中学校三学期はあっという間に終わり卒業だ

 この1月はまず1月1日に貝殻石油と大正昭和石油が合併し、大正貝殻石油に変更して、石油業界再編の先駆けとなった。


 1月9日に両国国技館が完成し、横綱の南の湖が引退。


 1月21日には電機メーカーのソンニーからビデオカメラ「CCCC-V8」が発売され、一眼レフカメラに続いてビデオカメラも一般の普及が始まり運動会などでお父さんが子供の走る姿などを撮影する風景がよく見られるようになった。


 俺たちは単願の高校受験が終わって合格が確定しても、中学は義務教育ということもあってその後もきっちり授業は続く。


 ただこれと言った学校行事は3月の学年末テストと卒業式を除けばもう無いんだけど。


 しかし、高校受験での合格が決まって、三学期前は冬休みもあることから、気が緩んだり緊張の糸が切れたりして、学校を休みがちになるやつも多い。


「まあ休みたくなる気持ちは俺もわかるけどな」


 俺がそう言うと今田くんが声を返してきた。


「まあ、俺も早くサッカーに専念したいよ」


 それに対して斎藤さんが突っ込む。


「高校の受験が終われば受験に関しての内申には響かないにしても、入学が決まった高校には全ての中学の記録が引き継がれるし、それは欠席や成績もだからちゃんと授業に出てテストを受けるのも大事よ」


「斉藤さんはかたいなぁ」


 今田くんが苦笑しながらそう言うと斎藤さんは言う。


「そうかしら。普通だと思うけど」


 今田くんはそう言うが、義務教育の中学までは登校拒否はゆるされて卒業できても、義務教育ではない高校ではそのまま退学で中退となる場合も多くあるし、会社に入ってそんなことをしたら解雇になる場合もあるから、休みたくなったから休む、行くのが嫌になったから休むというわけにはいかないのが社会の実状でもあるんだよね。


「あくまでも中学の授業を全て履修することも高校入学の前提だったはずだしね」


「へいへい、頭のいい人たちは勉強が楽しくていいよな」


 今田くんがスネたようにそう言う。


「別に勉強は全部楽しいというわけじゃないけどね」


 俺はそう言ったが楽しいと思えないとなかなか覚えられないのが普通だろう。


 今の俺はイザナミ様のチートがあるから勉強に関してだけでない様々なことに対して覚えられないというよりも思い出せないという苦労はしないだけだ。


 そしてここで授業をサボったら高校に入っていきなりついていけなくなる可能性も高いんだけどな。


 中学と高校は小学と中学よりも連続性はないがやはり授業内容はつながっているのだ。


 これが高校になると3学期はほぼ登校しなくてもよくて、2月には家庭学習期間に入って、卒業式の前の日に久々に登校などということも多かったりするが。


「今田くんは高校でもサッカー頑張ってね」


「ああ、前田くんは勉強がんばれよ」


「うん」


 “前”は高校のときでも一緒の学校で部活は違っても友達だった今田君と別々の学校になるのはちょっとさみしいけどね。


 2月13日に改正風俗営業法が施行され、ノーパン喫茶が姿を消す。


 ノーパン喫茶とはウエイトレスが下着を履かないで給仕を行う喫茶店で注文をしないと女の子は客の近くに来てくれないのだが、床が鏡貼りだったので、女の子が注文をとりにくると、客は一斉に床に映る下半身を覗こうとしたらしい。


 上半身は乳房を露わにし、下半身は見えそうで見えないがやはり見えるミニスカートというのが最終的なコスチュームで、最盛期には東京で200店舗近く、京都や大阪でも100店舗以上があったらしい。


 昭和53年(1978年)10月に京都西賀茂に元祖ノーパン喫茶と呼ばれるジャーニーという店ができたのが始まりで、 昭和56年(1981年)には大流行していたのだけどそれが社会問題にもなっていた。


 昭和54年(1980年)には博多にピンク喫茶、大阪にはあべのスキャンダルが開店し、ノーパンラーメンやノーパン牛丼にも手を広げたと言う。


 普通の喫茶店がノーパン喫茶に変わるという現象も起こるが、これは後々のメイド喫茶の流行の時にも多様なことが起こったな。


 当初はノーパンではあってもちゃんとストッキングをはいていた姿が一般的であったが、この手にありがちなサービスはどんどん過激化し、上半身はブラジャーだけからトップレスになり、下半身もストッキングをなくして前張りで済ませる店、従業員のスカートの下は何もなしの、正真正銘のノーパンという店舗も出てきたが、首には蝶ネクタイ、手首にカフスみたいなものを着用とバニーガールっぽい要素も取り入れられていたらしい。


 この頃の風俗店で働いている人はさほど美人ではなかったけれど、ノーパン喫茶のウエイトレスは可愛い子が多くて、1杯1000円のコーヒーを頼むと30分間店内にいられるので、席が空くまで行列ができたりもしたらしい。


 このノーパン喫茶において問題になったのは個室での抜き、即ち射精に至る性的サービスが加わったこともあった。


 これは表向きは、女の子がOKすれば、指名料を払って個室で20分間お話ができるというシステムで二人きりで話すだけとされたが、実際は色々やっていたようだ。


 従業員の給与は2時間で6000円と、この時期の時給としても異様に高額と言えるものであったらしい。


 まあ俺はノーパン喫茶には行ったことも見たこともないけど。


 とは言えそのブームは長くは続かず、昭和56年(1981年)には既にノーパン喫茶は夏を越せないとされ、実際に、昭和57年(1982年)にはブームは鎮静化し、店舗数は最盛期の1/18程度になっていたという。だが、翌年に風俗情報誌で美人ウエイトレスが紹介されるとブームが再燃したが、改正風俗営業法が施行されると、フロア+個室という業態に対する規定がないため、その営業が認められなくなり廃業することになった。


 そして2月27日、田神角栄元首相が脳梗塞で倒れ入院し以降、政治活動の一線から姿を消すことになる。


 3月11日にソ連のゴルフチョフ書記長が就任。

 3月14日 東北新幹線の大宮―上野間が開通し国鉄は大規模ダイヤ改正を実施。


 3月17日から国際科学技術博覧会こと筑波万博が開催された。


「万博には一回は行ってみたいな」


「そう、なら斉藤さんのお家と一緒に行きましょうか」


「うん」


 3月21日には日本初のエイズ患者が認定されたが、このときは同性愛の人間以外は感染しないと言われていた。


 中学校の学年末テストと卒業式を終え俺たちは春休みに突入したのだ。

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