Chapter 51:臨時メンテナンスの朝
《リュシオンに代わり本日サポートをさせていただく代理AIナビゲーター ユプシロンです。
よろしくお願い致します、マスター》
丁寧な自己紹介のおかげで寝起きでまだ本調子でなかった俺の脳がようやく状況を理解し動き始めた。
「あ…うん、よろしく」
耳慣れない…しかしどこか聞き覚えのある無機質な女性音声に朝の挨拶をされ、思わず驚いて慌てて起き上がってしまったのが恥ずかしい。
いつも目覚めの時に聞いている脳波の観測音声がリュシオンのものではないのに驚いてつい飛び起きてしまったのだった。
誤魔化すように後頭部を掻いて苦笑いを浮かべる。
俺が目が覚めた時、もうリュシオンの姿はなかった。
リュシオンの代わりに俺の目の前にいたのは、若干青みがかった黒髪を後ろで飾り結いした大人しそうな印象の女性姿のAIの姿だった
その自己紹介でリュシオンが今臨時メンテナンスに行っていて留守だったのだと思い出す。
AIナビゲーターのユプシロンに引き継ぐと言っていたけど、まさか彼女こそがユプシロンだとは思わなかった。
この5000年後の未来世界に拉致されてきた時、一番最初に喋ったあの無機質な機械音声の女性だ。
あの時は音声のみだったから、リュシオンのように実体を持っているAIナビゲーターだとは思わなかった。
いやリュシオンにしてもその肉体は俺の記憶からデータを引っ張り出して構築したようだから、“実体”と表現すると語弊があるかもしれないけど。
「それでは今朝は何を召し上がりますか?
それとも先に昨日アップロードした3DVアナリティクスを表示しましょうか?」
ユプシロンは柔和な笑みを浮かべてこれからの予定を提案する。
概ねいつもの朝のルーティーンだ。
食事に関しては食べなくても栄養は供給されるので必須ではないのだが、食べないと気分が落ち着かないのでなるべく食べるようにしている。
いつもなら朝食をとりながら3DVのアナリティクスをリュシオンと眺めてあーでもないこーでもないと意見を言い合うのが常だ。
ここ最近はリュシオンの口数は少なくなっていたが、それでも毎日のルーティーンになっていたのでなんとなく続けていた。
だけど…。
「今日は朝食はいいや。
アナリティクス開いて」
《わかりました。
ではウィンドウを表示します》
別にユプシロンが嫌いというわけではない。
ユプシロンの能力に疑問があるわけでもない。
でも、何となく違うと思ってしまう。
上手くは説明できないけど。
《昨日アップロードした3DVの再生回数は現時点ですでに10万再生を越えています。
3DVの高評価数は1350、低評価数は58。
コメント数は352件で、おおむね好評のようです。
7ヶ月でここまで高評価を受けるほどの3DVをアップロードできるようになるなんて、さすがマスターですね》
…うん。
やっぱりリュシオンとは“違う”な。
ユプシロンがそう言って評価してくれているのは嬉しい。
でも俺が求めてるのは称賛じゃないんだ、残念ながら。
素直に喜べないなんて、ちょっとリュシオンに毒されすぎたかな…。
心の中でこっそりと乾いた笑みを浮かべる。
慣れとは恐ろしいものだ。
課題を達成しなければならない期限の日までもうあと1年5カ月しかない。
3DVの再生回数が伸びるのは確かに嬉しいけど、でもこのペースでは目標には到底届かない。
リュシオンの前で呑気に喜んでいたら、間違いなく嫌味が飛んでくるだろう。
リュシオンはリュシオンなりに俺のことを心配してくれているんだとわかっているから、今は俺も悪い気はしないけれども。
それに慣れて、それが“普通”になってしまったから、ユプシロンの言葉は嬉しい反面それ以上に俺の心には響いてこない。
これはリュシオンが戻ってきたらチクッと言い返してみてもいいだろうか。
「今の平均再生回数は?」
犯人サイドから要求されている平均再生回数とは、アナリティクス内にある月間の平均再生回数だ。
つまり今日から遡って30日以内にアップロードした3DVの平均再生回数ということ。
これが平均で500万再生に到達しないといけない。
毎日必ず1本以上3DVをアップロードし続けないといけないという条件下で、この平均500万再生という数字がどれだけ途方もないかわかってもらえるだろうか。
3DVはアップロードして48時間以内の再生回数でおおよその伸び率が決定すると言われている。
新着動画として取り扱われるのがアップロードしてから24時間以内。
サポーター登録をしている人にはアップロード通知が届くので、遅くても2日以内に再生する人が多いというところからきているのだろう。
シリーズものの企画だったりしたら3DVリストの遡り再生なんかをしたりというのもあるかもしれないが、数字としては微々たるものだ。
