145.春の訪れ(前編)

 二回目となるハイエルフの移住者たちがやってきたのは三月の初めで、オレは目まぐるしく過ぎていく時の流れを実感できずにいた。


 おかしい。ついこの間まで年越しだ、新年だ、味噌だ、醤油だ、から揚げだと騒いでいたはずなんだけど。


 気がつけば、吹き抜ける風も爽やかさを増し、徐々に暖かいものへと変わっているじゃないか。


 三十歳を過ぎると月日の流れが早くなるっていうのは本当だったんだなあ。執務室へ持ち込んだこたつの中で、オレはしみじみとそんなことを考えるのだった。


「単に子爵がお忙しかっただけでは?」


 窓辺の机にカップを置いて、ハンスは紅茶を注いでいく。


 立ち上る湯気と共に微かな香気が伝わって、オレの鼻腔をくすぐった。


「領民も増える一方です。他の者へ仕事を任せてもいいのではないですかな?」

「これでも任せられるところは任せてるんだって。ありがたいことに優秀な人材がいっぱいいるからな」


 そうなのだ。各種族の代表を通じて、農業や畜産、製造など、担当する仕事をそれぞれに割り振っているのだが。


 仕事の報告やら確認だけでなく、設備の拡充と整備なども加わり、休む暇がないのである。


 時間が空いたと思えば、ジークフリートお義父さんが遊びに来たりで、寛ぐこともままならない。


 そんなわけで、僅かな時間にリラックスするべく、寝室から執務室へこたつを運び込んだものの。


 つい先程、ハンスから「もう暖かくなってきましたし、それは片付けましょう」という無情な宣告を受けたばかりなのだ。


 やれやれ、少しは冬の余韻を楽しませてもらえないものだろうか。


 名残惜しくもこたつから抜け出し、執務用の机に足を運ぶ。カップから立ち上る湯気が顎にあたり、ほのかな熱を伝えていった。


「午後一番でイヴァン様がお見えになります。その後、カミラが戻ってくることになっておりますが……」


 シワひとつない執事服に身を包んだハンスは、わずかに微笑み、穏やかな声で続ける。


「お疲れのようですし、それまでお休みされるのはいかがですかな?」

「いいのか?」

「ええ。午前中は特に重要な案件がございませんので。急用があれば別途お声がけいたします」


 うやうやしく一礼して、ハンスは執務室から出ていった。ひとり残されたオレは、椅子の背もたれに寄りかかり、紅茶をひとすすりする。こうやってお茶を楽しむ時間も久しぶりだ。


 とにかく年明けから怒涛の連続だった……。振り返りがてら、今日はその事について話したいと思う。


***


 まずはつい先日やってきた、ハイエルフの移住者たちについてだ。


 二回目となる移住者たちは合計二十名で、四十頭にも及ぶ羊を連れての来訪となった。


 当初、羊だけは空間転移魔法で送ろうと思っていたらしいのだが、羊たちが嫌がり、仕方なしの大移動となってしまったそうだ。


 顔の黒い品種の羊は、羊毛だけでなく食用としての用途もあるとのことで、元いた世界でいうところのサフォーク種がそれに近いんだろうなとひとり納得。


 羊の中には生まれて間もない子羊も何頭か混じっており、カワイイもの好きのヴァイオレットが見学に訪れ、身悶えしていたのだが。


 突然、青ざめた表情を浮かべながら、わなわなと身体を震わせ、こんなことを言い出すのだった。


「こ、このようなフワフワモコモコの羊にうつつを抜かしていたら……!! わ、私は、しらたまとあんこに嫌われたりしないだろうかっ!?」

「大丈夫ですっ! ヴァイオレット様の二匹に対する愛情は本物です! 嫌われるなんて、そんなことありえませんっ!!」


 側にいたフローラが力強く励ますが、それは愛情というより執着といった方が正しいんじゃないだろうか?


