バケネコ

「ヨモツヘグイって何ですか?」

「死者の国の食べ物を口にすることだ。それをすると、死者は死者の国に縛られることになる。つまり、甦れなくなる」

「それが、柘榴なんですか?」

「ギリシャ神話では、冥府を司る神であるハーデースの妻、ペルセポネーが柘榴をほんの少し食べてしまったことで、一年の四分の一を冥府で過ごさなければならなくなる、という話がある。ギリシャ神話版の黄泉竈食ひだ」

 半田さんはしゃむ、と柘榴を口にした。死者の国に縛られることになると言ったばかりのその口で平気で柘榴を食べるものだから、僕は不安になってしまう。

 八百屋の近くを通った際に、柘榴はないか警戒したくらいだ。

「そんなに柘榴を食べて、大丈夫なんですか?」

「ただの柘榴なら黄泉竈食ひにはならないぞ」

「えっ? そうなんですか?」

「この柘榴は特別だ。市役所のあの世課が特定地域で栽培している、半分あの世産の幽霊柘榴だ」

「幽霊柘榴……」

 あの世とこの世の境い目あたりで栽培されているらしい。市役所にあの世課なんてものがあることすら知らなかった僕は、ユウレイザクロという新しいワードにもついていけない。

「憑依」

 左右両方の横髪に黄色いメッシュを入れた半田さんが呟く。

 猫目がキュッと細まって、頭からするりと獣の耳が生えてきた。

 猫だった。

 グレーの猫が二本足で立っていた。

「今度は何をするんですか?」

「町外れにいる婆さんにねこまんまをご馳走になりに行く」

「え?」

「話し相手になるのも何でも屋の仕事だ」

 スタスタと足早に歩く半田さん。追いかける僕は、何でも屋の仕事を体験してみて軽く後悔していた。こんなにハードだとは、思ってもみなかったのだ。


「それでね、木下さんたら、メガネを忘れてね」

 依頼人のお婆さんの話を、半田さんは聞いていない。猫の耳はお婆さんの方を向いてはいるのだが、半田さん自身はあくびをしたり、足で首を掻いていたりと非常に自由だ。

 お婆さんが用意したねこまんまをモグモグと食べて時折ニャアと鳴くと、お婆さんは嬉しそうに半田さんを撫でる。これでいいらしい。

 やがて半田さんはお婆さんの隣で丸くなり、眠り始めた。お婆さんもウトウトとし始めているので、ブランケットをかけてあげる。

 そのまま日が落ちるまで昼寝は続いた。本日の営業はこれにて終わりらしい。

 夕焼けと星が同時に見られる時間になってから、半田さんと僕は何でも屋の事務所に戻ったのだった。


「半田以上に働く奴もいる。スケジュールをぎっちり詰めてな。半田は予定がギチギチに詰まっているのが嫌いだから、一日に三件から四件くらいで留めてる」

 稼いだお金はそのまま全額を受け取っていいそうだ。それだと事務所の経営が苦しくなりそうだな、と考えていると、半田さんは一枚の紙を取り出して、それを僕に差し出してくる。

「彼岸町何でも屋に所属する者は寮に入ることになる」

「寮、ですか?」

「うん。それか、指定されたアパートだ。事務所に毎月、家賃を払う。その家賃の中から、各種の社会保険の費用や事務所の運営費が賄われる」

「へえ」

 僕は寮に入る契約書にサインをして提出した。半田さんから、研修中、と書かれた名札を投げて寄越された。一ヶ月はこれを付けて勉強するらしい。

「一ヶ月も経たずに逃げ出すと思うがな。半田はそれに二千円札を賭けている」

 まだ言ってる。

 けれど、あんなに激しい仕事だとは思っていなかったのは事実だ。何より怪物の力を借りて行う仕事なんて初めて聞いた。半田さんは僕と目を合わせず言う。

「ヒトトオリと半田は同室だ。案内するから付いて来い」

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