165.クラウスのアイデア

 フードの下から覗かせる若々しく爽やかな顔には自信がみなぎっており、アルフレッドは驚愕の眼差しで発言の主を見やっている。


「は、ハイエルフの国のクラウス王……!? どうしてここに!?」


 ……あ。そういえばクラウスがここで暮らしていることを、アルフレッドには教えてなかったな。すっかり忘れてた。


「“前”国王な? 前国王」


 おかまいなしにケラケラと声を立てて笑うクラウスとは違い、龍人族の商人は驚きのあまり声が出ないといった様子だ。


 しばらく口をパクパク動かした後、ようやく落ち着いたのか、失礼と咳払いをひとつした後、ずれ落ちそうになるメガネを直している。


「お? なんだ? 意外に驚かねえんだな?」

「タスクさん絡みで、いままで散々驚かされてきましたから。耐性が付いたといいますか、慣れてしまったといいますか……」

「そいつぁはいい!」


 再び声を立てて笑う様子を、遠くから領民達が不思議そうに眺めている。


「とにかく、場所を変えよう。騒ぎになると話が進まないだろうし」

「違いねえ。カミラの淹れた茶も飲みてえしな」


 こうして新居の執務室へ場所を移す事になったのだが。


 とある人物にも話し合いへ加わってもらいたいと考えたオレは、途中、寄り道をしながら執務室に足を運んだのだった。


***


「んで? なんで私が呼ばれたんじゃ?」


 執務用の立派な椅子へもたれかかり、アイラは怪訝そうな目でこちらを見やっている。


「そのうちわかるよ。とりあえず、今はお茶でも飲みつつ、お菓子でも食べていてくれ」

「む……。食べていろと言われるのはやぶさかではないが……」


 頭上の猫耳をぴょこぴょこ動かしつつ、アイラは机の上に並ぶ焼き菓子とカミラの淹れた紅茶へ視線を移した。


 喜びに溢れた瞳で丸型のビスケットをひとつ取り、口元へ運んでいく。頬を赤くさせながら頬張る姿を、ハイエルフの前国王がほのぼのとした面持ちで眺めている。


「気に入ってくれたなら、持ってきたかいがあったってもんだ」

「悪いな。ハイエルフの国には仕事で行ってもらったのに、お土産まで……」

「気にすんな。ここの土地は美味いもんばっかりだからな。奥さん方嬢ちゃんたちの口に合うかどうか心配だったんだが」

「むっ! これは美味いっ、美味いぞクラウス! ジークが持ってくる焼き菓子と遜色ない味じゃ!」

「そうかそうか。そりゃあ何よりだ」


 忙しく口を動かしながら、熱弁を振るうアイラ。エリーゼやベルたちの分も残しておいてやれよ?