ポンタが看板県になってすぐは過去にアップロードした3DVが遡り再生で伸びもしたが、今ではそれも落ち着いている。
毎日必ずアップロードしているし3DVの最後にポンタ専用のコーナーも設けているのでそれで充分という視聴者が多いのだろう。
つまり何が言いたいかというと、奇跡でも起きて仮にアップロードした3DVの内の1本が跳ねても、平均500万という数字には到底及ばないということだ。
サポーター登録数で言えばおそらく100万人いても難しいだろう。
そういう数字だ。
《過去30日間の3DV平均再生回数はおよそ32万8千再生です》
「だよな…」
昨日の朝、リュシオンに聞いた数字とほとんど大差ない。
これが現実だ。
いや、何も知らない未来世界に拉致されてきて約半年でこの結果を出しているのだから、それだけでも本当はすごいのだろう。
この驚異の伸びはクロス・ファンタジーの知名度と、柊さんが持ち込む超レアアイテムとの数々と、ポンタという可愛い看板犬のおかげだ。
でも、それでも全然足りない。
平均500万再生の壁は俺にはエベレスト並みに高い。
大気圏並みの高さだと思っていた頃に比べればだいぶマシだと楽観視ばかりもしていられない。
「ユプシロンはどう思う?」
《どう、とは?》
問いを投げかけてみたら小首を傾げられた。
その柔らかい表情にはリュシオンがよく俺に向けてくる刺々しい雰囲気は1ミリもない。
「これからどんな風な企画をしていけば平均再生回数が伸びると思う?」
《申し訳ありません。
その質問に関しては明確な解答を提示できません》
試しに聞いてみたら丁寧に頭を下げて謝られた。
返答に期待はしていなかったけど、同じ質問をリュシオンにしても答えてくれなかったのはただの意地悪ってわけではなかったらしい。
それを確認できてよかった。
「いや、いいんだ。
変なこと聞いてごめん」
気落ちしている様子のユプシロンにどう言っていいかわからず謝る。
俺の質問に答えられなかったからってどうこうしようとは思ってなかった。
同じ質問をした時にリュシオンの言い方に棘がありまくったので、同じAI仲間のユプシロンに尋ねてみたかっただけなのだから。
《…マスターは不思議な方ですね》
しかしユプシロンからはそんな言葉が返ってきた。
突然言われた言葉に俺が“ん?”と聞き返すとユプシロンはやや間をおいた後でこちらを窺うように目線を向けながら口を開いた。
《AIナビゲーターに謝罪するマスターというのは珍しいですから。
AIナビゲーターは万能ではありません。
質問に対する明確な解答がマザーサーバー内に存在しなければ、お答えすることはできません。
検索制限がかけられている情報に関しても同様です。
けれどそれを理解できなかったり、忘れてしまうマスターは意外と多いんです。
でもマスターは…なんというか、AIナビゲーターを自分に近い存在だと考えていらっしゃるんですね。
明確な答えを出すことができなくても仕方のない事だと》
「え?だってそういうものなんだろう?
だったらリュシオンやユプシロンを責めても仕方ないじゃないか?」
思わずきょとんとして尋ね返してしまった。
リュシオンが意地悪で俺にわざと嘘をついていたということではないのなら、それは仕方がないことだ。
俺が暮らしてた過去の世界でだって検索エンジンは万能ではなかったし、未来世界でだってそれは同じだろう。
どれほど文明が進んだとしても、それを作り出す人間がそもそも不完全なのだから、完璧な存在を生み出すことだって不可能なのではないか。
ユプシロンはそんな俺に対して今度こそ困った様な笑みを浮かべて言いにくそうに口を開いた。
《それはその通りなんですが…。
それをご理解いただけないマスターは意外と多いものなのです。
リュシオンは本当に良いマスターに出会えたのですね》
にこにこ微笑むユプシロンを見て、俺は否定したいけどできないような、間接的に褒められて恥ずかしいような、複雑な心境に陥った。
けれど今ここでリュシオンに今までされてきたことのアレコレをぶちまけるのは違うだろう。
なんだか陰口を叩くようで気がひけるというのもあるし、あえてユプシロンの気分に水をさしたくもない。
だから俺は笑って流すことにした。
リュシオンは嫌味や皮肉が多いけれど、本気で悪意があって言っているわけではない。
ツンデレとは違うが、それの亜種のようなものではないかとは正直思っていたりする。
それを何と形容すればいいのかは知らないけど。
とにかく俺の今の望みはたった1つ。
リュシオンのメンテナンス、早く終わんないかなぁ…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます