第5章 『ある臨海公園に現れた黒いライオン』全25話。その3。

            3 十月十一日、曇り。



「ね、眠い。2時間前に何かの獣に噛み殺された女性の遺体が発見されたから直ちに現場に来るようにと赤城先輩から連絡があったから来てみたけど、深夜は流石に勘弁して貰いたいぜ。2時50分くらいに電話でたたき起こされて、車で現場に来るのに約1時間40分も掛かってしまったぞ。それにせっかく現場に着いたのにまだ回りは真っ暗じゃないか。夜明け前の仕事は流石にキツいぜ」



 時刻は四時三十分。


 まだ日が昇らない闇に覆われた夜の天幕の下で、行き成り事件が動く。

赤城文子刑事からの連絡を受け、喫茶店専用のワゴン車で黄木田店長に送って来て貰った勘太郎と羊野は舞浜駅の隣にある葛西臨海公園内の第一駐車場まで来ると、停車するワゴン車の車内の中から辺りを伺う。


 多くの木々が生え聳える広大な平野に綺麗に整備された歩道が何処までも続くその有名な公園の名は、葛西臨海公園である。


 人々の活気で賑わう昼間とは打って変わり、人を寄せ付けない不気味な深遠の闇が辺りを包む中、公園内の所々に点々と設置してある高い外灯だけが唯一の道しるべのようだ。


 そんな闇夜が広がる外に出るのを渋る勘太郎に向けて、羊野が得意げにこの葛西臨海公園の説明をする。


「江戸川区にあるこの公園は、元々は海が広がるこの東京湾に、緑と水と人の触れ合いをテーマに五つのゾーンを配して誕生したのがこの公園なのだそうです。昭和六十年一月から葛西沖開発土地区画整理事業の一環として着手され、平成元年度にその一部約三十八ヘクタールがオープンし。平成六年四月には鳥類園ゾーン。七年七月には展望レストハウス・クリスタルビューが。そして平成十三年春には観覧車がオープンしました。また葛西海浜公園にも隣接している事から、行楽地としての色合いが濃い公園になっているそうですよ」


「なるほどなあ~、だが羊野、そのまるで台本を読んだかのような知識、一体どこから持ってきたんだ」


「勿論、ウィキペディアのウェブサイトからに決まっていますわ」


「ああ、そうだろうと思ったぜ」


 そんな勘太郎と羊野のやり取りを見ていた黄木田店長は、軽く欠をしながら如何にも眠そうに二人に話し掛ける。


「あなた方をここまで送ってきましたし、そろそろ私は少しの間このワゴン車の中で休ませて貰いますね」


「あ、すいません、黄木田店長。こんな朝早くから車の運転なんかをさせてしまって」


「仕方がないさ。君は車の免許は持ってはいてもただのペーパードライバー出し、羊野さんに至っては車の免許証すらも持ってはいないからね」


「ええ、いつか自前の車を購入する事が出来たら、その時は教習所でまた車の運転をする練習をしたいと思ってはいるのですが、中々車を買う踏ん切りが付かなくて」


「君たちを事件の現場へと送る車の運転係は本来なら緑川さんの役目なのだが、昨日と今日はウチの喫茶店でのバイトはお休みだからね。まあ、たまにはこんな日があってもいいだろう。何故ならこの私も黒鉄探偵事務所の一員の一人なのだからね」


