十月七日(火) 朝 自宅前 【命】

「行ってきまーす!」


 七瀬家の玄関ドアが開くと、彼女の大きな声が辺りに響く。


「あれ、一樹? 今日は早いね?」


 絵依は玄関前で待ち構えていたオレの顔を見るなり、挨拶代わりの言葉を投げかけてきた。


「早いも何も、普通だろ? もう40分だぞ」

「今日も寝坊したのかと思ったよ、えへへ」


 B世界で絵依のこんな笑顔を見るのは、美音と恋人になる前の10月1日以来かもしれない。

 5日に美音と別れ、記憶に残っている6日は体感的には一週間以上前。

 あの時の絵依も毒気のなくなった表情をしていたが、どこかオレに気をつかっているような感じでもあった。


「いつも寝坊しているように言うな!」

「だね! あはは!」


 B世界の絵依は、オレと顔を合わせるのが辛かったのか早めに家を出ていた。

 だからオレも今日は朝早く起きて、部屋から絵依が家を出るのを見張っていたが、結局いつもの出発時間になっていた。


「とにかく行くぞ」

「うん!」


 駅まで歩いても十分に間に合う時間だ。

 ただ、念のために少し遅く歩こうと思う。

 地震が発生する時間に、ホームまで辿り付いていないように調整するためだ。


 駅までの道中、ピコンとRINEのメッセージが届いた。

 悠宇からだ。


 『今、桜庭さんは国府宮駅』

 『既に合流している』


 この状態だと、二人は1本早い電車に乗るだろう。

 それを伝えるためにこちらもRINEを送る。


 『こっちは今、駅に向かっている』

 『恐らく1本遅い電車になる』

 『既に合流済』


 これでいい。


「……誰?」

「ん、あぁ、ゆ……綾瀬だよ」

「えー、一樹、ホントに綾瀬さんと仲いいよね?」

「そんなでもないって。アイツは只の友だちだよ」

「ふーん……」


 なんとなく悠宇との仲を疑っているようだが、美音と恋人だった時と比べて対応が柔らかい。

 あの時はとにかくギスギスしてたけど、今はそこまでじゃない。

 どうやら悠宇とネットの知り合いということにしておいたのは、変に勘ぐられることもなくて良かったのかもしれないな。


 国府宮の改札を通り階段へ向かうと、その途中に彼女がいた。


「広森君!」

「あれ、ゆ……綾瀬!!」


 悠宇がオレの姿を見つけるなり、こちらに駆け寄ってきた。

 そして顔を近づけてきてひそひそ声で話しかけてきた。


「桜庭さん。まだ上にいるのよ。電車が少し遅れているみたいで」

「えっ、ま、マジか……!? でも、確かそろそろ……」


 その時だった。


 ゴーッという音と共に地震が発生した。

 来たと思った。

 でも、ここはホームじゃない。

 電車に轢かれることは、ない。

 と、少しだけ気が抜けた時……

 

 外国人の男が悠宇に向かって走ってきて、彼女の脇腹をナイフで刺した!


「うぐっ!!」

「え……? 悠宇……!?」

「きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」


 悠宇の顔が苦痛で歪む。

 オレは突然の出来事に唖然としてその場で立ち尽くした。

 絵依は腹の底から悲鳴を上げた。


 そして悠宇を刺した男はニヤリと笑った後、悠宇の脇腹からナイフを抜いた。


「ハハッ。酷いなぁ、悠宇。ボク以外の男と親しげに話すなんて! ボクが嫉妬するじゃないか! あははははは!!」


 その醜い表情を見て、オレはハッと自分を取り戻す。

 男は英語で何かを叫んでいたが、オレには意味が分からない。

 だけど血にまみれて倒れ込んだ悠宇に何をしたのかはよく分かる。

 だからオレは渾身の力を込めて、男の顔を殴った。


 男は吹き飛んだ。

 血に染まったナイフは男の手から離れ、地面を滑っていく。


 そしてようやく駅員が駆けつけ、その男を確保した。


 だけど、オレの目の前で倒れ込んだ悠宇は……


「おい、悠宇……大丈夫か……」


 オレは悠宇の体を抱き上げた。

 その時、もう既に体温がかなり低くなっていたのが分かった。


「フフ……まったく、ワタシらしくないわ……人のことばかり考えて、自分のこと、おろそかにしちゃった……ううっ……」


 こうして話している間にも、悠宇の出血は止まらなかった。


「死ぬな……悠宇……死なないでくれ……」

「……大丈夫よ、一樹……ワタシは死なないわ……また、リセットされるだけ……だから、だい……じょう……ぶ……」


 オレの手が……悠宇の体が……ドンドン赤く染まっていく。


「リセットなんかするな……『ことわり』だかなんだかで、オマエがオレの前からいなくなっちまうかもしれないだろ……」


 気がつくとオレの目から涙が溢れていた。


「生きろ、悠宇……オレの前からいなくなるな……」


 オレはずっと悠宇に助けられてきた。

 悠宇がいなければオレはパニックに陥っていた。

 悠宇がいたから平静でいられた。

 悠宇がいたからオレはオレでいられた。

 なんで今になって、こんな当たり前の事に気がついたんだ、オレ。

 いくらなんでも遅すぎるよな、悠宇……


「悠宇……ゴメン……オレ……悠宇のこと……」

「かず……き……また……どこかで………………………」

「……おい、悠宇。冗談だろ?」


 その時、またオレの頭の中を古い映画のような映像が横切った。

 豪雨の中、洪水に流される女の子。

 オレはその女の子に手を伸ばし……そして一緒に流された。

 オレは女の子を助けることができなかったんだ……


「そうだ……オレはもうあいちゃんみたいに……誰も失いたくはないんだっ!!」


 オレが腹の底から叫んだその一瞬、抱きかかえていた悠宇の体がピクリと動いた。


「悠宇! 悠宇っ!!」


 オレは再び悠宇の名前を叫ぶが、悠宇の反応はまた失われてしまった。


 もうダメかもしれない……

 オレの目から涙が溢れ出した。

 あの時と今の悲しみがシンクロする!

 もう二度とオレは彼女を失いたくはないっ!!


「悠宇っ!! 生きろ、悠宇っ!! リセットなんかさせるな! オレ達はずっと一緒だ!! 生きるんだ、悠宇っ!! 生きろーーーーーーーーーっっっ!!」


 その時、ゴオオオッッッという地鳴りが再び聞こえた。

 余震だろうか?


 その瞬間、自分を捕まえていた駅員を振りほどき、さっきの外国人がドンとオレにぶつかってきた。


「グアッ!!」


 オレの脇腹が熱く燃え上がる。


「ククク、オマエも死ね。オマエこそ、生きている資格はない……」


 脇腹に刺したナイフをグリグリとこねくり回し、ヤツはオレを死へと誘った。


「に……日本語でオッケー……」


 オレはヤツに向け、やせ我慢の笑顔を向けた。

 そしてオレの視界は一瞬にして暗くなり、そして意識が切れた。

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