第4章 『恐怖再び、関根孝のその後』 おまけ、その21。
21。
時刻は夜の二十四時丁度。
一人の男がドアの前で頭を下げながら玄関の入り口のドアを閉める。その男の顔は酷くやつれ、かなり疲れているのが分かる。その男の名は関根孝、西条ケミカル化学会社で働く四十代の専務である。
その彼が精神と肉体を酷く疲弊しているのは今回の梅塚幸子が起こした事件で亡くなった西条ケミカル化学会社の社員達だけではなく、その現場にたまたま居合わせて、そして殺された他の一般の人達のお悔やみも一緒に述べる為に、その被害者の家を一軒一軒回っていたからだ。
その報告をするために関根孝は夜遅くにわざわざ西条社長のご自宅に来た訳だが、当の西条貴文社長の考えは、死んでしまった社員や他の一般客の死は我が会社のせいではないからお悔やみを述べる必要は全く無いとの事なので、 そんな西条社長の言動に関根孝は正直かなりの憤りを感じていた。
せめて形だけでも西条社長には、殺されてしまった従業員達のご家族に今回起きた事件の説明とお悔やみと謝罪を一緒にして欲しかったのだが、西条社長には全くその気は無いようだ。
死んでしまった者は死んでしまった者とバッサリ切り捨て、足りない箇所はまた新たな社員を雇えばいいと言うのが西条社長の考えだ。
そしてその方針の下に、もう既に新たなプロジェクトを立ち上げた西条社長は、まるで何事も無かったかのようにまた新たな箇所の堤防建設の話を関根孝にする。
そんな西条社長のワンマン経営と社員達の死を悼む気持ちが全くない軽薄な態度に、関根孝はもう既に辞職も辞さない覚悟でいた。
「つい一~二週間前まではみんな一緒に仕事をしていた仲間なのに、なぜ西条社長はそんな死んでいった社員達にお悔やみの言葉の一つも掛けること無く切り捨てる事が出来るんだ。自分は新たなプロジェクトで忙しいから後の遺族への対応はお前に全てを任せるとか言っていたが、正直俺ももう限界だ。亡くなった社員達の法事や遺族への説明。そしていろんな事務的な処理が終わったら、この会社に辞表をだす事にしよう。それが俺なりのけじめの取り方だ」
そう呟きながら関根孝は立派な門構えを構える西条社長宅を後にし、音が全くしない深夜の道路へと足を踏み入れる。
もう既に二十四時を過ぎたせいか行き交う車は全くなく。虫の鳴く音と木々のざわつく音だけがその空間を不気味に彩る。
この辺りも住宅街ではあるのだが割と木々も多く各家々の空き間隔もそれなりに距離があるので、人の気配を全く感じる事はなかった。
まあ、早い話が西条社長宅のあるこの場所は緑に覆われた今話題の開拓居住地なのだ。
どうやら豪邸を建てたいが為にこの辺りの土地を安く買いたたいて自分の家を建ててしまったとの事だ。
そんな周りに家々が一軒も見えない寂しい場所に深夜に一人立つ関根孝は、外灯の光しかない道路を歩きながら、自分の車が停めてある駐車場へと急ぐ。
それにしてもここ辺り一帯は、暗いし寂しいし、何より夜は怖いな。西条社長も何もこんな町から離れた辺鄙な所にわざわざ家を建てて住まなくてもいいのに……。
そんな事を思いながら小走りに道路を歩いていると、何かを引きずりながらこちらに近づいてくる音に関根孝の足が思わず止まる。
ガリガリ……ガリガリガリガリ……ガリガリ……!