「ええ、勿論頼りにしていますよ。では俺と羊野は殺人事件があったとされる現場へ行きますから、黄木田店長は俺達が戻るまで休んでいて下さい」


「ええ、勿論そうさせて貰います。では二人ともお仕事頑張って下さい」


 そう言いながらワゴン車の中で仮眠を取り始める黄木田店長を一人残し勘太郎と羊野は、手に持つ懐中電灯を照らしながら獣害事件があったとされる場所へと急ぐ。


「ここが事件の現場か」


「どうやらそうみたいですね」


 死体が発見されたとされる海が見える展望台入口へと来た勘太郎と羊野は、もう既に数十名の警察関係者達で一杯になっている現場へと足を踏み入れる。


「どうも、ご苦労様です」と勘太郎は愛想良く声をかけて見たが、誰一人としていい顔はしない。

 彼らは勘太郎と羊野を一瞬チラ見した後、その存在を無視するかのように再び仕事へと戻る。


 き、気まずい、物凄く気まずいんですけど。帰りたい、今すぐにここから逃げ出したい。


 そんな弱気な事を考えている勘太郎とは対照的に羊野の方は、黙々と仕事をする捜査員達に近づくと今回の事件について聞き込みをする。その物応じしない姿に羨ましさすら感じる。


そんな複雑な思いを巡らせながら勘太郎は羊野を眺めていると、突然その背後からかけられた誰かの声で勘太郎は思わず振り返る。

 その振り向いた勘太郎の後ろには、言わずと知れた勘太郎の腐れ縁の先輩、赤城文子刑事の姿があった。

 赤城文子刑事は勘太郎と羊野を見ると、まるで急かすかのように勘太郎に向けて言葉を掛ける。


「勘太郎、やっと来たようね。遅いわよ、こっちよ、こっち」


 そのいつもの明るい赤城文子刑事の声に少し安心した勘太郎は、赤城文子刑事に導かれるがままに、死体のあった現場へと勘太郎と羊野を誘う。

 だが、そこには本来は有るはずの死体はもう既に無く。地面のコンクリートに染み付いた血痕と黄色いチョークで書かれたヒト型の形だけがくっきりとその場に残されていた。


「あれ、死体が無いんですけど?」


 死体はと聞く勘太郎に向けて、赤城文子刑事が軽く説明をする。


「死体が発見されてからもう既に二時間は経つから、捜査一課の殺人班の人達がその残された死体を調べ上げて、遺体はもう既に本庁にいる検視官の方へと運ばれて行ったわ。さすがに狂人ゲームのルール上、現場に鑑識や検視官を呼ぶのは不味いと言う話だからね」


「なるほど、道理で見慣れない人達だなぁ~と思ったら、あれは捜査一課・殺人班の人達でしたか。赤城先輩が所属する捜査一課・特殊班とは違うのですか?」


「ええ、私達は円卓の星座を調査する為に特別に作られた捜査チームだからね、彼らとはちょっと違うかしら。それでも人手が足りない時は彼らの所へ応援に行ったりはしているんだけど。でも今回はどうやらその立場は全くの逆のようね」


 そう言いながら軽く溜息をつく赤城文子刑事を見ながら、勘太郎は今回の事件の概要について詳しく聞く。


「大まかな話はこうよ。深夜二時三十分頃、葛西臨海公園駅前にある臨海交番の警察官が、公園の展望台の前を巡回中に身元不明の二十代から~三十代くらいの女性の遺体を発見したとの連絡が届いたのよ。その連絡を受け現場に駆け付けた私達が見た物は正に戦慄の光景としか言いようが無かったわ。何せその女性の遺体の死因は、何か大きな獣に首の喉笛を噛み潰された事による窒息死であり、その後その遺体の損傷から見て腹部の内臓をその獣に食い破られたことが分かったからよ。そして、その獣が一体なんなのか、私達は知っているわ」


「と言う事は、やはりこの事件は、あの円卓の星座の狂人・暴食の獅子が操るとされる 喰人魔獣とか言う黒いライオンの仕業なのでしょうか?」


「ええ、十中八九その通りだと私達は思っているわ。何せその巡回中だったとされる警察官の話だと、外灯の光に照らしだされるその大きな獣を目撃したとの話よ」


「大きな獣ですか」


「その遺体となっている女性の前にいたその黒い大きな獣は紛れもなく五年前からちょくちょくその姿を現しているあの黒いライオンだったと言う話よ。その姿の全貌はシルエットだけで暗がりのせいか良くは見えなかったらしいんだけど。その警官が携帯している拳銃を抜きながらその約五十メートル先にいる黒いライオンに近づいて行ったらしいんだけど、その黒いライオンは大きな遠吠えを上げながら林が生い茂る闇の中へと逃げ去って行ったとの事よ」


