第6章 『勘太郎、一旦自室へと戻る』   全25話。その15。

        十五 勘太郎、一旦自室へと戻る。



「これと言って有力な情報は誰からも聞くことはできなかったな。こんなんで本当に大丈夫なのか」


「まだ午前中しか聞き込みをしてはいないのですから、根を上げるにはまだ早いですわよ」


「そうだな、昼飯を食べたら午後はもっと気を引き締めて聞き込みに専念するか」


 犯人に繋がる進展がなにも無かった事に少し気弱になっている勘太郎を羊野が暖かい言葉でさり気なく励ます。

 いつの間にか昼食の時間になっていた事もあり、一旦聞き込みを取りやめた勘太郎と羊野は、背島涼太の部屋から一部屋置いて隣にある(二〇一号室の)勘太郎の部屋で少し休憩を取る。


 疲れたとばかりに椅子にもたれかかる勘太郎を見ながら羊野は、この部屋のテーブルに置いてあるインスタントコーヒーを手慣れた手つきでマグカップに淹れる。


 その三十秒後。


 お湯を入れて出来上がったコーヒーをテーブルに置いてくれた羊野に勘太郎は「済まない、いただくぜ」と軽く声をかけながら、疲れ気味に一口飲み込むと小さく溜息をつく、その瞬間口の中にほろ苦い甘さ控えめの味と程よい熱が深みのある濃くとなって広がり勘太郎の脳をリラックスさせる。


 このコーヒーは今までにも飲んだことのあるなんの変哲も無い市販のコーヒーなのだが、今の勘太郎には十分すぎる程の心の安らぎとなっている。それだけ慣れない事情聴取にはかなりの神経をすり減らすのだ。


「はあ~全く、俺と羊野に仕事を押しつけて、現役の刑事さんでもある赤城先輩は一体何処で何をしているんだ?」


「他に調べる事があるから、このペンション内にいる人達の事情聴取は全てあなた達に任せるわ」と言って勘太郎と羊野に全てを丸投げした赤城文子刑事は未だにその姿を見せない。

 一体何処で何をしているんだあの人は……と思いながら勘太郎は不信に思っていたことを羊野にぶつけて見る。


「所で羊野、お前、座間さんや背島さんの聞き込みをしていた時に何やら『長話』とか『脱衣場』とかのキーワードに反応していたみたいだが、何か感じた事でもあるのか」


「そこに触れますか。まあ、別に隠す事でもないのでお話しますわ。黒鉄さんは今回の事件で、犯人が畑上さんを殺害する為に用いた部屋への潜入方法は一体どんな物だと考えていますか」


「まあ、普通に考えてカードキーが無いと部屋には入れないんだから、ロビーカウンター奥の管理室だか~保管室だかにあると言うスペアーキーをどうにかして手に入れたんじゃないのか。畑上孝介殺害後、山野辺さんに気づかれる前にそっとスペアーキーを元へと戻したとか」


「それは流石に無理がありますわ。それを実行する為には先ずその山野辺さんから管理室の鍵を奪わないと行けませんから二重の手間ですわ。まあその山野辺さんが犯人だったんだとしたら話はもっと簡単ですけどね」


「なら上にある小さな窓からの潜入はどうだ。鍵の掛かった下の大きな窓とは違い、上の小さな窓は確か閉まってはいたが三十センチ程開く用になっていたんじゃなかったかな」


「畑上さんの部屋でも言ったとは思いますがそれは不可能ですわ。この三階から上には屋上はありませんし、ロープを垂らしての窓からの潜入は出来ませんわ。畑上さんの真上の三階の部屋にはあの一宮茜さんの部屋がありますからね。まあその一宮茜さんが犯人ならその可能性も否定は出来ませんが、どうやら彼女は自室に戻る事無くそのまま二十三時から始まる朗読会の打合せに参加をしたみたいですから、犯行はほぼ不可能と言う事になりますわ」


