香織のプチ冒険
第12話 ふんわりボブとフィナンシェ
「ただいま~」
香織は鍵で玄関のドアを開け、一人で留守番してるはずの夫に向かって声をかけた。
しかし、返事は無い。
いつもなら、声を掛けたらお風呂かトイレにでも入ってない限り「おかえり~」と言いながら顔を見せてくれるはずなのに。
「ってことは、お風呂かトイレ……かな?」
そう呟きながら、ブーツを脱いで上がった。
ショルダーバッグを肩からおろし、コートを脱ぎながら廊下を進むが、途中にあるトイレにも洗面所にも誰かが居る気配は無い。
「あっ、わかった。居眠りでもしてるんだ」
まだ昼過ぎだが、直樹が休日に一人で出かけることはあまり無いので、考えられるとしたらもうそれしかない、という結論に達した香織がリビングに足を踏み入れたその時。
トゥットゥルルットゥッティ~ン♪
着信を告げる音が手元から聞こえてきた。
「はいはいはい。今出ますよ~」
バッグの中を漁る香織だが、いくら探しても携帯は見つからなかった。
着信音は鳴り続けている。
「あっ、そっか。ポケット、ポケット」
バッグをダイニングテーブルの上に置き、腕に掛けていたコートをまさぐった。
「ほら、あった! はい、もしもーし」
香織は、急いで応答ボタンをスライドする。
「あっ、どうもお世話になってます。──あー、あの人つい最近電話番号変えたばかりだからかもです。きっと。──そうですそうです。すみませんお手数かけちゃって。──はい、あっはーい、分かりました。伝えておきまーす。はい。失礼します」
電話を終えると、香織はすぐに携帯のアドレス帳から直樹の名前を探して通話ボタンをタップした。
「──あっ、あなた? ねえ、今どこに……」
『おお、香織! 助かった!』
「助かった? どういうこと?? って、それより、会社の人から電話あったよ。明日、日曜日だけど休日出勤お願いしますだって」
『なんだって!? ま、まあとりあえずそれはいいやこの際──』
「良くないよ! 仕事だよ!!」
『あっ、いや、それは分かってるって。でも、ここから出られない限り会社にも行けないから……』
直樹はざっくりと状況を話してくれた。
「……地下ダンジョン? なにそれ面白そうなんだけど!」
『ああ、面白いことは面白いんだけどね。閉じ込められてなければ』
「よし、じゃあ私が助けに行くわ! それじゃ──」
『いやいや、ちょっと待てって! ここの場所分からないでしょ!』
「……あっ、そうだ。で、どの辺なの?」
『うーん……どの辺って言われましても……ささみ頼りで来たってのが無きにしもあらずでごにょごにょ……って、まあざっくり言うと、リビングから外に出て、右斜め辺りの方向に森を進んで行くとフタが開いた宝箱があって、その周辺の地面に木の扉があるんだけど……って、これで分かる?』
「うん、バッチリ! それじゃ急いで行くから待ってて! ささみにも伝えておいてね!」
『お、おう、よろしく……って、たまにスライムが居たりするから念のため武器になりそ──』
プツッ。
何やら面白そうなことになってきたわね、と心はもうリビングの外に飛んでいた香織は、直樹の忠告めいた言葉を最後まで聞くこと無く電話を切った。
普通だったらあんな適当な説明じゃ無事にたどり着けるかどうか不安になるところだが、それよりも"地下ダンジョンに閉じ込められた夫を救いに行く"というミッションに魅力を感じていた香織は、ウキウキの足取りで玄関に向かう。
シューズボックスから一番動きやすそうな靴を探して手に取り、リビングに戻った。
携帯を押し込めたショルダーバッグを肩にかけ、
「フンフンフン♪」
と、鼻歌交じりでリビングの窓を開けて外に飛び出す。
「うわぁ広い!」
香織は、昨晩とは違って明るい空の下に広がる広大な森に感嘆の声をあげた。
ちなみに、香織が今日行って来た"ママ友の会合"は、優衣のクラスメイトである
そして、流美伊ちゃんママから大きな庭の自慢を延々と聞かされ続けてげんなりして帰ってきた所だっただけに、この景色を見てモヤモヤした気分が一気に吹き飛んだような気がしていた。
なんでこんな風になったのかさっぱり分からないけど、ウチのリビングから続いてるんだからある意味ここは全部ウチの庭よね!