「その女性の死亡推定時刻は分かっているんですか」


「死亡推定時刻は昨日の朝方に亡くなっているみたいだから今から二十四時間後に亡くなったと言う事になるわね。現場の周辺に被害者の血が少ないと言う事はここでは無い何処かで食い殺されてからここまで運ばれてきたようね。その死亡した本当の犯行現場がこの葛西臨海公園内の中にあるのか、それとも他の外にあるのかはまだ分からないけど、その神出鬼没ぶりは正に噂通りの『人を喰らう魔の獣』と言う事になるわね。それに害獣事件としての射殺命令ももう既に出ているから、夜が明けたら直ぐに猟銃の免許を持った三人のプロのハンターと警視庁捜査一課・殺人班の何人かの刑事達がこの辺り一帯を隈無く探してみると言っていたわ」


「いや、もう無理でしょう。ただの獣ならともかく、もう既に黒いライオン・喰人魔獣は、主人でもある暴食の獅子の元へと戻っているはずですよ。だけど、それは本当にライオンだったのですか?」


「それはどう言う意味よ」


「だってそうでしょう、こんな東京の公園の物凄く大きな所で一匹の大きなライオンを放し飼いにして、更にはそのライオンを自由自在に操るだなんて……ハッキリ言ってにわかには信じられませんよ。警官の話ではその黒いライオンはシルエットの輪郭しか見えなかったらしいですから、もしかしたら大きな黒い野犬の犬と見間違えたんじゃないかなぁと思いまして」


「私もそう思ってその黒い獣が残したとされる数々の物的証拠を調べて見たんだけど、調べれば調べる程に出て来る物的証拠は全てその黒いライオンに関わる証拠ばかりなのよ。その女性の遺体の首や腹部に残された噛み傷の歯型や爪の後、それにその遺体の衣服に付着していた毛や糞尿、それに唾液と……いろいろと見つかっているけど、その全てがその黒いライオンに繋がっている事から、この被害現場にその黒いライオンが本当にいたことだけは間違いないようね」


「この大都会を行き来する、人が溢れる野外で自由にその黒いライオンを操るだなんて……未だに信じられないよ。ライオンって、犬のように訓練や調教なんかをしたら素直に言う事を聞く物なのかな?」


「さあね、私はライオンの専門家じゃないからそれは分からないけど、女性の死体の損傷は紛れもなくその黒いライオンの仕業に先ず間違いはないと思うわ」


 そんな赤城文子刑事の言葉に、いつの間にか二人の傍まで近づいて来ていた羊野が白い羊のマスクから見える赤い眼光を不気味に光らせながら話に加わる。


「確かに、その現場の証拠や証言、死体の写真を見る限りでは確かにその遺体の傷跡はライオンに噛まれた物による傷痕にまず間違いはない用ですわね。ですが本当にその黒いライオンの仕業かどうかはまだ分かりませんよ。何せその黒いライオンが実際に人を襲って食べている所を目撃した人はまだ誰一人としていないのですから。現場に残されてある血の量が極端に少ないことからも、この場でかみ殺されて食べられた訳ではないと言う事を証明していますよ」


「まあ、それはそうだろうな。死亡推定時刻も昨日の朝方と出ているみたいだし、丸一日この女性の死体がここに放置してあったら、昼間の内に誰かが見つけて通報するだろうからな。でも見つかったのは夜の丑三つ時の深夜の2時30分頃だからな。その女性を何処か別の所で噛み殺してから、その黒いライオンが死体をここまでわざわざ運んで来たんだろうぜ」


