提供したいと思ってな」


 紙に描かれているのは、いわゆる『今川焼き』と『ベビーカステラ』の金型のデザイン図だ。


 今度イヴァンが訪れた際、ダークエルフの国に特注で頼もうと思っていたのである。


 デザイン図を持ち運んでいたのは、お菓子好きの翼人族にも見せようと考えていたからなのだが。


 『から揚げ狂』のクラウスにとっては、やはり興味の対象とはなり得なかったようで、ふたつのお菓子がどのようなものかを聞いていくうちに表情を曇らせるのだった。


「うげ……。豆を甘く煮たやつを具にするのかよ……。気持ち悪ぃな……」

「煮るんじゃなくて炊くんだって。日本人にはお馴染みなんだけどね。食べてみないことにはわからないか」

「いいよ、わざわざ作らんでも……。豆はしょっぱいスープにして食うのが一番だろ」

「その固定概念を壊してやりたいところなんだけど、あいにく手元に小豆がないからなあ」

「いらんいらん。っていうより、お前さんも懲りねえなあ」

「何が?」

「どうせ猫人族のガキ連中に食わしてやりたいとか考えてんだろ? むやみやたらおやつ上げてると、カミラがうるせえぞ」


 肩をすくめ苦笑するクラウスに、オレは反論した。


「別におやつってわけじゃないよ。祭りの時に準備できたらいいなあって思ってるだけであって」

「本音は?」

「子どもたちと一緒におやつとして食べたい」

「ほら見ろ。カミラから小言こぼされるに決まってんぜ」

「……私が何か?」


 突然の背後からの声に驚いて振り返る。


「うわっ!! びっくりしたっ!!」

「おいカミラ、いつからそこにいたんだ?」

「たった今ですが?」

「気配と足音殺して近づくなよ……。流石の俺でもビビるぞ」

「申し訳ございません。いざという時のため、日々の鍛錬は欠かせませんので」


 冷静な表情を崩すことなく戦闘メイドは呟いた。


「ところで、お話の中に私の名前が出たような気がするのですが」

「いや、大したことじゃない。気にすんな」

「左様でございますか」

「カミラはどうしてここに?」

「伯爵をお迎えに上がりました。視察の予定が入ってますので」


 おお、そうだった。今日はリアとマルレーネと会う約束をしてたんだったな。


 それじゃあ俺も仕事に戻るわと踵を返すクラウスに別れを告げ、オレとカミラは薬学研究所へ足を向けた。


***


 黒の樹海出版事務所と化した旧領主邸の前までたどり着くと、隣接している薬学研究所の中からリアが飛び出してくるのが見える。


 白衣をまとった龍人族の王女は、ブンブンと大きく手を振りながら、上機嫌でオレの腕に絡みついた。


「エヘヘへへへ! 待ってましたよ、タスクさん!」

「お迎えありがとう。マルレーネは?」

「ここにおりますわ。ご足労いただきありがとうございます」


 穏やかな表情に柔らかな微笑みをたたえ、屋内からマルレーネが姿を表す。


「それにしても、おふたりは本当に仲睦まじいのですね。羨ましい限りですわ」


 エヘヘへへへ、それほどでもぉと、だらしなく笑うリアの頭をなでてやりながら、オレはマルレーネに向き直った。


「なんというか、リアとマルレーネっていう組み合わせは珍しいな」

「そうでしょうか? 薬草のエキスパートとして、普段からリアさんとは親しくさせていただいているのですが」

「そうですね! ボクもマルレーネさんから色々教わっていますし!」


 へぇ。意外と共通点があるんだな。オレが知らないだけで、クラーラとも仲がいいのかもしれない。


「それで、領主様。早速なのですが、この度私達が研究した成果をご覧いただきたく……」


 マルレーネは姿勢をただし、リアへと一瞥をくれる。


「そうなんです! ボクとマルレーネさんの共同開発でポーションを作ったんですよ!」

「ポーション? 液体の薬の、あのポーションのことか?」


 はいっ! と朗らかな声で応じるリア。ファンタジーの世界でお馴染み、傷を癒やす薬のアレだな?


 はあ〜……。久しぶりに異世界っぽいアイテム名を聞いたなとちょっとした感動を覚えていたのも束の間。


 ここでいうポーションには傷を癒やす効果はないらしい。


「今回、私とリアさんで作ったポーションは、どちらかといえば滋養強壮や疲労回復に効果のあるものでして」

「残念ながら、タスクさんが思うようなやつじゃないんですよー」


 なるほどどちらかといえば栄養ドリンクみたいなものかと思いつつも、取り出した小瓶には真っ黒な液体が満たされていて。


 微塵も疲労回復しそうもない色合いに不気味さを覚えながら、オレは詳しい話を聞くことにした。


「ほら、タスクさん。農作物以外にも収入源を確保したいって言ってたじゃないですか」

「ああ、うん。確かに言ったけど……」

「そこで、前々からボクとマルレーネさんが研究していたポーションを売れないかなって思ったんです!」


 エヘンと胸を張るリアの可愛らしさが際立つほどに、真っ黒なポーションには怪しさしか感じられないわけで……。


「ご心配には及びませんわ。人体に無害なものしか入っておりませんので」

「そ、そうなの……?」

「はい。元々は人体に悪影響を及ぼさない触手を生やすた……」

「……?」

「……いえ。元気が湧き出るような薬を作ろうと、日々、研究を重ねておりましたものですから」


 ……いま、絶対に触手を生やすためって言おうとしたよね!? ねえってば!?