「な、なんだ。この何かが道路に擦れる音は。まるでコンクリートに角材か木製のバットのような物が擦れるような音だ。角材……木だと!」
そう言葉を口にした時、関根孝は何かを思い出し思わずその音の響く方を凝視する。何故なら関根孝はその木の棒を引きずる音に覚えがあるからだ。そうこの木の棒の尖端を地面に当てながら引きずる音は一週間前にあのデパートの中で聞いたあの音に物凄く似ていた。
「あり得ない。もう全てが終わったはずなのに、なんでこのタイミングでここに奴が来ているんだよ。闇の依頼人であり、その後殺人鬼と化したあの梅塚幸子はもう既にこの世にはいないはずだ。それに雇われていたあの水瓶人間はもう既に今回の件からは完全に降りて手を引いたとも聞く。なのになぜ彼女はここに来ているんだ。あり得ない、こんな事は絶対にあり得ないよ。
一週間前に味わった恐怖がまた蘇り、顔から噴き出る大量の汗が頬を伝わり地面へと滴り落ちる。
「何だ……一体何が近づいてくるんだ。やはりあの水瓶人間なのか?」
そのにわかには信じがたい何かが外灯の光の中へと入り、ついにその姿を現す。
不安と恐怖に固まりながら凝視するその先には、大きな大木槌の木の峰をコンクリートに落としながら引きずり近づいて来る水瓶人間の不気味な姿があった。
頭には逆さまに被る大きな水瓶、体にはレインコートの緑色の雨具、下には厚手のロングスカート、手足にはゴム手袋とゴム長靴といった出で立ちの奇怪な格好をしたその人物は、紛れも無く円卓の星座の狂人・悪魔の水瓶その人だった。
悪魔の水瓶は「ポポポポーッ、ポポポポーッ、ポポポポーッ」とまるで野生の鳩のような鳴き声を繰り返しながら、目の前にいる関根孝に迫る。
「ポポポポポポポポポポポポーッ!」
「で、でたぁぁぁ、み、水瓶人間だあぁぁ!」
悪魔の水瓶は片手で持っていた大木槌を勢いよく持ち上げると、両手に持ち手を変えながら目の前にいる関根孝に狙いを定める。
「うわああぁぁぁぁぁーっ。なんで、なんでまだ襲ってくるんだよ。や、やめろ。やめてくれぇぇーっ!」
「取り乱し恐怖の叫びを上げる関根孝の声を無視しながら、悪魔の水瓶の一撃が無慈悲にも関根孝に叩き込まれる。
その大木槌を避けようと関根孝は革製の手持ちの鞄で何とかその一撃を防いだが、その力強い圧倒的な一撃に関根孝の体はその鞄ごと大きく吹き飛び、後ろにある西条社長宅を囲む塀の壁へとぶつかってしまう。
ドカン!
「がはぁぁ!」
壁に背中を叩き付けながらも何とか立ち上がった関根孝だったが、その体はもう既にふらふらのようだ。何とか胸への直撃は防いだようだが、背中の痛みと胸の息苦しさで荒い息が口から自然と漏れる。
「ハア、ハア、ハア……」
手に持つ鞄で咄嗟にガードしたのに、ここまで吹き飛ばされた。そしてもう直ぐ、次の二撃目の攻撃が来るだろう。その攻撃を俺は恐らくは避けられない。不味い、このままでは不味い!
そんな関根孝の予測に沿うかのように悪魔の水瓶は次の一撃を関根孝に打ち込むため、大木槌を高らかに上へと持ち上げる。
駄目だ、奴の攻撃が当たる。このままではあの大木槌の一撃が確実に俺の体に当たってしまう。どうすれば、どうすればいいんだ? そ、そうだ、あの時あの羊の女性は、水瓶人間の大木槌を避ける為に、後ろでは無く敢えて前に出てその威力を殺していたな。間合いを……奴との間合いを敢えて詰めるんだ!
大木槌が振り下ろされるそのコンマ〇〇秒の中でそんな事を瞬時に思い出した関根孝は、一か八か無我夢中で悪魔の水瓶の体にしがみつく。その甲斐あって大木槌の威力は半減し大木槌の手に持つ柄の部分が関根孝の肩に当たる。
ドカッ!
「い、痛い!」
柄の部分が肩に当たり思わず関根孝は顔をしかめたが、命を代償に受けた負傷なのでその痛みを敢えて受け入れる。だがそんな関根孝のピンチは今も変わらず、あの大木槌による一撃を受けないように力の限り悪魔の水瓶にしがみつくのが精一杯だった。
ハァ、ハァ、ハァ、助かった……どうにか助かったぞ。でもここからどうする? おそらくこの水瓶人間の体から離れたらその瞬間、水瓶人間の持つ大木槌の一撃が間違いなく飛んでくる。だから、離したら、この手を水瓶人間から離したら終わりなんだ。
そう思った関根孝は絶対にこの手を放すまいと目の前にいる悪魔の水瓶に死に物狂いでしがみつく。
放す物か……死んでもこの手を放す物か!