「或いは、その遺体はこの葛西臨海公園の敷地内で殺された遺体では無いのかも知れません。どこか別の場所で殺した遺体を、暴食の獅子自らがこの臨海公園まで運んで来たと言う事も考えられますね。あの遺体の損傷や腐敗跡からして、まだ一日くらいしか経ってはいませんから、この場所まで死体を持ち運ぶ時間は十分にあると思いますよ」


「うん、俺達もさっき、赤城先輩と同じような事を話していたから、お前の意見と大体は同じのようだな」


「でももう既にその死体が回収された後ではもう調べようがありませんね。死体を直に調べる事が出来たなら、まだまだ新たな発見があるかも知れないのに」


 その勘太郎と羊野の言葉に、今度は赤城文子刑事が二人の話に好かさず割って入る。


「まさか損傷の激しい死体をあなた達が来るまでその場所に放置する訳にはいかないでしょ。でも私達が既に調べ上げたこの被害者に関する資料は今ここにあるんだから、そこから何か新たな発見と証拠を見つける以外に道は無いわね」


「まあ、俺達もこの場所に来るのがかなり遅れたから、それは仕方が無い事だよな。と言うわけで赤城先輩、写真や死体を調べた報告書を後で見せて下さいね」


 そんな話を勘太郎と羊野、そして赤城文子刑事がしていると、近くの公衆トイレのある方面から四人の人物がその姿を現す。


 先頭を歩く男は如何にも偉そうな格好をしており、高そうな紺のスーツの上着に下は白のスーツのズボンを履いている。七三分けの髪型が特徴の人だ。

 その少し斜め後ろを歩くのが茶色い上下のスーツを着た細身の優男で、更にその後ろを歩く二人は猟銃を持つその格好からして今回の狂人ゲームに特別に参加が出来る三人の内の二人のハンターだと言う事が直ぐに分かった。


その四人の人物が、勘太郎と羊野、そして赤城文子刑事の前まで来ると、先頭を歩く紺のスーツを着た七三分けの男は勘太郎と羊野に怪しげな視線を向けながら赤城文子刑事に話し掛ける。


「赤城刑事、困りますね、一般人を事件が起きた現場に入れて貰っては。部下達も皆動揺していますよ。一体彼らは誰なんですか?」


「あ、ご苦労様です。西園寺長友さいおんじながとも刑事と耳沢仁みみざわじん刑事は、彼らに会うのは初めてでしたよね。彼らが噂の黒鉄勘太郎と羊野瞑子さんですよ。話くらいは聞いてはいますよね」


 その話を聞いた茶色い上下のスーツを着た耳沢仁刑事と名乗る男は、少し驚いた顔をしながら直ぐに言葉を返す。


「あなた方があの噂の……探偵ですね。あの闇の秘密組織・円卓の星座の狂人達と日夜戦いを繰り広げていたというあの二年前に他界した名探偵、黒鉄志郎さんの息子さんですね。何でも円卓の星座の創設者・壊れた天秤は黒鉄志郎の息子でもあるあなたとしか……いや、あなたが率いる黒鉄探偵事務所の面々としか狂人ゲームの対決は先ずしないと言う噂じゃないですか。だから警察上層部はあなた方が動きやすい用にとあなた達だけに適応した特別な非公認の闇の法律を作ったんですよね」


「ああ、こいつらがあの噂の……白い羊と黒鉄の探偵とかいうふざけた連中か。確かに黒鉄志郎は優秀な探偵だったかも知れないが、その息子の黒鉄勘太郎君だっけぇ~っ、君は特にずば抜けた才能がある訳でも頭がいい訳でも無いただのど素人と変わらないと言う話では無いか。なら何で君のような者が探偵の真似事なんかをしているんだ。もう探偵まがいの遊びはやめて早々に家に帰りたまえ。その方が君の身の為だぞ。後の事は警察の中でもかなり優秀なキャリア組の俺に全てを任せるんだ」


七三分けの髪型をクシで直しながら初対面の勘太郎を貶すような態度を見せる西園寺長友刑事だったが、その隣にいる異様な羊の被り物をしている羊野を見て西園寺刑事の顔色は一気に変わる。