この家に付いていた
モヤモヤを浄化させるように、森の草木が吐き出す新鮮な空気を思いきり吸い込んだ。
「さあて、囚われのオジさんとネコちゃんを探しに行かなきゃ。えっと、たしかここから右斜め辺りを行けって行ってたわよね……」
東西南北でもなく、世にもアバウトな"右斜め辺り"という指示に従い、森の中を歩き始めた。
下手したら広大な森の中で迷子になり、一生帰れなくなるといった悲惨な結末も十分にあり得る状況。
しかし、香織のラック値が平均より高いからか、それともアレで実は直樹の指示が的確だったのか定かでは無いが、その足取りが描く軌跡は真っ直ぐ直樹たちの閉じ込められている地下ダンジョンへと向かっていた。
が、その時。
ガサゴソガサ……。
のんきに歩き続ける香織の右手の方にうっそうと生い茂る草むらが不気味に音を立てた。
「ん?」
香織が草むらの方へと顔を向けた瞬間、
「イムゥゥゥ!」
例の鳴き声を上げながら、スライムが現れた。
すっかり油断しきっていた香織は驚きのあまり気を失う……気配などさらさら無かった。
「あら、可愛らしい」
香織は、あたかも散歩中のダックスフンドとすれ違ったかのような反応を見せた。
まあ、その言葉はたしかにその通り。
香織の前に飛び出してきたのは愛らしい桃色で、らしからぬヘアスタイルをしているスライム。
いや、そもそもスライムにヘアがあること自体レアと言えばレアだが、その髪型が〈ふんわりボブ〉というキュート中のキュート。
そのヘアスタイルのおかげで、スライム最大のアイデンティティーたる頭のトンガリがすっぽり隠れているが、プルプルの質感は紛れも無くスライムそのものだった。
好戦的な目つきをしているものの、若干天然の入っている香織はそれに気付かず、あくまでも目の前に居るのは可愛らしい小動物ぐらいにしか思っていない。
「よーしよしよし。どこから来たのかな? 飼い主さんからはぐれちゃったのかな?」
香織は事もあろうにノーガードで魔物との距離を縮めていく。
それを見逃すほどこの世界は甘くない。
ふんわりボブスライムは、一瞬スッと体の重心を後ろに持って行った。
そして、重心を移動させて一気に飛び跳ね……ようとする直前。
「あっ、これ食べる? お金持ちの家で出して貰ったやつだから絶対美味しいよ~」
香織はバッグの中に入っていた焼き菓子を取り出すと、袋を開けてスライムに向かって差し出した。
それは、ついさっきまで居た田所家で貰ったもの。
たっぷりのバターと砂糖を含んだフィナンシェ的なそれはとにかく甘い匂いを漂わせているが、ロフミリアの魔物は決して甘くはない無い。
ボブスライムは焼き菓子には目も……くれた!
「イムゥ~、イムイムゥ~」
可愛らしい猫なで声を発しながら、モジモジとした動きでフィナンシェに近づいて行くボブスライム。
「よしよし。ほら、お食べ」
優しく囁く香織の右手に向かって口をパクつくボブスライム。
エサに釣られたフリをしているが、実はその右手ごと喰いちぎってやろう……なんて恐ろしい策略もなく、器用にフィナンシェをもぐもぐするボブスライム。
「あら、もう食べ切っちゃったの? どう、美味しかった?」
「……イムゥイムゥ~」
「そう、それは良かった!」
普通にスライムと会話し始める香織。
満面の笑みを浮かべるボブスライムの顔を見て、自分も幸せな気分になっていた。
「でもごめんね、今はそれしか持って無いの。家には何かしらおやつのストックあると思うんだけど……そうだ。良かったら遊びに来る?」
「イムゥ!!」
「よし! じゃあ行こうか! って、そうだ。その前にちょっと行かなきゃいけない所があるんだけど、先にそっち寄ってからでも良いかしら? なんかこの先に宝箱があるみたいなんだけど……」
そう言うと、ボブスライムは香織の左手の方向──つまり、草むらに気付くまで進んでいた方向に向かってピョンと飛び跳ね、チラッと後ろを振り向いた。
「えっ、もしかして、案内してくれるの?」
「イムゥ!」
「やだ、ありがとう! じゃあ、お言葉に甘えて案内されちゃおっかな?」
「イムゥ~」
こうして、スライムの先導付きで宝箱探しを再開した香織。
何のアイテムも魔法も使っていないにも関わらず、もの凄い速さで異世界の魔物と仲良くなってしまったのは香織の秘めたる才能か。
はたまた、田所家の高級焼き菓子の力なのか。それは神のみぞ知る……いや、神とふんわりボブスライム自身のみぞ知る……。
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