そう思いながらも悪魔の水瓶の被る逆さの水瓶マスクに耳を押し付けた時、微かにその水瓶の中から何かのノイズが……いいや……人の声が聞こえたような気がした。
その小さな声の内容はとても短く断片しか聞き取れなかったが、その短い言葉だけで関根孝は偶然にもその事実に気付くことになる。
この先……前方の障害物の壁に……注意……だと。そうか……そう言うことだったのか。じゃぁ、この目の前にいる悪魔の水瓶の正体は……まさか……。
そう考えている関根孝の首を悪魔の水瓶は無造作に掴むと、その物凄い力で強引に引き剥がしながら、息苦しさで苦しむ関根孝に向けて行き成り言葉を発する。
「ポポポポーッ……今心臓の鼓動が急激に高鳴りましたね。それに体の震えからその僅かな動揺が伝わってきましたわ。それにこの臭いは……今また別の汗を体から急激にかきましたね。と言うことは……関根孝さん……あなたは私の何かに気付いたと言った所でしょうか。ふふふ、これは一体どうした物ですかね」
「こ、こいつ……行き成り声を出してしゃべり始めたぞ。て言うかこいつは言葉をしゃべれたのか!」
声を何かの機械で変えているのかその声は機械的でその正体は見た目からは全く分からなかったが、抱きついた時の体の柔らかさとその細身の体型からその人物が女性であることが再度確認される。そしてこの殺人鬼の特徴とある人物とを重ねることで、その思っていた疑問が確信へと変わる。
だがそんな関根孝の考えをこの悪魔の水瓶はなぜか気付いている。しかも人の心拍音や体の僅かな震えや汗の臭いだけで人の感情を見抜いたこの水瓶人間に関根孝は本気で恐怖する。
こいつは梅塚幸子や海月光子のような素人とはまるで違う。本物の殺人鬼、狂人悪魔の水瓶だ。そして俺は……恐らくはこの人物の事を知っている。
心臓の心拍音だけで人の感情の起伏を見抜いただとう。いや、そもそもただの人間にそんな事が出来る物なのか……いいや、そんな事が出来る奴を俺は一人だけ知っている。
「水瓶人間……あんたは……」
そう言いかけた関根孝の首を強引に掴み上げながら、悪魔の水瓶はある提案をする。
「関根孝さん、私達と取引をしましょう」
「私達……だと。やはりお前達は二人いるのか……二人で一人の狂人……それが悪魔の水瓶の正体か……だとするなら……その水瓶の中には外が見える隠しカメラが内蔵されていると言う事なのか。だからあんたはどこでだって自由に行動する事が出来るんだ。そう言う事だろう。何せあんたには優秀なナビ役がついているんだからな。それにしても、足の不自由な人間と目の不自由な人との先ずあり得ないコンビ……一体誰がそんな人達が起こす犯行を実現可能だと思うよ」
「黙れ!」
そういいながら悪魔の水瓶は関根孝の首元を更に強くひねり上げる。
「く、苦しい……それ以上は……う、う、う……」
「私としてはこのままあなたを殺してもいいと思っているのですが、もう一人の方があなたを殺すべきではないと言う物ですから、取り敢えずはあなたに警告をしますね。もしあなたが知ってしまったその秘密を少しでも他の誰かに話してしまったらその時は私達が地の果てまであなたを追いかけて、必ずあなたのみならず、その家族も一緒に皆殺しにします。例えどこに逃げようともです」
「だが俺のたれ込みで、先にあんたらが警察に捕まったら……意味が無いだろう」
「その時は他の狂人達に事前にあなたの殺害を依頼して起きますので、大丈夫ですわ。もし私達に何かがあったらその時は他の狂人達があなたを殺しに行くと言う算段です。ですので軽はずみな行動は命に関わると言う事を覚えて置いて下さい」
「俺を殺さないのか。あんたらの重大な秘密を知ってしまった俺を?」
「ええ、殺しません。たった今そう決まりましたからね。あなたは自分の死よりも家族の死を大いに悲しむ人だと分かりましたから。そんなあなたが家族を犠牲にしてまで私達の秘密を誰かに暴露するとは思えないと言うのがその人の判断です。なので今回は特例としてあなたにチャンスを上げると言っているのですよ」
「特例……チャンスか。そんな特例をなぜあの二人にも送ったんだ。あの時、あのデパートの中で敢えてあの二人を見逃す理由が分からないんだが? 戦いに敗北したあの二人を……見逃してやるほどあんたらは優しくはないだろう」
「ホホホホ、あの羊女に関しては理由は簡単ですわ。私との戦いに負けて悔しがるあの羊女の顔を間近で見たかったからですわ。簡単に殺しちゃったら自分が簡単にあっけなく負けた事にも気づけないじゃないですか」
「ははは、あんたはいい性格をしているよ。それでもう一人の黒服の探偵さんはどうなんだ。なぜ屋上で殺さなかったんだ。殺すチャンスはあったはずだ」
「そうですね……なぜでしょうか。実は私も自分がこれまでに犯してきた殺人に少なからずも罪の意識はあります。なので私は恐らくは当然ろくな死に方はしないでしょう。なら最後の最後に私を殺してくれる人はあの黒服の探偵さんがいいと思ったまでのことですよ。彼ならきっとその正しい正義の心で私を厳しく罰して、優しく殺してくれると信じていますから……だから彼を敢えて殺さなかったのです。いつかあの人が私達のどうにもならない悪事を暴いて、その犯行を阻止してくれる。そして正しく殺してくれる。そう期待した方が希望が持てるでしょ」
「あんたの変わった自虐的な自殺願望は俺には到底理解はできないが、そんなに殺して欲しいのなら黒服の探偵さんではなく、あの羊の女性に頼んだらどうだ。あの女性なら喜んであんたを殺してくれそうだがな」
「いえいえ、あんな奴に殺されるのだけはごめんこうむりますわ。あの羊女は逆に私が殺してやりたいくらいです。私の願望を叶える人間は誰でもいいと言う訳ではないのですよ」
そういいながら悪魔の水瓶は関根孝が着ているジャケットのポケットからスマホ携帯を取り出すと、そのまま地面に置き、手に持つ大木槌で勢いよくそのスマホを叩き割る。
バキンィィィーン!