「それに……一番あり得ないのがお前だよ。お前!」


 そう言うと西園寺刑事は怯えにも似た眼差しを向けながら目の前にいる羊野瞑子を指さす。


「何で円卓の星座の狂人がこんな所にいるんだよ。お前のその姿を俺は見たことがあるぞ。二年前にもこんな形で警察に協力をしていた時があったよな。あの時はお前の邪悪な策略のお陰で十数名もの警察官達が大怪我をしたり死亡したりしたんだぞ。二年前に起きた『龍撃王・殺人事件』を忘れたとは言わせないぞ。狂人・白い腹黒羊!」


 その西園寺長友刑事の言葉に耳沢仁刑事は顔をしかめ、赤城文子刑事は「二年前の、あの事件か……」といいながらボソリと呟く。


 龍撃王殺人事件。二年前、狂人・白い腹黒羊こと羊野瞑子が黒鉄探偵事務所に来て、直ぐに警察の要請で関わったとされる事件であり、初めての狂人ゲームである。

 二年前のこの事件には素人同然の勘太郎はまだ一切関わってはおらず、羊野瞑子だけを半ば強引に無理矢理に連れて行き捜査の協力をさせたのだが、彼女のおかげで事件が解決したにも関わらずその事件の結末は警察側に多くの死傷者を出してしまう。


 何故警察は、元円卓の星座の狂人でもある犯罪者の羊野瞑子を事件協力と言う名目で捜査に加えたのか?

 それは円卓の星座側から狂人ゲームの対戦相手に狂人・白い原黒羊こと羊野瞑子を加えることが絶対条件だと言うルールの規約が出ていたからだ。


 その二年前に起きたとされる壮絶な事件とは一体どんな物だったのか。勘太郎は誰かに聞いた記憶を思い出す。


 指を拳銃のような形に真似ただけでどんなに離れた相手をも銃撃&狙撃する事が出来るトリック使い、狂人・龍撃王と名乗る狂人を相手に、当時の特殊班や警察が奮闘し、何とか事件を解決に導くことが出来たらしいのだが、その代償と犠牲は余りにも大きく散々な物だったと言う話だ。


 その事件を解決に導く為に捜査協力を無理矢理にさせられていた羊野瞑子は警視庁捜査一課殺人班の当時の刑事達に助言や知恵といった捜査協力をしていたらしいのだが、それでも事件が解決する頃には死者十人・怪我人七人・と言う数の犠牲者が出てしまう。恐らく西園寺長友刑事はその時の事を言っているのだろう。


「お前の用な犯罪者は本来は無期懲役か死刑台送りになっていてもおかしくはない境遇なんだぞ。それを円卓の星座の狂人・壊れた天秤が名指しでお前との狂人ゲームでの対決を希望して来たから、超うおおぉぉぉ~ぉぉっ特別に、特例中の特例で、お情けで、仕方なく涙を飲んで法律を曲げて、お前を優遇してやっているんだぞ。それなのに狂人・龍撃王を捕まえる為とは言え、我々警察官まであんな卑劣な罠にかけるとは、お陰であの時は俺も死にかけたからな!」


 一体どんな卑劣な罠を仕掛けて、あの銃撃のトリック使い、狂人・龍撃王を仕留めたのかは知るよしもないが、羊野瞑子なら周りの仲間の生死など考えずにニコニコしながら殺しの罠や策略を実行していただろうと勘太郎は普通に思う。


 その二年前の現場にもしも勘太郎が初めからついていたらそんな卑劣な策略は必ず止めていたのだろうが、今となっては後の祭りである。


 そんな事を思いながら勘太郎はふと隣にいた羊野にその視線を向けると、羊野は被っていた白い羊のマスクを静かに外しながら、罵りと嘲笑を続ける西園寺長友刑事にその笑顔を向ける。