「大丈夫です。領主様にも馴染みのある薬草類しか入っておりませんわ」

「ボクが保証します! 飲んでも問題ないですって!」


 うーん……。ふたりとも優秀な医師だしな。不安に思うことはないんだろうけどさ。


 けどね?


 この真っ黒な色がなあ? 売り出したところで買い手があるかなっていう心配があるんだよねえ……。


「あ、ちなみに。これはタスクさん用に用意した特別製で、本当は黄色い液体ですから」

「いや、ちょっと待って。オレ用の特別製だとなんでこんな黒くなるの!?」

「ボク……。タスクさんのためを思って、一生懸命薬草を選んだんですけど……。気に入らなかったですか?」


 そう言って途端に落ち込むリア。くっそぅ、そういう顔をされると、何も言えなくなるじゃないか!


「じゃあ、このポーション、飲んでくれます?」

「え゛っ?」

「……飲んでくれないんですか?」


 うるうると涙を貯めて、リアはオレを見上げている。


「わかった、わかったよ! 飲む! 飲むって!」

「わぁい! タスクさん大好きぃ!!」


 瞬時に笑顔へと切り替わり、リアはポーションを差し出した。……わかり切っていたこととはいえ、オレは奥さんに対して本当に弱いな……。


 とはいえ、飲まないという選択肢がない以上、さっさと飲みきってしまったほうが得策なわけで。


 深呼吸をひとつした後、オレは覚悟を決めて小瓶の液体を一気に流し込んだ。


 ごくっ、ごくっ、ごくっ……。


 ……あ゛ぁ゛……う゛ぁ゛ぁ……。喉が熱い……そして苦いぃぃ……。


 ……苦すぎるだけど、何入ってんだよ、マジで……。


 リアはリアでキラキラした瞳を浮かべたまま、満足そうにオレのことを見つめているし。


「タスクさん、飲みましたね?」

「飲んだ……。すげえ苦いよ……」

「大丈夫ですってば! 体にいいものしか入ってませんから!」

「あとすげえ喉? っていうか、身体全体が熱いんだけど……。これ効いてるの?」

「即効性ですので! 効いてる証拠です!」


 そうか、即効性なのかと妙な納得を覚えつつ、とにもかくにもこれで疲労が回復するなら問題ないなと考えていた最中。


 太陽のようなまばゆい笑顔を浮かべたリアは、オレの手を取ってどこかへ連れて行こうとしている。


「は? どうしたリア? どこ行くんだ?」

「決まってるじゃないですか! 寝室ですっ!」

「なんで?」

「なんでって、タスクさんが飲んだそれ、精力増強剤ですし」


 ……せいりょくぞうきょうざい?


「……疲労回復の効果は?」

「ありますよぉ。ただ、それ以上に精力が増しちゃうっていうか。きゃー! 恥ずかしいー!」


 声を上げながら、リアはバシバシとオレの背中を叩いた。


「問題なく効き目も現れてきたようですし、早速寝室へレッツゴーなのです!」


 瞳を爛々とさせ、再びオレの腕を引っ張る龍人族の王女。


「ポーション云々って話は!? 騙したのかっ!?」

「騙してないですっ! タスクさん用の特別製っていったじゃないですか……」


 突然、声のトーンを下げたリアは落ち込んだ表情を見せる。


「最近ボクのことかまってくれないですし……。アイラさんとばっかりいるみたいですし……。こうでもしないとタスクさんを独り占めできないかなって……」

「リア……」

「ボク、寂しくて……それで……」


 そういうつもりはまったくなかったんだけど、そう思わせてしまったのならこちらにも落ち度がある。


「あー……。その、なんと言うか、ゴメンな? こんなことしなくても、オレはリアのことを愛してるぞ?」

「……ホント、ですか?」

「うん、本当だ。だから、こういうことはもっと落ち着いた時間に」

「いえ、問題ありません」


 夫婦の会話に口を挟んだのはカミラで、淡々と話を続けた。


「事前にリア様から相談を持ちかけられておりましたので、本日、この後の伯爵のスケジュールはお休みにしてございます」

「……はい?」

「世継ぎをもうけることも領主の責務です。どうか思う存分、夫婦の時間をお過ごしいただければと」

「ちょっと待て、知ってたのか!?」

「左様でございますが?」


 なにか問題がありますかと言わんばかりに首を傾げる戦闘メイド。問題ありまくりだっての!


「ありがとうカミラ! それじゃ、マルレーネさん、あとはよろしくお願いします!」

「はーい。リアさんも頑張ってくださいね」


 いつの間にか白衣を脱ぎ捨てたリアは、オレを引きずるようにして研究所を後にする。


「エヘヘへへへ! たーっぷり楽しみましょうねえ!」


 軽やかな足取りへ乗せるようにして嬉しそうに呟くリア。オレも健全な男子なので、誘われるのはもちろん嬉しい。嬉しいけれど!!


 何となく真っ白に燃え尽きる予感しかしないので、終わった後に今度こそ正真正銘、普通のポーションをもらおうと心に誓うのだった。

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