 ソファの前のローテーブルへ三人分の紅茶を用意し、カミラは一礼した。


「ありがとうカミラ。それと頼んでおいた件を」

「かしこまりました。お呼びしてまいります」


 執務室を出ていく戦闘メイドを見送って、オレの隣に腰掛けるアルフレッドが口を開いた。


「呼ぶって、どなたを?」

「そのうちわかるさ。それはさておきだな」


 視線を正面へ戻すと、対面に座るクラウスの姿が視界に入る。ティーカップを顎先まで運び、立ちのぼる香気を楽しんでいるようだ。


「いい考えっていうのは何なんだ? ハイエルフの国で収穫があったとか?」

「……ん? ああ、それか。いや、模写術師の手配はできたんだけどな。紙の仕入れが難航してよ」

「模写? 紙の仕入れ? 本でも作られるのですか?」


 素朴な疑問を口にするアルフレッドへ、マンガ出版に関しての経緯を説明する。


 ひとしきりの事情を聞き終えた後、驚きとも呆れともつかない声で、龍人族の商人は言葉を続けた。


「お話はわかりました。理解するのに若干時間が掛かりそうですが……」

「だろうなあ」

「しかし、大量に紙を仕入れる無謀さだけはわかります。費用がかかるだけでなく、そもそも紙の製造が追いつかないのでは」

「それなんだよ。国の連中にも言われてよ、とてもじゃないけど、そんな量は作れないってさ」


 やれやれと肩をすくめ、クラウスは紅茶で喉を潤した。


「だからよ。考えたわけだ」

「何をだ?」

「仕入れることができねえなら、自分たちで作っちまえばいいってな」

「……ここに製紙工房を作るのか?」

「その通りっ! 大正解っ!」


 裏表のない晴れやかな表情で、ハイエルフの前国王は応じる。


「出かける前、お前には言っておいただろうが。いざとなったらここへ工房を建てるってな」

「冗談じゃなかったのか……」

「アホ言え。もとから本気も本気だっての。製紙工房ができれば、そこで働く連中も必要になるからな。迫害されていた獣人族の受け入れにも都合がいいだろ?」


 紙の需要があまりないことも手伝い、製紙専門の職人は圧倒的に少ない。技術を身につければ、スペシャリストとして讃えられるのは間違いないだろう。


 クラウスはそう続けて、銀色の長い前髪をかき上げた。


「それだけじゃないぜ。せっかく出版社を立ち上げたんだし、そこでも働いてもらうことにする。マンガが普及したら、その道の先駆者として、引く手あまたの存在になるって寸法よ」

「ちょ、ちょっと待て。話が急展開すぎる」


 製紙工房もマンガの普及も、成功前提のものとして話を進めているけど。そんなに上手く進むと思っているのか?


 訝しむオレに、ハイエルフの前国王は真剣な顔をみせる。


「失敗した時のことなんざ考えるな。何が何でも成功させるんだ」

「そんなこと言われてもな……」

「いいかタスク、よく聞けよ。これは単なる職業斡旋じゃねえんだ。迫害されていた奴らの名誉を取り戻す戦いだと思え」

「……」

「歴史上、日の目を見なかった連中が失っていた自尊心を取り戻すためには、今までにない革新的な成功体験が必要なんだ。それこそ、暗黒龍討伐に匹敵するぐらいのな」

「マンガの普及がそれと同じぐらいだっていうのか?」

「大陸に新しい芸術文化を根付かせることができるんだ。大変な偉業だと俺は思うがな」


 それにな、と前置きし、クラウスは屈託のない笑顔を浮かべた。


「俺は勝てる賭け事しかしない主義でね。当然、マンガも成功すると考えているからこそ、投資を惜しまないってワケだ」

「……将棋を普及させるためだとばかり思ってた」

「ハッハッハ! 確かにそれもある! それもあるけどよ、芸術文化に寄与したいってのも正直なところさ。絵画も書籍も、心を豊かにしてくれるだろ?」


 一連の発言に、アルフレッドはどう反応しているか迷っているらしい。どれもこれも、間違いなく本音だろうからなあ。


 間を置くように紅茶を飲み干したクラウスは、オレに視線を戻し、そして考えていたであろう懸念を口にした。


「仮に忌み子たちがいたものとして話を進めているのはいい。受け入れるのも問題ないとしよう。その場合、獣人族たちが素直にそいつらを手放すかね?」

「どういう意味だ?」

「この土地に移り住むことで、人道的配慮がなされる確かな保証がなければ、引き渡しを断る口実ができるだろ? そこのところどうするんだって話さ」


 当然の疑問だな。アルフレッドも言っていたけど、地域によっては労働力として酷使されている可能性だってあるんだ。自分たちの代わりとなる貴重な働き手は手元においておきたいだろう。


 ただ、受け入れに関しては応じてもらえるよう、前もって考えていたのだ。


「へえ? どんな方法だ?」

「なんてことはないよ。次の交渉の席へ、もうひとり加わってもらおうと思ってね」


 応じると同時に視線を真横へ向ける。そこには猫耳をぴょこぴょこ動かしながら、休む間もなく、もぐもぐと口を動かしている猫人族の姿があった。

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