十月六日(月) 朝 グラウンド 【絆と魔球】

「……ソフトボールを辞めれば、お父さんも納得する……お父さんとケンカすることもなくなるし」


 絵依を追い詰めているのはオレだけじゃない。

 おじさんとのケンカもあって、精神的に相当参っている様子だ。


「……無理してるだろ? 本当はソフトボール、続けたいんだろ?」

「無理しているに決まってるでしょ! だけどソフトボールをこれ以上続けても意味がないんだもん! お父さんからも反対されているし……それに一樹がわたしから離れちゃうなら、ソフトボールを続けている意味なんかないっ!!」


 絵依の本心がついに丸裸になった。

 つまるところオレにとっての野球と絵依にとってのソフトボールが、二人を結びつける絆みたくなってしまっているんだ。


 でも、オレは野球を辞めてしまった。

 二本あった絆が一本になってしまった。

 だから絵依はソフトボールを辞めることができなかったんだ。

 絵依がソフトボールを辞めてしまえば、オレとの大きな絆が失われてしまうと思いこんでいる。

 決してそんなことはないのに、オレが絵依を庇って肘を怪我したことがトラウマになって、それがソフトボールを辞めることに対しての強迫観念になってしまっている。


 だけどオレと恋人になったことで、再び絆は二本になった。

 そして今、オレは再び絵依に恋人としての絆を切ってしまおうとしている。

 必死に絵依が作ってくれた絆を、オレが一方的に切ろうとしているわけだ。


「……なぁ、絵依。冷静になって答えてくれ。絵依は……絵依自身は、ソフトボールが好きなのか? それとも、オレを意識してソフトボールを続けているだけなのか?」

「……わからない。もう、なにもわからないよ……ソフトボールを好きな気持ちも、一樹を好きな気持ちも……なにもわからないよ……ううっ……」


 絵依は混乱してしまった。

 オレとソフトボールを失おうとしている今、絵依に寄り添うものは何も無くなってしまう。

 オレが言えた義理じゃ無いけど、あまりにも酷すぎる。


「……正直に言う。ゆぅ……綾瀬とのことは嘘だ。綾瀬に口裏を合わせてもらった」

「……知ってた。だって一樹だもん」

「……そうか」


 やっぱり絵依には嘘はつけない。

 絵依はオレの事をよく見ている。

 だから正直に話そう。


「……オレは絵依のことが好きだ。でも、オレと絵依は一緒にいることができないんだよ。オレは近い内に、ここからいなくなるから……」


 恋人関係を解消することは、一般的には別れるとも言う。

 だからオレはずっと別れの言葉を絵依に伝えていた。


 しかし、さっきまではあくまで精神的な別れの意味でしかなかったが、オレが今放った言葉は物理的な別れも意味していた。

 絵依はその言葉の意味をほんの僅かな時間をかけて咀嚼そしゃくした。

 そして言葉の意味を理解し、ハッとして両手から頭を少しあげた。


「……いなくなるって、どういうこと?」

「詳しい話はできないんだ。詳しい話をしてしまったら、全ての意味がなくなってしまうんだよ」

「……意味がわからない」

「あぁ、わかってる。だけどオレが遠くにいかなければ、みんなが不幸になってしまうんだ」


 絵依にとっては不条理な話だろう。

 だけどさっきみたいにオレの話を嘘とは否定しない。

 本当にオレが姿を消すつもりだと理解しているようだ。


「……それじゃあ、わたし、一樹に付いていくよ。よくわからないけど、一樹がどこか遠くに行っちゃうなら、わたしも付いていくから」

「だからそれじゃあ意味がないんだ。連れて行けるなら絵依を連れていきたいよ。でも、オレ一人で行かなくちゃいけないんだ」

「……なら、帰ってくるまで待ってる」


 一瞬、オレの心が揺らいだ。

 なんでオレは絵依と別れなければならないんだと、その運命を恨みに恨んだ。


「10年後でも?」

「うん、10年なんか余裕で待てるよ」

「……20年、いや、30年かもしれないぜ?」

「帰ってくるなら、ずっと待ってるよ。40年でも、50年でもっ!!」

「……戻ってこないかも」

「それでも戻ってくるまで待ってるよ、ずっと」

「…………」


 オレは絵依の想いが苦しくて、嬉しかった。


「……一つ、聞かせてくれ。さっき言ったように、オレは戻ってこないかもしれない。だからオレ抜きで考えて欲しい。絵依はソフトボールをどうしたいんだ? オレがいなくても続けるのか? それともさっき言ったみたいにオレがいないと辞めるのか?」


 オレは最後に絵依の本心が聞きたかった。

 オレの事を抜きにして、絵依はソフトボールを続けたいのか?

 それでも辞めたいのか?


「……ソフトボール、続ける。だってソフト、好きだもん……意地でも続ける」


 聞かなくても答えは分かっていた。

 絵依はソフトボールを続けることが、オレとの最後の絆と考えていた。

 だからソフトボールを続けている限り、オレのことを忘れることはないだろう。

 そしてオレが帰ってくる日を信じて、ソフトボールを続けるのだろう。


 だけどオレは絵依と一緒にいることはできない。

 だからオレは絵依との絆を壊さなければならないんだ。

 オレは……絵依からソフトボールを奪わなければならない!!


「……オレがソフトボールを続けられるように、おじさんを説得してやる!」

「……えっ!?」

「オレに任せろ、絵依っ!!」


 オレはおじさんの待つ七瀬家へ向かって走り出した。


 オレは間違ったことをしている。

 絵依にソフトボールを辞めさせなければならないのに!

 絵依がソフトボールを続ける限り、オレを忘れることはないのに!


 オレは絵依にソフトボールを続けさせるようにおじさんを説得しようとしている!


 だけど……正しい事をしなければならないのは分かっているけど!

 そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシだ!


 だってオレは絵依が死ぬほど好きなんだから!!

 だから絵依のやりたいことを続けさせてやりたいんだ!!


 複雑な回転の掛かったボールは、魔球ナックルボールのように浮き沈みしていた。

 果たしてうまくキャッチャーミットに収まるのか?

 それとも地面に落ちてしまうのか?

 オレ自身にも行動の行方は未知数だった。

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