 その光景に嫌な不安を覚えた赤城文子刑事が西園寺刑事の中傷を思わず遮る。


「西園寺刑事、二年前の事はもういいじゃないですか。今さら彼女にそんな事を言っても始まりませんし。それに彼らは正式に警察の上層部からこの事件を解決する為に全てを任せられた者達なのですから、西園寺刑事が彼らの事をとやかく言う事ではないと思いますよ」


「ふん、こんなド素人の探偵と、頭の可笑しな犯罪者などに頼らなくとも、この事件は俺達警察だけでいつでも解決する事ができるのだがな。きっと狂人・壊れた天秤は、あの二人を使ってただふざけて遊んでいるだけじゃないのか」


「西園寺刑事、この白黒探偵は見かけよりもかなり優秀ですよ。それに西園寺刑事が言っている、二年前に起きたあの龍撃王事件は別に羊野さんのせいと決まった訳じゃ無いですし、そんな一方的な言い方はどうかと思いますよ」


「な、何を言っているんだ。こいつがあの時、知っている重要な情報を全部俺達に教えなかったのがそもそも悪いんじゃないか。こいつはあんな悲惨な結果になる事を当然知っていてワザとその重要な情報を俺達に教えなかったんだ。そうに違いないぜ!」


 そんな西園寺刑事の訴えを聞いた羊野はクスクスと笑いながら馬鹿にしたような目を西園寺刑事に向ける。


「ほほほほっ!」


「な、なにが、おかしい!」


「いえ、失礼。だってちゃんと助言や警告はしたはずなのに貴方たちが勝手に解釈を間違えて、早とちりをして前に突入するから余計な死者が出たんじゃ無いですか。確かに少し言葉が足りなかった事は認めますが、優秀な刑事さん達なら私の真意を汲み取ってくれる物と信じて私は敢えて前線には出ずに後方に下がり、そしてあなた達にその全てを任せたのですよ。ですが、どうやら私の買いかぶりだったみたいですね。その点は本当にすまなかったと大いに反省しなけねばなりません。まさか全部噛み砕いて丁寧に教えないといけなかっただなんて知りませんでしたからね。あれくらいの言葉の謎かけなら、ど素人同然の黒鉄さんでもわかって頂けたのですが、優秀な刑事さん達には高度すぎて理解が出来なかったみたいですわね。もし今回貴方と一緒にお仕事をする機会があったのなら次はお猿さんでも分かる用に優しく丁寧に教えてさしあげますわ。西園寺刑事さん」


「な、なんだと! まるであの狂人・震える蠅と同じ用な手口で俺達を言葉だけで誘導しそしてはめやがって。お前が面白がってあの事件を楽しんでいた事は前々から知っているんだよ。俺達をまるで玩具のように使いやがって、お前だけは絶対に許さんぞ。この狂人の犯罪者がぁーっ!」


「まあまあ、西園寺刑事落ち着いて下さい。羊野さんは『元』円卓の星座の狂人であっても、今は違うんですから」


「西園寺刑事、今は彼らと揉め事は不味いですよ。上からもこの二人についてはサポートに回れとお触れが出ていますし」


「こいつらのサポートなんかしていられるか。それでもお前は誇りある日本の警視庁の警察官か! 俺達の手で(喰人魔獣)黒いライオンと暴食の獅子とか言うふざけた狂人を捕まえるんだ。日本のエリート刑事組の力をあの壊れた天秤にも見せつけてやるぜ!」


 怒り沸騰の西園寺刑事を耳沢刑事と赤城刑事が宥めるように止める。その光景を見ながら勘太郎はフと心の中で思う。


 いや、いや、いや、羊野の奴の事だから、恐らくは全てを知っていてわざとそうなる用に仕向けたと言うことも考えられるな。

 狂人・龍撃王を捕らえる為に、敢えて効率良く捜査一課・殺人班の面々を言葉巧みに言葉のマジックで罠にかけ、体良く都合のいい囮に使ったのだろう。

 自分が策略したか、しなかったのかと言うギリギリとなる曖昧な境目の所でだ。そうだ、羊野瞑子とはそう言う奴だ。


 だが俺が知る限りでは、二年前の龍撃王殺人事件の狂人の最後の落ちは……確か警察側で数人の犠牲者を出しながらもやっとの事で龍撃王を追い詰めた当時の捜査一課殺人班の刑事達が皆一斉に拳銃を狂人・龍撃王に向けたらしいのだが、結局最後は龍撃王自らが撃った拳銃の暴発で、その弾丸が龍撃王の頭に直撃してその場で即死をしたと記憶している。