「すいませんが、あなたのスマホは叩き割らせて貰いましたわ。これであなたはもう誰にも電話をする事は出来ません。そしてもし約束を破る事があったら、あなたはこのスマホのようになりますので忘れないで下さい」
「正体……秘密……一体なんの事だ。あんたらの事なんて始めから何も知らないんだが」
「ホホホ、言い答えです」
「俺に近づき親身になって黒鉄探偵事務所の事を進めてくれたのは、俺の信用を勝ち取り、これから起きる事件を監視する為だったのか。でもまさか自分の表の仕事場を事件の現場にしてしまうとは、かなり大胆な事をした物だな。それにどんな事情があるのかは知らないが、あの二人の探偵をわざわざ呼ぶとは大胆にも程があるだろう」
「あのデパート内での事なら、あの白い羊と黒鉄の探偵の目をも誤魔化せると思ったからですわ。その証拠に私の着ているこの水瓶人間の衣装を見つけ出す事は警察はおろか、あの二人にも出来ませんでしたからね」
そういいながら悪魔の水瓶は砕いたスマホから大木槌を放すと、そのまま西条貴文社長宅の方に向かう。その足取りはまさにこれから人を殺害しようと言う冷酷な気迫に満ちていた。
「こ、こ、殺すのか、西条社長とその家族を……もう既に梅塚幸子の依頼からあんたらは降りて、その契約は無効のはずじゃないのか。なのに一体なぜだ?」
「ええ、西条ケミカル化学会社に関わる人達を一人残らず皆殺しにすると言う依頼はお断りしましたが、あの西条貴文社長の態度を見て変わりましたわ。あの人は殺してもいい人の用ですから殺す事にします」
「殺すのか……どうしてもやめてくれないのか」
「私達の殺しは絶対です。彼に関しての変更は特にありません」
「その家族は何も関係はないだろう!」
そんな関根孝の必死な叫びに悪魔の水瓶は冷酷にこう言葉を返す。
「ポポポポーッ……ええ、本当に気の毒です。ポポポポーッ、西条貴文社長とその日同じ空間にいなかったら、その家族は死なずに済んだのですから」
「ただ西条社長が気に食わないという理由だけで殺すのか。そんな馬鹿な話が許されていいのか!」
「ポポポポーッ、邪魔をするのなら、かまいませんよ。契約不履行と言う事であなたを堂々と殺せますから。ポポポポーッ、もしも罪悪感にさいなまれると言うのなら今すぐにここから離れて下さい。何も知らなかったのなら……それは仕方の無い事ですから……ポポポッ」
「何とか……何とか……その家族だけでも見逃してやってはくれないのか!」
「ポポポポーッ、私達は決していい人間ではありませんよ。冷酷で凶悪で凶暴な頭の狂った恐ろしい殺人鬼です。でももしその家の中に子供がいると言うのなら、見逃してやらないこともないのですがね。ポポポポポポポポポポポポーッ!」
「そんな……そんな……俺は一体どうしたらいいんだ。誰か教えてくれ……」」
「もうこれであなたと会うことはもう二度とないでしょうが、願わくばお互いにもう二度とお会いしないことを祈っていますわ。せっかく拾った命なのですもの……どうか大事にして下さいね……ポポポポポーッ!
そんな慈悲のない言葉と不気味な鳴き声を発しながら悪魔の水瓶は、西条社長宅に堂々とその歩みを進めるのだった。
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