「どうしてだ。深夜の一時にはその打合せは終わっているんだから、その後でゆっくりと畑上さんを殺害しに行けばいいだけの話じゃないか」


「黒鉄さんこそ忘れたのですか、畑上さんの死亡推定時刻を。畑上さんは二十三時から深夜の一時の間で亡くなっているのですよ。部屋へ戻った一宮さんとは時間が合いませんわ。その時間に合うのは部屋で熟睡をしていたという堀下たけしさん、ただ一人だけになるのですが……」


 確かにそうだ。そんな簡単なことを改めて言われ、勘太郎は顔を赤く染め上げながら大いに悩む。


「じゃどう考えてもあの部屋の中に入るのは不可能じゃないのか。もしミステリー同好会の部員達の誰かが犯人だったのだとしたら、畑上さんはなんの躊躇もなくその犯人を部屋の中に迎え入れただろうから、難なくあの部屋には入れたはずだ。だが畑上孝介の殺害後、犯人は今度は部屋の中から出るに出られなくなる。何故なら畑上孝介が持つ部屋のカードキーを使わないとこの部屋の鍵は閉められないからだ。だが畑上さんのカードキーは畑上さん自身の財布の中から見つかっている。その謎が分からない限り、この密室殺人はどう考えても不可能であり、物凄く『不条理』な出来事なんだよ」


 コーヒーを再び飲みながらひたすら考え込む勘太郎に、羊野は涼しい顔をしながら剥き出しのベットの上に腰を掛ける。


「そうでもありませんわよ。私の考えが確かなら、あの方法が使えますわ。かなり入り組んだ高度な仕掛けが必要ですが……まあ、決して不可能ではないと思いますよ」


「なにぃぃぃーっ、不可能では無いだとう。そ、それは一体どういう物だ。答えろよ、羊野!」


 もったいぶるなと言わんばかりに身を乗り出し聴き入る勘太郎に、羊野が落ち着いた声で淡々と応える。


「先ず犯人は一体どうやって畑上孝介さんの部屋に潜入したかと言うお話ですが、私の考えではそのまま畑上さんのカードキーを使って中へと潜入したのだと思いますよ。そしてことを済ませた犯人は、その後、そのカードキーを使って部屋の鍵を閉めて、そのまま堂々と畑上さんの部屋を出た物と私は解釈します」


「はぁ~? 何を言ってんだお前は、畑上さんは夜の二十三時にはもう既に部屋の中にいたんだぞ。だとしたらその時点ではカードキーは盗まれてはいなかったと言う事になる。その畑上さんの部屋に朝方訪れた際も部屋の鍵はちゃんと掛かっていたし、カードキーも畑上さんの財布の中にあったって何度も言ってるだろう。お前だって知っているじゃないか!」


「ええ、確かにそうですわね。でも殺害直前じゃ無理でも、事前に一時だけならカードキーを盗み出す事が出来るのでは無いでしょうか」


「一時だけって、それはいつだよ。それにもし仮にそんな事が出来たとして、畑上孝介がいない部屋に潜入して犯人はそこで一体何をしていたと言うんだ。畑上がいない部屋に一時潜入しても全く意味が無いだろう」


「意味があるか無いかはこの際置いといて、まずはいつ・何処で・どうやって・畑上さんのカードキーを盗んだかですわ」


「それこそ無理だろう。畑上さんは自分のカードキーを肌身離さずいつも財布の中に入れて持ち歩いていたみたいだからな。昨夜の短い時間だけで盗み出す事なんて先ず出来ないだろう」


「いいえ、出来るかも知れない時間帯が一時だけあるじゃありませんか。入浴と言う時間が」


 そう言いながら羊野の顔が怪しくニンマリと歪む。


「まさか、入浴中に脱衣場のロッカーから盗み出したと言いたいのか。いやでも、やはりそれは無理だな。何せそこにはあの背島涼太がマッサージ機チェアーを使用していたんだからな。その目をかいくぐってカードキーを持ち出すのは流石に不可能だろう」


「ならその背島さんが何らかの理由で嘘をついていたとしたらどうでしょうか。いいえもしかしたらその背島さん自身が盗み出したと言う可能性も否定は出来ませんわよ」


「確かに、脱衣場にいたと言う背島涼太の姿は誰も見てはいないからな。狂言だったら畑上さんのカードキーを盗み出す事は可能か。でもあのロッカーには鍵が掛かっているんだぞ。そうおいそれと鍵は開けられないだろう」


