第40話 つい見とれてしまいました
<西宮陽(にしみや よう)視点>
玄関を開けたら佐々木瑞菜(ささき みずな)さんが立っていた。彼女と同居して、もう二ヶ月が過ぎたと言うのに、未だに慣れない。どんな美人でも一緒に過ごせば慣れてしまうと言う人もいるけど、きっとそれは間違っている。いつまで経っても、僕は彼女の完璧さにフリーズしてしまう。
「今晩は二人きりです!まったりしましょう」
「・・・」
困った。答えることができない。国民的無敵美少女アイドルを前にして『二人きりです!』と挑発されたらどうします?気安く触れたら僕の心臓は止まってしまうかもしれない。その彼女が顔を赤らめながら言ったんだ。
「それともお風呂が先ですか?そろそろお湯が沸いたころです。汗かいたでしょ。背中でも流しましょうか」
「瑞菜さん。冗談が過ぎます。僕を殺すつもりですか」
僕には正直にかわすことしかできない。キッチンからアップルパイの甘い香りが漂ってきている。『美味しい料理は人を幸せにする』と言うのが僕の口癖。でも、彼女のアップルパイは僕を天国へと誘(いざな)うのだ。僕はゆっくりと深呼吸して心を落ち着けた。
「アップルパイをいただきます」
「はい」
僕は、嬉しそうに前を行く瑞菜さんに続いてリビングへと向かった。瑞菜さんの長い黒髪が左右に揺れている。ただ、それだけなのに見惚れてしまう。後姿だけでも人を引き付けるアイドル。それが、佐々木瑞菜さんなのだ。
「どうぞ」
リビングテーブルに置かれたアップルパイ。添えられたアールグレーの紅茶の香りが心を和(なご)ます。僕は紅茶をひとくち口に含んだ。豊かな香りが鼻を抜けていく。激しく打ち付けていた心臓の鼓動がようやく収まる。
フォークを手に取って、アップルパイをひとかけら切り取る。口へと運ぶ様子を不安そうな表情で見詰める瑞菜さん。輝く瞳に吸い込まれそうだ。
「美味しいです」
「よかった」
一瞬にして咲き誇った笑顔。奇跡の瞬間。
「一緒に食べよう」
「はい」
今度はアップルパイを食べている瑞菜さんの姿を、僕が見つめる番だ。白くてスラリとした指が、フォークを器用に操ってパイを切り取り口へと運ぶ。小さな唇から整然と並んだ白い歯が覗く。パイを嚙む姿、パイを飲み込む姿。細い首元。彼女の動作はどれをとっても女神の様だ。
「そんなに見つめないでください。手が止まっていますよ」
「つい見惚れてしまいました」
「幸せですね」
「あっ。うん」
瑞菜さんのやわらかな笑み。向かい合って見つめ合う二人。僕たちに言葉は要らなかった。
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