オイテケボリ

 暗闇の中、何者かの影が民家の屋根から飛び降りてくる。ずだん、と音を立てて着地した誰かは、街灯の下までゆらりと歩いて来るのだった。


 左右両方の横髪に赤いメッシュを入れた、真っ赤な瞳の男性だった。


「水がなきゃ苦しいんだろう? くれてやるさ……好きなだけなぁ」

「やめろ」

 僕たちの依頼人を半笑いで見つめる男性にピシャリと返すのは、半田さんだった。左右両方の横髪に黄色いメッシュを入れた先輩は、猫目をぎっと吊り上げ、赤いメッシュの彼を睨んでいた。

「怖い顔をするんじゃないよ、半田……久しぶりに会ってその態度か」

「役場は店の摘発だけしてればいいんだ、赤井あかい。依頼人に近づくんじゃない」

 赤いメッシュを入れた男性は、赤井さんというらしい。上下ともに赤いジャージを着ている。なんとも分かりやすい。

 半田さんとは知り合いらしく、ヘラヘラと笑いながら依頼人を見ている。

「水……水をくれ……」

 依頼人が呻き始めた。

 半田さん曰く半魚人の怪異となってしまったロングコートのその人は、苦しげに唸って半田さんに掴みかかる。止めようとしたが、物凄い力で突き飛ばされてしまった。アスファルトの固い感触の上に投げ出される。

「落ち着いて……水ならいくらでもやるから」

 半田さんの言葉も届かないくらい、依頼人は狼狽えていた。

「悔しい! 悔しい、悔しい! あの店さえ、なければ! 俺は!」

「ははっ! アウト!」

 街灯の下、赤井さんが高らかに笑ってそう言った。

「やめろ、赤井! この人はまだ……」

「何でも屋といえど一般市民であることに変わりはないさ! その一般市民さんに掴みかかった! 冷静さを欠いてる! 危険だ。違うか?」

「違う!」

 半田さんが珍しく焦っていた。

「そこに転がってる研修生は? そいつの腕力で吹っ飛んだけども?」

 アスファルトに寝転がっていた僕を指さされ、慌てて立ち上がった。しかし赤井さんは僕なんかを気にせずに、その赤い瞳を爛々と輝かせて呟く。


「置いてけ……」


「待てってば! まだ、この人は!」

「置いてけぇ!」

 ドプンとアスファルトが波打った。固い地面が簡単にぬかるんでいく。何が起こったのか分からない僕は、次の瞬間、空を飛んでいた。

 翼を広げ、羽ばたく半田さんの脇に抱えられて。

 眼下の光景は信じられないものだった。半透明な黒い腕が、地面から次々に伸びて依頼人の手足を掴んでいく。恐怖に悲鳴をあげる依頼人。半田さんが舌打ちをする。

 まるで水面のように揺らぐ道路に、依頼人の男性は飲み込まれ、引き摺り込まれていってしまったのだった。ザブン、と飛沫が上がった。

「危険人物の討伐、完了だ。それじゃあな、半田。気をつけて帰りなよ」

 赤いメッシュの赤井さんは、上空にとどまっていた僕たちを見上げて、ニヤリと笑った。半田さんは何も言わず、赤井さんもそれ以上何もしてこなかった。


「赤井さん……半人、なんですか?」

 依頼人を奪われてしまった僕たちは、寮に戻ることになった。

「うん、半人だ。置いてけ堀の怪異をその身に宿してる」

「……知り合い、なんですよね」

「ヒトガラがうちに来る前に、一ヶ月で辞めた奴だよ」

一年ヒトトセですよ……あの力って一体何なんですか、半田さん。彼は何者なんですか?」

「寮に帰る前に何でも屋の事務所に行く。そこで説明するから、少し黙って」

 半田さんは決して僕と目を合わせず、ただ足元を見て歩いていた。

 重たく冷えた空気が、僕たちにのしかかっていた。

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