 だが、もしかしたらその龍撃王の生死にさえもあの羊野瞑子が関わっているのかも知れない。

 その黒い疑いがどうしても拭いきれないからこそ、あの西園寺刑事はあんなにも騒いでいるんだ。


 そんな西園寺刑事の罵りにも全く動じない羊野瞑子は心にある病気を抱えている。


 罪に対する罪悪感が欠如している(反社会性パーソナリティ障害)所謂サイコパスそれが彼女が抱えている心の病気だ。


 なので人が彼女の策略により、目の前で何人死んでも彼女の心は全く動じないだろう。

 だからこそ俺は、元円卓の星座の狂人・白い腹黒羊こと、羊野瞑子を黒鉄探偵事務所の助手にする際に三つの約束事を彼女に契約させている。

 その三つの約束事とは。


『契約その一 白い羊こと・羊野瞑子は、黒鉄志郎の認めた、黒鉄の探偵・黒鉄勘太郎の指示無く人間を殺してはならない。


 契約その二 白い羊こと・羊野瞑子は、黒鉄志郎の認めた、黒鉄の探偵・黒鉄勘太郎の命令に絶対に従わなくてはならない。


 契約その三 白い羊こと・羊野瞑子は、黒鉄志郎の認めた、黒鉄の探偵・黒鉄勘太郎の命を全力で護らなくてはならない』


 原則この三つの誓いを軸に羊野瞑子は行動をしている。


 まあ、犯人を間接的に殺しているか殺していないかはグレーゾーンなので敢えてその疑惑を追求はしないが、羊野の力があるからこそ俺が今まであの円卓の星座の狂人達に何とか打ち勝ってきた事は紛れもない事実である。


 そんな羊野に対して非難を続ける西園寺刑事と、それを止めようとする赤城刑事と耳沢刑事のドタバタに対し、行き成りドスの利いた声が三人の刑事達に飛ぶ。


「お前らいい加減にせんか! いいからお前らは各々の仕事に戻れ!」


 その聞き覚えのある声にその場にいた人達が皆一斉にその人物に向けて思わず振り返る。

 小太りの体型にいつもの顰めっ面がよく似合う、自ずと知れた警視庁捜査一課特殊班のリーダーを務める川口大介警部(五十代)と。

 そしてその隣にいるのが大柄な体格をした、同じく警視庁捜査一課特殊班所属の山田鈴音刑事(三十代)である。


いつの間にか近くに来ていた川口警部に、西園寺刑事が焦りながらも弱腰になる。


「ご、ご苦労様です。し、しかしですね、川口警部……」といいながら言い訳をする西園寺刑事に、川口警部は眉間にシワを寄せながらなおも言い放つ。


「白い羊と黒鉄の探偵に関しては、上の方から直々に命令が出ているんだ。我々全警察官は彼らの邪魔にならない用に速やかに彼らのサポートに回れとのお達しだ。つまり、白い羊と黒鉄の探偵の邪魔はするなと、そういう事だ」


「ば、馬鹿な、警察の上層部は一体何を考えているんだ。こんな時に」


 そう言って悔しがる西園寺刑事に川口警部が言う。


「まあ、不本意ではあるが命令は命令だ。俺達が国家公務員である以上、上からの命令には従うしか無いのだからな。白い羊の奴の安い挑発に乗っている時間は無いぞ。分かったら早く仕事に戻れ!」