 励まされたヴァイオレットはすっかり安心した様子で、再び子羊に触れながら恍惚としていたけど。……まあ、好きなようにさせておこう。


 羊の世話はハイエルフたちの担当となり、収穫した羊毛についてはベルが管理することになった。ウール製の新作ファッションをお目にかかれる日も近いだろう。


***


 移住者たちと一緒に同行してきたルーカスは、いくつかの『緑目龍の眠る夜』を持参していた。


 次回以降の交易品として、質を確認してもらいたいとのことで、ソフィアとグレイスに預けておく。


 しかし……。ファビアンが不在ということも手伝ってか、ルーカスのキャラが濃いことばかりが目立ってしょうがない。


 話している最中、合間合間に手鏡で自分の姿を確認するのはクセなのか? 何度見直しても、ベルばらに出てくるような淡麗な顔立ちは変わらないと思うんだけどね。


「これは失礼。常に美しいものを見ていたいというのが、私の願いでして」


 そう言って手鏡を離したかと思えば、紅茶を持ってきたカミラへ熱視線を注いでいる。あ、もちろんカミラは氷点下の眼差しを返してたけど。


 『緑目龍の眠る夜』を受け取ったソフィアとグレイスは、魔法石の媒体作りへ本格的に取り掛かりはじめた。


 チョコレート製造をロルフに任せ、日夜研究に励んでいるようだ。


 ちょいちょい、アルフレッドが差し入れ持参で訪問しているらしく、そのことについてアイラから冷やかしを受けていた。


 「どうにでもなぁれ」とは思っていたものの、直接、愚痴をこぼされた身としては、やはりソフィアのことが心配になってしまう。


 カフェで給仕をしているにこやかな姿を見ると、今のところは問題無さそうに思え


「ちょっと来て」


 うわっ!? ビックリしたっ!!! なんだよ……って、コラ! 引っ張るなって!


 ウエイトレス姿のソフィアが、音もなく突然現れたかと思いきや、オレの服を掴んでズカズカと裏手に引きずっていく。


 つい先日まったく同じ目にあったのだが、唯一違っているのは、明らかにソフィアが殺気立っていたことで。


 カフェの外壁にオレを押し付け、勢いよく壁ドンを決めたツインテールの魔道士は、開口一番、こんな要求を口にした。


「旅に出たい」

「……はぁ?」

「旅に出たいぃ! 出るのぉ! 出たいのぉ〜っ!」


 今度は子供のように手足をジタバタとさせ、ソフィアは声を荒げる。


「何が悲しくてぇ、毎日のようにぃ、アルフレッドさんがグレイスへアプローチしているところを見なきゃいけないのよぉっ!!!」

「あ〜……」

「そういうわけでぇ、私は旅に出ますぅ! 探さないでくださいぃ!!」

「いやいや、待て待て」


 気持ちはわかるが、自暴自棄でどこかに行かれるのは非常に困る。


「代わりになんか、ガス抜きになるようなこと探しておくからさ。それで勘弁してくれよ」

「……ガス抜きってなによぅ」

「いや、それはこれから考えるけど……」

「うぅ……。結局、たぁくんも私のことどーでもいいと思ってるんでしょぉ!? そうなんだぁ、絶対ぃ!!」


 今にも泣き出しそうなソフィアを何とかなだめ、オレは頭をかきむしった。


「……いい考えが思いつくまで耐えきれないようだったら、旅に出てもいいんだぞ?」

「ふぇっ……?」

「これでもソフィアのことを大事に思ってるし、考えは尊重したいからな。辛いようなら、しばらくどこかでのんびり過ごすのもいいだろう?」

「……」

「みんなにはオレから上手いこと伝えておくし、仕事も気にしないで……」

「残る……」

「ん?」

「ガス抜き、考えてくれるんでしょぉ? それまでちゃんと残るもん……」


 決め込んだメイクが落ちないだろうか、ソフィアはすっかり半べそ状態だ。


「たぁくん、ズルいよぅ。そんな優しいこと言われたらぁ、どこにもいけなくなるじゃない……」

「そうか?」

「そうだよぅ……。はぁあ……。ホント、エリエリが羨ましいなあ。こんないい人見つけるんだもん……」


 くるりと背を向けたツインテールの魔道士は、こちらを振り向くことなく歩き出す。


「今日のこと、誰にも秘密だからねぇ! 誰かに言ったら、特大の爆炎魔法お見舞いしてやるんだからぁ!」

「安心しろ、誰にも言わねえよ」


 カフェに戻っていたソフィアの後ろ姿を眺めやりつつ、再び頭をかきむしりながら、オレは考えを巡らせるのだった。


 そして後日、とあるアイデアを思いつくのだが。それはもう少し後で話そう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る