「そんな事はありませんわよ。あの脱衣場のロッカーは古い単純な構造の金属のバーが内側から上げ下げして開閉するだけの代物でしたから、ロッカーの隙間から何かの薄いカードでも差し込んで上に上げただけでバーの鍵が開く仕掛けでしたわ。逆に閉める時は縫い糸の用な紐をバーに引っかけてからロッカーを閉めれば鍵を閉める事もそう難しくは無いと思いますよ」


「百歩譲って仮に背島涼太が犯人だったとして、カードキーを持ち出した後に急いで畑上孝介の部屋に行かないと行けないんだぞ。確か洗い場のコインランドリーには杉田真琴と東山まゆ子がいたはずだし、その隣の自動販売機がある部屋では、一宮茜がスマホ携帯を弄っていたから誰かが必ず目撃するだろ」


「確かにロビーの南側の階段やエレベーターを使ったなら目撃される可能性もありますが、北側の階段を使えば誰の目に触れる事無く畑上孝介さんの部屋に行く事は可能ですわ」


「なるほどな、確かに北階段側から二階に上れば滅多な事が無い限り目撃される事は無いかもしれないな。だがその話ぶりだと長話で俺達を引きつけていた座間隼人も共犯と言う事になるのかな? 少なくともお前はそう考えているのだろ」


「もしも背島さんが畑上さんのカードキーを持ち出した犯人だったのだとしたら、いつお風呂から出て来るかも知れないあなた達の入浴時間だけが気掛かりだったはずです。そう考えるのなら犯人は限られた短い時間で畑上さんの部屋へ行く必要があったと言う事になります」


「確か俺達がお風呂場にいた入浴時間は、二十時十分から~二十時四十五分の間だ。その短い三十五分の時間の間に背島は、あの畑上孝介の部屋で一体何をしていたと言うんだ」


「それは勿論、畑上さんを殺害する為のトリックの仕掛けを仕掛けていたのだと思いますよ。自動でその時間に殺せる何らかの仕掛けをね」


「仕掛けか。そのトリックが一体どんな物なのかは知らないが……だがそれを論ずる前に、まずは他の残りの部員達からもアリバイを聞かないと何とも言えないけどな。背島涼太を犯人と決め付けるにはまだ早いぜ」


「そうですわね。先ずは残りの女子部員達からもアリバイを聞いてから、改めて考える事にしましょう。と言うわけで黒鉄さん、申し訳ありませんが男性用の大浴場と脱衣場の写真を数十枚ほど撮ってきてはくれませんでしょうか。黒鉄さん自慢の柄系の携帯電話でお願いします。第四世代型のスマートフォンと違って第三世代型の柄系では画像の解像度が格段に落ちますが……まあいいでしょう」


「なんだよ、現場には一緒に行けばいいだろう?」


「いえいえ、私はこれでも女性ですから、男性用の脱衣所やお風呂場に入るのはどうも抵抗があるのですよ。ですから男性用の脱衣所やお風呂場の写真は黒鉄さんにお任せしますわ」


「なに~ぃぃぃ、昼食前に俺が写真を撮ってくるのかよ。でも、まあいいか。俺自慢の手持ちの携帯電話があるからな。この柄系の折り畳み式の携帯電話でバッチリと取って来てやるよ。それでいいよな」


「はい、是非ともお願いします。あなたがいつも言っている柄系携帯の性能とやらを私に見せてくださいな」


「ああ、いいぜ、見せてやるぜ。第三世代の柄系の力をな。第四世代のスマートフォンにはまだまだ負けんよ!」


「いえ、もう既に色々と負けていると思うんですけど……。まあ、いいですわ。では私は黒鉄さんの部屋の鍵を閉めたら食堂で待っていますので、ベストショットの写真をお願いしますね」


「わかった、楽しみにしていろよ!」


 そう力強く言うと勘太郎は柄系の携帯電話の中にある写真機能を素早く確認すると、意気揚々と自室の部屋を出て行くのだった。

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