「は、はい、分かりました。川口警部!」


 西園寺刑事は緊張しながらも直ぐさま敬礼すると一目散にその場から離れて行く。

 どうやら西園寺刑事は昔から川口警部には頭が上がらない用だ。


 まるで逃げるかのようにその場から離れて行く西園寺刑事の後ろ姿を見送っていた川口警部は、今度は勘太郎の目を真っ直ぐに見据えながら言葉を掛ける。


「ようやく来たか、白い羊と黒鉄の探偵。現場でぼやぼやしているから西園寺刑事なんかに絡まれるんだよ。まあ、俺も西園寺刑事の気持ちは分からんでも無いがなぁ」


 そう言うと今度は勘太郎の隣にいる羊野を睨むが、当の羊野の方はその厳しい睨みを屈託のない笑顔で返す。


 恐らく羊野にしてみたら何で川口警部に睨まれているのだろうとその深い思いを全く理解していないのだろうが、そんな羊野瞑子に対し川口警部は、過去に間接的とは言え同僚達を死傷に追い込んだ……かも知れない、狂人・羊野瞑子に対しかなりの警戒をしているのだろう。


「ふん、西園寺刑事の奴は黒鉄の探偵、お前に会うのは初めてで分からなかったのかもしれんが、二代目・黒鉄の探偵を名乗る者が普通の人間な訳がないだろう。例えどんなに才能の無いど素人の一般人だったとしても黒鉄の探偵を名乗る以上は、あの壊れた天秤が造りし狂人ゲームには嫌でも参加して貰うからな。何せ黒鉄志郎の息子でもある黒鉄勘太郎と元円卓の星座の狂人の羊野瞑子の二人を共に対戦相手として参加させるのが、あの壊れた天秤が狂人ゲームを仕掛ける条件でもあるからな」


「い、嫌な条件ですね」


「それにな、あの凶悪凶暴の白い腹黒羊を相棒&部下にしている時点で、もうお前はこの話の渦中の人物、つまりは壊れた天秤の手で作り出された主人公だと俺はそう思うけどな。こんな危険な女と一つ屋根の下でいられるお気楽人間は世界中どこを探してもお前くらいしかいないだろうからな」


「は、はあ、肝に銘じておきます」


 何を肝に銘じるのかは知らないが、勘太郎は取りあえずは分かったかの用な事を言ってみる。

 もしかしたら、貶されて落ち込んでいる勘太郎を見て元気づけようと思った川口警部が、嫌みと皮肉を込めながらも遠回しに励ましてくれているのだろう。


「まあ、現場を見て回るのは別に構わないが、黒鉄の探偵、あんまり現場を荒らすんじゃないぞ。それといつも会う度にしつこく言っている事だが、白い羊の手綱はしっかりと握って置くんだぞ。絶対に気を緩めるな。そいつは何を企んでいるのか本当に分からない奴だからな!」


「では川口警部、俺達もそろそろ……」


「そうだな、俺達もそろそろ仕事に戻るか。おい赤城刑事、引き続き白い羊と黒鉄の探偵のサポートの方はお前に任せたぞ。後、耳沢刑事、そこにいる二人のハンターの人達のことはお前に任せたからな」



「「はい、分かりました。川口警部!」」



 急ぐ山田刑事に促され、その場を離れようとした川口警部だったが、最後に一言だけ勘太郎に向けて言う。


「黒鉄の探偵、確かに白い羊は難解な事件解決能力に長けた優秀な狂人なのかもしれんが、その力も制御役のストッパーでもあるお前がいなければ、白い羊はただのいかれた殺人鬼となんら変わらんのだよ。黒鉄勘太郎、お前がいるからこそ彼女は今もここにこうして存在していられるんだ。その事を決して忘れるなよ。二代目・黒鉄の探偵!」


 それだけ言うと川口警部は部下の山田刑事を引き連れて、更なる証拠を集める為にこの辺り一帯の公園の何処かへと消えて行くのだった。

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